思い返せば一年前
年末の風物詩と言えば、やはり忘年会だろう。
金曜日の17時を過ぎ、18時を回る頃には、あちこちの居酒屋はスーツを着こんだサラリーマン達で満席となる。
そして3時間後には、耳を塞ぎたくなるような大声や調子っぱずれな歌声と、地の底を這うような呻き声で溢れかえる。
そんな年の瀬、とある居酒屋の一角でも、年忘れの宴が催されていた。
「あははは!」
何がおかしいのか、箸が転がっただけでマリコはコロコロと笑う。
「マ、マリコさん、大丈夫でしょうか?」
「マリコくん、何を飲んだんだい?」
「それが烏龍茶を頼んだんですけど、間違えて宇佐見さんの注文したウイスキーの水割りを飲んじゃったみたいなんです…それもグビグビと」
「このままじゃ酔いつぶれるね、きっと」
「ど、どうしましょう?」
宇佐見が珍しく狼狽える。
「まあ、マリコくんは明日非番だけどね…。亜美くん、土門さんに連絡して。早めに連れて帰ってもらおう」
「ラジャーです」
「土門だ…涌田か?どうした?」
スマホから聞こえる亜美の話を黙って聞いていた土門だったが、小さく嘆息すると『わかった』と答えた。
まったく、世話の焼ける……。
そう思いながらも、去年のようなことが起こることは避けたいと、仕方なく土門は腰をあげた。
ステアリングを握り、緩いカーブの遠心力に身を任せながら、土門はちょうど一年前のことを思い出していた。
その日も今と全く同じ状況で、土門はマリコを迎えに居酒屋へ向かっていた。
もっとも、その時のSOSは相馬からだったのだが。
居酒屋へ顔を出すと、何をどれ程飲んだのか…マリコは赤い顔で、瞳をとろんとさせた何とも色っぽい表情で相馬に絡んでいた。
「あ!土門さん!!助けてくださいよ~」
酔ったマリコは逃げ腰の相馬が気に入らないのか、唇を尖らせる。
あとわずか数センチで、その先は相馬の頬に届きそうだ。
さすがに冷静ではいられず、土門は片眉を持ち上げると、マリコの体を相馬から引き剥がした。
「榊、悪ふざけもいいかげんにしろ!」
するとマリコは土門からふい、と顔を背ける。
「悪ふざけじゃないもの……」
なおさら、たちが悪い…と持ち上げた眉を今度は潜めて、土門はマリコの腕を掴む。
「帰るぞ」
「………」
無言のままのマリコを無理やり立ち上がらせる。
土門は足取りのふらつくマリコにコートを羽織らせ、大判のストールを首もとにぐるぐると巻き付ける。
「先に連れて帰ります」
日野へ告げると、土門はマリコを支えながら店を出た。
「なんか、土門さんて……カッコいいっすね」
二人の様子を見ていた相馬は、感心したように言う。
向かいに座って聞いていた宇佐見は、曖昧に笑って返した。
『大変なのは土門さんかと思っていましたけど…案外マリコさんのほうかもしれませんねぇ……』
一瞬嫉妬の色を滲ませた土門の瞳を思い出し、宇佐見はやれやれと目の前のグラスに視線をおとす。
カランと、氷の軽やかな音が小さく響いた。
マリコは眠っているのか、車内ではずっと目を閉じたままだった。
無言のまま夜の
「榊、着いたぞ」
マリコはゆっくりと目を開ける。
しばらくそのままぼんやりとしていたが、シートベルトを外し、降りる準備をはじめた。
「何でそんなに酔っぱらったんだ?お前にしては珍しいだろう?」
大抵は突発的な事件に備えて、二人とも深酒をすることはほとんどない。
「………」
「榊?」
マリコはちらりと土門の顔をみると、土門さんのせいじゃない…とぽつりとこぼした。
「俺?俺がお前に何かしたのか?」
まったく身に覚えのない土門は首をひねる。
「忘れたの?今夜のこと?」
「今夜?」
「明日は久しぶりに非番が重なったから、今夜から土門さんの部屋へ行く予定だったでしょう?」
「……ああ」
確かに一週間ほど前にそういう約束をした。
しかし一昨日、土門が電話で突然その約束をキャンセルしたのだ。
じつは今夜をかなり心待にしていたマリコは、どうにも気持ちの収まりがつかず、土門へ当てつけるように忘年会で憂さ晴らしをしていたのだ。
「なるほどな」
笑い声を滲ませた土門の返事に、マリコはますます臍を曲げる。
「榊。お前、誤解してるぞ?」
「………」
「俺の話を最後まで聞かずに、電話を切ったのはお前だろ?」
「どういうこと?」
「あの後、俺はまだ伝えたいことがあったんだ。今夜は……断水だ」
「え?だんすい…って水が止まる断水?」
「そうだ。マンションの水道管に亀裂が見つかったとかで、急遽、今夜は断水することになった。だから、うちはダメになったんだ」
「………」
「その代わり……」
土門は手を伸ばし、マリコのストールをぐい、と引き下げた。
「今夜はお前のうちへ行ってもいいか?と聞くつもりだった」
互いの息づかいがはっきり伝わる距離まで、マリコに近づく。
「返事は?」
「え?」
「今夜はお前のうちへ行ってもいいのか?」
再び土門は問いかける。
マリコは目を閉じ、ほんの少しだけ顔を傾ける。
「……これが返事でいいかしら?」
「ああ。十分だ」
土門はマリコの額にコツンと自分の額を合わせた。
「明後日、相馬に謝っておけよ」
「そうね」
ふふっと笑うマリコの頬に土門は手を添える。
「それから、しばらく深酒は禁止だ。そんな顔をほかのやつに見せるな」
「はい、はい。土門さんの前だけにす………ん」
暗闇のなか、短い沈黙が漂う。
「分かればいい」
なんてことを思い返すうちに、車は目的地周辺に到着した。
さて、今夜の深酒の原因は一体何なのか?
何にせよ今夜は二人で過ごすことになるだろう。
なぜなら、土門は明日、非番を代わってもらったからだ。
マリコと合わせるために。
「明日、俺も非番だと言ったら、あいつはどんな顔するんだろうな……」
足取り軽く土門は暖簾をくぐる。
「榊、迎えにきたぞ!」
fin.
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