after valentine





見上げれば、暗く重たい空からはちらちらと白い破片が舞い落ち始めた。
手袋をしていてもかじかむ手のひらを擦り合わせ、マリコはあてもなく歩き続けていた。
右手に下げた紙袋がずっしりと重い。

………違う。
重いのは紙袋ではなく、それを持ったままの自分の心だ。



――― あら?ここは……。

突如開けた視界に、マリコは足を止めた。
小高くなった丘からは、イルミネーションの煌めく街並みが一望できた。
ここは、クリスマスに土門が連れて来てくれた公園だ。
あの時は寒さを感じることもなく、眼下の街並みも今日よりずっと鮮やかに映った筈なのに。

マリコは誰もいない公園のベンチに腰かけ、隣に大事そうに紙袋を置いた。

いつになったら、この紙袋の中身は本来有るべき人のもとへ渡るのだろう。
すでにもう一日、時は過ぎていた。




昨日、2月14日のために、マリコはそれを用意していた。
しかし運悪く、帰り際に交通課から『至急』と判の押された鑑定依頼が回ってきた。
仕方なくマリコは急ぎその鑑定を始めたのだが、後から後から追加鑑定が届き、結局科捜研を出たのは日付をまたいでからだった。
その足でこれを届けることも考えたのだが、『さすがにこんな時間は非常識よね……』とそのまま自宅へと戻ったのだ。


そして、今朝。
マリコはある光景を目にした。
数人の婦警らが土門と蒲原を取り囲むようにして談笑していた。

「お二人とも、私たちからのチョコレート食べてくれました?」
「もちろん!美味しかったよ。ありがとう!」
蒲原は少し照れたようすで、婦警たちに会釈していた。

そして、土門も。
同様に笑みを浮かべて、ありがとう、と礼を述べていた。

――― そうよね。土門さんだってチョコレートくらい貰うわよね。でも……もう食べたのね。

土門がチョコレートを貰ったことは別にいい。
義理チョコ、友チョコ、色々あるだろう。
でも……………。

マリコは燻る気持ちのまま、科捜研へ出勤した。


「おはよう!」
「あ、マリコさん!おはようございます!これ、どうぞ」
元気な亜美から渡されたのは小さな箱。
「これ、なあに?」
「チョコレートです!日頃の感謝の気持ちです!マリコさんだけには昨日、渡せなかったので…」
「ありがとう!」

「マリコさん、亜美さんのチョコレート美味しいよ~♪蒲原さんたちもそう言ってたし♥」
「え?……亜美ちゃん、蒲原さんにもあげたの?」
「はい。蒲原さんと土門さんには昨日渡しました」
「……………そう。ありがとう、亜美ちゃん」

亜美は昨日のうちにチョコレートを渡すことができたのだ。
……自分とは違って。


「何だ……。土門さん、もう沢山チョコレート食べたのね………」

抑揚のない声が、一人きりの研究室に響いた。





寒空の下、マリコは渡せずじまいの箱をかじかむ手で取り出し、包装紙をたどたどしく開いていく。
色とりどりの包み紙にくるまれたチョコレートは、温かい灯りの下で見ればどれほど美味しそうに見えたことだろう。
何だか申し訳なく思いながら、マリコは一粒取り上げた。


「ちょっと待て!!」

口を開こうとしたマリコは驚きに動きを止めた。

「え?」

マリコの手からチョコレートが奪われる。
同時に箱ごと紙袋へ戻され、そのままそれは土門の手に収まった。


「土門さん?どうしたの?」
「どうしたも、こうしたもあるかっ!?どれだけ探し回ったと思うんだ?スマホくらいチェックしろ!」
「え!?」
マリコはポケットからスマホを取り出し、操作しようとするが、冷えきった手は思うように動かない。
土門はそんなマリコの手を包み込む。

「こんなに冷たくなるまで……。この馬鹿っ!」

土門はマリコを立たせると、自分のコートのポケットに冷えきった手をしまい、そのままマリコを引っ張っていく。
公園の入り口に停車した車にマリコを押し込み、自分は運転席へ回る。
エンジンをかけ、エアコンをフルに稼働させる。
徐々にマリコの頬に赤みが戻るのをみて、土門はほっと息をついた。

「土門さん、どうして?」
「何がだ?」
「私に何か……急ぎの鑑定でもあるの?」
「はぁ?そんなものはない」
「じゃあ、どうして……」
「確かめたいことがあってな。お前を探していたんだ」
「なに?」
「その前に…。これは、何だ?」
土門が紙袋を指差す。

「それは……」
「俺の予想だと、昨日、俺がもらう予定のものじゃないかと思うんだが……。違うか?」

「………ない」
「ん?」
意地悪く聞き返す土門に、マリコは顔を背ける。
「違わない!」
土門は苦笑する。

「お前のことだ。涌田は昨日のうち渡したのに、自分は渡せなかったことを気にしてるんだろう?」
土門は片方の眉を引き上げて、マリコを観察する。

「まったく…。事件の時は言われなくてもしゃしゃり出るくせに、こういうときは内に籠るんだな、お前は」
やれやれ、と土門は息を吐き出す。

――― そして。

「榊、ありがとう」

「土門さん?」
マリコが驚いて顔を戻すと、優しい土門の瞳とぶつかる。

「食べていいか?」
「いいけど……。もう沢山食べたんじゃない?」
「?」
「みんなから……その、貰ったんでしょう?」
「ああ。沢山もらった」
土門の返事にマリコが眉をひそめる。

「だが、まだ一つも開けていないし、一口も食べていない」
「え……?」

「お前のが一番最初に決まってるだろう」

そう答えると、土門はマリコからのチョコレートを一粒取り出した。
そして、イタズラっぽく笑うと、それをマリコに差し出した。
「なに?」
「あーん」
「!?」
思わず開けてしまった口に、チョコレートが放りこまれた。


「これは、一日遅れた“利子”分だ」

そういうと、土門は運転席から身を乗り出し、マリコに覆い被さるようにして唇を味わう。
マリコの舌を吸い上げる度にチョコレートのまろやかな甘味に口内が満たされる。
もっと、もっと、と貪欲に求め続けていくと、やがて広がる味わいはチョコレートのそれから、マリコ自身の甘さへと変化していく。
自分だけが味わうことのできる、極上の甘さと香りに土門はしばし酔いしれた。


「甘いな……。いくつでも、いや、いつまででも味わえそうだ」
「……どもん、さ…ん……」

耳元で無自覚な掠れた声に名前を呼ばれる。
さらに、蕩けるような色を孕んだ瞳を向けられて、土門はひゅっと息を飲む。

「……………参った」
土門は額に手を当て、苦々しく首を振る。

「榊……。頼むから今、その声と顔は止めてくれ」
「?」
キョトンとしたマリコに、土門はいつになく真剣に頼み込む。

「せめて家に着くまではな……」

なぜなら。
これ以上は運転ができなくなりそうだからだ……。
土門は収まりの悪い体を、座席でもぞもぞと揺らす。


できることなら………色々と察してほしい土門だった。
(まあ、無理だろうがなぁ…苦笑)




fin.


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