マリコと乃里子
世の中には3人、自分とよく似た人が居るという。
榊マリコに関していえば、先日そのうちの一人に偶然出会った。
その人は検事という職業を生業とし、マリコ同様、常に真実を追求する姿勢の持ち主だった。
そして今回の東京出張で、マリコは二人目に出会うことになる。
東京駅に到着したのぞみ185号から降り立ったマリコは、メトロへと乗り換えるために構内を移動していた。
今回、マリコは京都府警が導入を検討している新バージョンの顔認証システムの検証を行うために、都内のシステム研究所を訪れる予定だ。
新幹線の中から読み耽っていた資料を手に、歩きながら確認すべき点を頭の中で整理していく。
考え事に気をとられていたマリコは、足取りがやや遅くなり、後ろを歩く人物とぶつかってしまった。
「あっ!すみません」
慌てて振り返り、頭を下げたマリコだったが、その瞬間いきなり突き飛ばされた。
「!?」
壁に頭と背中をかなりの勢いでぶつけ、マリコはそのまま気を失った。
警視庁鉄道捜査隊東京駅分駐所では、定刻パトロールのために乃里子、立花、望月、内海の各捜査員が準備を始めていた。
プルル…と鳴り出した電話を野川課長が受けた。
「はい、鉄道捜査隊」
野川課長は無言のまま微動だにせず、話を聞いている。
「わかりました!」
ガチャリと受話器を置くと、自分の言葉を待つ部下たちへ向き直る。
「引ったくりです。被害者の女性は意識不明で搬送されました」
「行くわよ、みんな!」
飛び出そうとする乃里子を、野川課長が『待ってください!』と引き止めた。
「その被害者の女性は、京都府警科学捜査研究所所属の方だそうです。間もなく府警の捜査員がやってきます」
「わかりました。では、それまでに少しでも手がかりを手に入れないと!」
「その通りです!ですが、花村さんは病院へお願いします。医師の話では、被害者は意識不明とはいっても一時的な脳震盪の可能性が高いので、まもなく目を覚ますだろうとのことです。意識が戻れば話が聞けるかもしれません」
「わかりました。では、私は病院へ向かいます」
「お願いします。他のみなさんは、現場へ向かってください!」
「「「はい!」」」
乃里子が病院へ到着すると、被害者の女性は既に意識を取り戻していた。
しかし、まだ記憶が混乱しているのか、話を聞くには少し時間がかかりそうだった。
それにしても…と乃里子はベッドに横たわる女性を改めて眺める。
初めて彼女を見たときは、自分の目を疑った。
担当医師や看護師にも『お身内の方ですか?』と何度も聞かれた。
それほどに、乃里子とその女性はよく似ていた。
ほどなくして、病棟の廊下をほとんど走る勢いでこちらに向かう足音が聞こえた。
その足音は部屋の前で止まり、ノックもなく、扉ががらりと開いた。
「榊!……榊?お前、無事なのか…」
勢い乗り込んできた男性は、乃里子を見て訝しげに片眉を持ち上げた。
「私は鉄道捜査隊の花村です。あなたは?」
「あ、ああ。失礼した。京都府警捜査一課の土門です……あの、榊は?」
乃里子がカーテンを大きく開くと、頭に包帯をまいたマリコが横たわっていた。
「榊……」
土門の声に反応して、マリコがゆっくりと顔を動かした。
まだ痛みがあるのか、顔をしかめている。
「ど、もん、さん……」
小さく掠れた声だったが、きちんと聞き取った土門は、ベッドへ近づき、その頬にそっと手を当てた。
「大丈夫か?こんなときに悪いが、少し話せるか?」
先程までのうつろな表情とはうってかわり、力強い瞳でうなづく。
「犯人の顔、覚えてるか?」
途中、負担のないように休憩を挟みつつ、土門がマリコから聞き出したことは、極わずかだった。
しかし、マリコはとっさに犯人の手首を掴み、爪の間に皮膚片を残していた。
「さすがだな……。後は俺たちにまかせて、お前はゆっくり休め。また来る」
土門はマリコの髪をなでると、後ろ髪を引かれつつ病室を出た。
「土門刑事」
続いて病室を出た乃里子が土門を呼び止めた。
「はい?」
