榊伊知郎失踪事件
マリコが外壁にもたれていると、目の前に車が停まった。すぐに助手席の窓が開き、土門が顔を見せた。
「待たせたな。乗れ」
マリコは車に乗り込む前に、窓越しに土門へ言った。
「帰っていたのに、わざわざごめんなさい」
土門はふっと笑う。
「なに、改まってるんだ。お前が迷惑かけるのはいつものことだろう」
「…………」
そう言われて否定できないところは辛いが、今夜の相談は事件とは無関係な、個人的なことなのだ。
「とにかく乗れよ。話があるんだろう?」
「うん」
二人を乗せた車は府警から30分ほど離れたファミレスで停まった。
「色々考えたが、ここなら時間を気にせず話ができるんじゃないか」
「そうね」
店に入ると、二人は窓側の席に案内された。夕飯時を過ぎた時間帯だからだろうか、客はまばらだ。みんなスマホに見入ったり、PCで作業をしたり、周囲に無関心な様子がマリコには有り難かった。
土門は珈琲を、マリコはサンドイッチをオーダーする。すると、さっそくマリコが口を開いた。
「相談というのは父さんのことなの」
「監察官?監察官がどうかしたのか」
「連絡が取れないの」
土門は片方の眉を器用に持ち上げた。
「いつから?」
「母さんの話だと昨夜は帰ってこなかったって。でも仕事で帰れないこともたまにあるから、昨日もそうだと思ってたらしいの。そうしたら今朝、職場から『出勤していないし、電話が繋がらない』と連絡があったそうよ」
「それで、おふくろさんから相談があったのか」
「ええ。私も何度か電話をかけたけど繋がらない。仕事用のアドレスにもメールしたけど、返信はないわ」
「あえて聞くが、本人の意思で姿を消した可能性は?」
「ない、とは私には言い切れない。しばらく父さんには会っていないし。でも母さんのことも、仕事も放り出していなくなる、そんな人じゃないわ」
「そうだな。すまん、へんなことを聞いて」
「いいえ。当然の疑問だもの」
「しかしそうなると……」
「事件か事故か、ということになるわね」
「……なあ。藤倉部長に話してみてもいいか?」
「え?」
「榊監察官が行方不明というのはかなりの大事だ。すでに関係各所が動いている可能性がある。もしそうだとしたら、藤倉部長には何かしら情報が届いているかもしれん。どうだ?」
「土門さんの言うとおりね。もしこのまま父さんが見つからなければ、報告はしなくちゃいけないでしょうし」
ここで会話が途切れたとき、サンドイッチと珈琲が運ばれてきた。
「電話をかけてくる」
マリコはうなずくと、サンドイッチに手を伸ばした。土門に話したことで少し落ちついたのか、急に空腹を感じたのだ。
10分ほどして土門が戻ってきた。
「どうだった?」
温くなった珈琲で唇を湿らすと「思ったとおりだ」と答えた。
「部長のところにも連絡があったそうだ。榊監察官の行方について」
「それで?」
「部長も最近は連絡を取る機会がなくて、監察官の行方に心当たりはないと答えたと言っていた」
「……そう」
あからさまに落ち込むマリコに、土門は「だが」と続けた。
「榊監察官が直近で担当していた案件について、部長が調べてくれるそうだ。行方に繋がる何かが見つかるかもしれない。それと明日から3日間、俺とお前は休みになった」
「え?」
「部長命令だそうだ。溜まった代休をいい加減消費しろだと」
「部長が……。でも、土門さんまで巻き込めないわ」
「おいおい。俺はまだ手伝うとは言ってないぞ」
「あ、そうか。そうよね」
土門は慌てるマリコを見て、やれやれと苦笑する。
「折角の休みだからな、俺は旅行にでも行こうかと思う。ちなみに行き先は横浜だ」
「土門さん……」
「お前が横浜に行く用事があるなら、乗せていってやる。どうする?」
「行く。行くわ。一緒に連れて行って」
もう立ち上がりそうな勢いのマリコに、「落ち着け」と土門はマリコを制した。
「まずはちゃんと食え。そして眠れ。明日からがハードだぞ」
マリコは浮かしかけた腰を落ち着けると、軽く深呼吸をした。
「うん。そうよね。よし、食べなくちゃ」
マリコはまるで特訓でもするかのように、サンドイッチをパクパクと口に運んだ。
