誰よりも…





――― 土門さんを怒らせた。


2週間前から京都市内で帰宅途中の女性を狙った通り魔事件が、3件発生していた。
大胆不敵にも、犯人は京都府警近くで犯行を繰り返していた。
そのため、府警関係の女性職員たちは『必ず複数人で帰宅するように!』と、藤倉刑事部長から注意を受けていた。
マリコも、ここ数日は土門の車で家まで送ってもらっていた。
ただ、問題の昨日は、どうしても土門の都合がつかなかった。


マリコが土門からその連絡を受けたときには、運悪く、宇佐見も呂太も日野も既に帰宅した後だった。
タクシーで帰れ、という土門の注意をきかず、マリコは置きっぱなしにしていた自転車で帰途についた。

走り出してから数分後、後輪が嫌な音を立てた。
自転車を降りて確認すると、見事にパンクしている。
この時間では開いている自転車屋などは、もうない。
仕方なく、マリコは自転車を押して歩きだした。



携帯が鳴ったとき、土門は当直の捜査員らと明日の段取りについて話し合っていた。
画面を確認すると、発信者は藤倉だ。
「土門です」
『土門!今、病院から連絡があった。榊が……』


数分後、土門は車で警察病院へ向かっていた。

――― 榊が例の通り魔に襲われた。幸い、怪我は軽症らしい。土門、榊から話を聞いてこい。それと、今日はもう戻る必要はない。

軽症だと聞いても、自分の目で確かめるまでは……と、ステアリングを握る腕に知らず力が籠る。
土門は早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように、大きく息を吐き出した。



「榊!」
待合所の椅子にマリコは座っていた。
左の二の腕に巻かれた包帯が痛々しい。
「土門さん……」
「大丈夫なのか?」
「ええ。ナイフが掠っただけよ」
マリコは何てことのないように言うが、ナイフの位置がズレていたらと思うと、土門はゾッとした。
「何でこんなことになったんだ?」
マリコは少々ばつの悪い様子で、科捜研を出るところから話し始めた。


土門は腕を組み、マリコの話を黙って聞いていた。
「なぜタクシーで帰らなかった?そう言っただろう…」
「いつもより早い時間だったし……」
「そういう問題か?お前も警察の人間なら注意すべきだろう?」
土門は心配した反動から、強めにマリコをしかる。
「でも、結局は軽症で済んだし、犯人に捕まれた腕から掌紋が取れるかもしれないわ!」
マリコの言葉を聞き、土門の中で何かが音をたてて崩れた。

「土門さん!?」
気づけば、自分の意思とは関係なく、土門は右手を振り上げていた。
マリコが驚きに目を見開く。


「マリコさん!大丈夫ですか!?」
その時、連絡を受けた宇佐見が夜間入口から駆けつけてきた。
土門はゆっくりと手を下げると、そのまま立ち上がる。
「宇佐見さん、榊を頼みます……」
すれ違いざまに、土門は宇佐見に頭を下げると、マリコを振り返ることなく去っていった。

「土門さん……」
マリコが呆然とした声で呟く。
宇佐見は先程のやりとりを遠目から、目撃していた。
声は聞こえなかったが、何となく想像はつく。
「マリコさん、今夜は帰りましょう」
不安そうなマリコを支えるようにして、二人は病院をあとにした。


宇佐見に送られ、帰宅したマリコはダイニングの椅子に座り込んだ。
あんな土門を見たのは初めてだった。
いったい自分が何をしたのか……。
……………どうしたらいいのか分からない。

考え込むうちに、傷口がじくじくと痛みだした。
微熱も出ているかもしれない。
マリコはバッグから処方された鎮痛剤を取り出した。

今夜はもう何も考えたくない……。

薬の効果もあってか、マリコはそのまま眠りに落ちた。



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