振り返った土門に、乃里子は何というべきか、少し迷う様子を見せた。
「……驚いたでしょう?榊を見たときは」
土門は苦笑混じりにたずねる。
自分自身、前回の経験がなければ目を疑っていたにちがいない。
「…はい。ですが、土門刑事はあまり驚いたようには見えませんね?」
「以前にも似たようなことがあったので」
土門は東京地検の女検事を思い出した。
あの人といい、目の前の女性といい、あいつに似た人間は、誰もが犯罪を憎み、常に真実を探している。
「?」
乃里子はよく分からないといった表情をしたが、深く追求することはしなかった。
それよりも、と話を続ける。
「とっさに犯人の皮膚片を手に入れるなんて、刑事でもなかなかできることではありませんよ……すごい方ですね、榊さんは」
「そうですね……特別ですよ。あいつは」
その言葉の持つ深い意味を感じとった乃里子は、土門の横顔の先に、今は亡き夫のことを少しだけ思い出していた…。
土門を伴い分駐所へ戻ると、すでに望月たちが有力な手がかりを見つけ出していた。
駅構内の防犯カメラにマリコの後をつける男の姿が映っていたのだ。
男はひったくりの常習犯で、乃里子もかつて検挙したことのある人物だった。
これでマリコが提出した皮膚片のDNAと、前歴者登録されている男のものが一致すれば逮捕状がとれる。
「花村さん、土門さん。犯人は逃走の恐れがあります。逮捕状が出しだい直ちに確保できるように、犯人に張りついてください」
「「わかりました!」」
野川課長の指示に、二人は大きくうなずいた。
「主任。これ、念のため、顔写真と住所です!」
「立花くん、ありがとう!行きましょう、土門さん」
「……はい」
二人は東京駅からタクシーで、男の住所へ向かう。
『あけぼの荘』と木看板のかかった、安アパートの一室を男はねぐらとしているらしい。
しばらく、死角になる壁に身を潜め、アパートの様子を見張っていると、やがて男が部屋から出てきた。
手にはごみ袋を下げている。
遠目からでも、中身が女物のバッグであることが透けて見えた。
そのバッグに、土門は見覚えがあった。
それはいつもマリコが使っているトートバッグに間違いなかった。
それを乃里子に伝えるのと時を同じくして、乃里子のスマホが震えた。
「はい、花村です。……わかりました!」
「土門さん、逮捕状が捕れました。確保に向かいましょう」
「ええ」
乃里子は扉に向かい、土門は万一を考え裏の窓に待機する。
「すみませーん!お届け物でーす」
ガチャリと、扉が開き、細い隙間から男が顔をのぞかせた。
「お前!たしか鉄道捜査隊の!!」
慌てた男が閉めようとした扉に、間一髪、乃里子は足を挟むと力任せに引き開けた。
「くそっ!」
男は乃里子に向かって突進してきた。
ひらりと身をかわすと、乃里子は隙だらけの男の背中に蹴りを入れる。
よろめき、うつ伏せに倒れた男に馬乗りになり、腕をひねりあげた。
「花村さん!!大丈夫……のようだな」
物音を聞き付け、土門が駆けつけると、まさに乃里子が手錠を嵌めるところだった。
土門は拘束された男の胸ぐらをつかんで引き起こす。
この男がマリコをあんな目に会わせたのかと思うと、腸が煮えくり返るような怒りを感じるが、ここは京都ではないと自分に言い聞かせる。
乃里子に迷惑をかけるわけにはいかない。
まもなく到着したパトカーに、男の身柄を預けると、二人は東京駅を目指した。
「花村さんは、なかなかの腕っぷしのようですね…。感服しましたよ」
「いいえ…。お恥ずかしい」
乃里子はほんのり頬を染める。
そんな姿は本当にマリコそっくりだ。
「土門…さん?」
慈しむような視線を向けられ、乃里子が狼狽える。
はっと我に返った土門は、後頭部に手をやり、苦笑いを浮かべた。
「申し訳ない。…しかし、花村さん。できれば自分のことは『土門刑事』と呼んでもらえませんか?」
乃里子は病室で、マリコが彼のことを『土門さん』と呼んでいたことを思い出した。
「わかりました」
乃里子はマリコと同じ顔で微笑んだ。
1/2ページ