チャーミー
夕方から近畿地方へ接近している、大型で非常に強い台風24号の影響で、京都府へもすでにいくつもの警報や注意報が発令されていた。
窓に打ち付ける雨粒の音は次第に大きくなり、木々を揺らす風は唸りをあげている。
当直の捜査員へ引き継ぎを終えた土門は、帰宅の途につくべく、早足で駐車場へ向かっていた。
しかし、ふと足を止める。
一瞬、頭を過った嫌な予感に、スマホを取り出した。
何度かコールを繰り返すが、相手は出ない。
LINEを送ってみるが、既読はつかない。
ため息をついた土門は、もと来た道を引き返した。
必要最低限の光源に落とされたフロアで、一角だけが今も煌々と明るさを保っている。
いつも通り、ノックもせずドアを開けてみれば、部屋の住人は机に臥せっていた。
「榊」
名前を呼びながら、華奢な肩を軽くゆする。
そのとき、一気に明かりが落ちた。
すぐに非常用電源が作動し、所々でほんのわずかな明かりが点灯した。
「停電か……」
「ん……。ど、もん、さん?」
薄く目を開いたマリコは、暗闇に浮かぶ土門の顔を判別すると、するりとその首に腕を回した。
条件反射でマリコを抱き止め、苦笑する。
「積極的なお誘いは嬉しいが、ここは科捜研だぞ?いいのか??」
その言葉に、マリコは文字通り飛び上がるように跳ね起きた。
「え?科捜研??でも土門さん、なんで?えっ??」
寝ぼけて状況がイマイチ把握できない様子のマリコを、もう一度軽く抱きしめる。
「落ち着け。ここは科捜研だが、今は停電しているから暗いんだ」
「停電?ああ、台風で……」
ようやく頭が回り始めたようだ。
「土門さんは何でここに?鑑定依頼??」
「違う。帰る前に連絡してもまるで反応のない誰かさんの様子を見に来たら、停電になっちまったんだ」
「………ごめんなさい」
「もういい。今から帰っても信号も消えているだろう……かえって危険だ」
土門は鑑定器材の並ぶデスクに置かれた椅子を引っ張りだし、マリコの隣に並んで腰かける。
「顔に寝跡がついてるぞ」
頬にうっすら残る線をつついて、土門は笑う。
「やだ!」
慌ててマリコは顔を背ける。
「別に構わんだろう……俺しかいない。それにこの暗さだ」
そういって、マリコの顎に手をかけ、こちらを向かせる。
その間にも強風が窓ガラスを揺らし、ガタガタと軋むような音を立てる。
その度に、マリコはビクリと肩を竦めては、窓を見る。
「風の音が怖いのか?」
「小さい頃から苦手なの………」
小学生の頃は、父か母の布団に潜り込み台風が通りすぎるのを待つことが多かった。
そんな時は、二人ともマリコの耳を塞ぐように包み込んでくれた。
「榊、仮眠用に毛布置いてあったよな?」
「ええ。亜美ちゃんの寝袋と一緒に……」
土門はいったん部屋を出ると、ありったけの毛布を持って戻ってきた。
「何するの?」
土門は厚めに畳んだ毛布を床に敷き、簡易ベッドを作った。
そして、自分は壁に凭れるように毛布の上に座る。
「榊」
マリコを呼んで、足の間に座るように促した。
しばらく迷ったマリコだが、土門の胸に寄りかかるように横向きで凭れた。
土門は余った毛布を二人の身体に巻きつける。
とくん、とくん、と一定のリズムを刻む土門の心音がマリコに安心をもたらし、いつしかその瞼が下がりはじめる。
それを見届けた土門は、風の音を遮るために、マリコの頭をそっと抱き込む。
そうして、互いの温もりに癒されながら、二人は眠りに落ちた。
先に目覚めたのは土門だった。
どうやら停電は解消したようで、部屋の明かりは煌々と灯っている。
腕時計で時間を確認すると、7時を少し過ぎていた。
自分はそろそろ戻った方がいいなと、マリコを起こさないよう、細心の注意を払って立ち上がる。
しかし、マリコは土門のジャケットを握りしめたまま、すやすやと眠り続けている。
仕方なく土門はジャケットを脱ぎ、マリコのそばに置いた。
土門が研究室を出たその時、運悪く、今まさに出勤してきた宇佐見と鉢合わせてしまった。
真面目な宇佐見のことだ…台風の影響を考え、いつもより早く家を出たに違いない。
「土門さん?……おはようございます」
「おはようございます……」
土門はややばつの悪い表情で、続けた。
「宇佐見さん、ここで自分に会ったことは……」
「もちろん、誰にも言いません」
「お気遣い、感謝します」
苦笑した土門は軽く頭を下げ、科捜研を出ていった。
昨夜、最後までマリコが残っていたことを宇佐見は知っていた。
恐らく、土門がそんなマリコを心配しているうちに停電してしまい、帰るに帰れなくなってしまったのだろうと、見当はついた。
あと20分もしたら、マリコも起こさなければ……と、部屋に目を向ける。
しかし、床に敷かれた毛布は見えるが、マリコの姿は閉じられたブラインドで遮られている。
と、そのとき、宇佐見のスマホが震えた。
見れば、土門からメールが届いていた。
――― 榊のスマホにアラームを設定しておいたので、ご心配なく。
送られてきたのは、簡潔な一文のみ。
『マリコの寝顔は誰にも見せない』……土門の徹底っぷりに、呆れるどころか、感心してしまう宇佐見であった。
fin.
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