会えない時間が愛育てるのさ



相馬と別れたマリコは、まっすぐに自分のラボに戻ったが、どうにも作業に集中できずにいた。
何かにつけ、相馬の言葉が蘇ってくるのだ。

「土門さんの新しい相棒か……」

これまでにも土門が女性刑事と組んで捜査にあたっていたことは、マリコだって知っている。ただ、そのほとんどは合同捜査のような短期間でのことだったはずだ。常の相棒として、土門の隣に女性がいたことはない……はずだ。
マリコの脳裏に歴代の相棒刑事たちの顔が浮かぶ。みんな土門を慕い、その背中に追いつこうとしていた。それをマリコは見てきたのだ。彼らとは反対の側から。
例えば土門の右側にいるのが相棒の刑事なら、マリコは左側にいた。
右側は時が経つにつれ変わっていったけれど、左側は変わらぬまま、そこはマリコの定位置だった。
それが、今は違うのだと相馬は言う。
左側は空いたまま、そして右側には新しい相棒。
彼女一人が土門の隣を独占しているということだ。

「それが何なの?」

口に出してもわからない。
どうして、こんなに気持ちがざわめくのだろう。

マリコはため息をつく。
もう今日は仕事になりそうにない。
マリコは、帰り支度を始めた。



その日から気持ちの晴れない日々を過ごしていたマリコは、ようやく休日を迎えた。いつもなら昼近くまで惰眠を貪るのだが、昨夜は何となく眠れなくて、8時には目が覚めてしまった。

「何しようかなぁ」

マリコは頬杖をつくと、ぽんやり窓の外を眺める。テーブルではコーヒーの湯気がゆらゆらと立ち上り、そして消えていく。
そこへ一通のメールが届いた。

『至急、連絡しろ 土門』

「土門さん!?」

突然の連絡にも驚いたが、一文だけの内容にマリコは慌てた。
マリコは急いで電話をかける。

『土門だ』

その声を聞いた途端、時間が一気に戻った気がした。マリコは自分がいる場所を錯覚しそうになった。

「あ。あの。久しぶりね、土門さん。何かあったの?」

『オンラインにしてもらえるか?』

「え?ええ。わかったわ」

一度電話を切ると、マリコはオンラインを繋いだ。部屋着なのが気になったけれど、着替えている時間もないので諦めた。

画面越しに映った土門の姿は、別れたときと何も変わっていなかった。いいことなのに、マリコにはそれが少しだけ悲しかった。自分が隣にいなくても、土門にはなんら影響がないという事実を突きつけられたようだ。

『元気そうだな』

「土門さんも」

『そっちは朝か?』

「今、8時過ぎ」

『そうか。時間…大丈夫か?』

「今日はお休みよ」

他愛もない会話が続く。

「土門さん、外にいるの?」

背後が随分と暗い。

『ああ。実は見てもらいたいものがあってな』

「もしかして、事件?」

マリコに緊張が走る。

『いや。そうじゃなくて。……これだ』

そう言うと画面から土門が消え、代わりに満月が現れた。

「今夜、日本では満月なのね……」

『久しぶりなんじゃないか?』

「え?」

『夜空を見るのは』

「そういえばそうね。ずっと忙しかったから、空なんて見るの何日ぶりかしら」

『やっぱりな。下ばかり見ていても、何もいいことはないぞ。日本にいるときは、よく屋上で京都の町並みと空を見ていただろ』

「もしかして、それを言うために連絡をくれたの?」

『べ、べつに』

画面は満月を映したまま、無言の時間が流れる。

「そういえば、土門さん。新しい相棒ができたんですってね」

『よく知ってるな』

「相馬くんから聞いたのよ。泰乃さんに教えてもらったらしいわ」

『そうか』

「土門さんと相性がいいみたいね」

『まあ。思っていたよりは、な』

「そう……」

マリコの心が波立つ。

「すごい美人なんでしょ?」

『は?市古が?』

「いちこ……」

ズキッ。
心臓に走る鋭い痛み。

もう下の名前で呼んでいるの?
私でさえ、呼んでもらったことがないのに……。

『あいつは美人なのか?よくわからん……』

土門は何か話し続けていたが、正直、もうマリコはどうでもよかった。もう土門の隣に自分の居場所はないのだ。

『3ヶ月だけの相棒だしな』

「……………え?3ヶ月?」

そのワードにマリコの耳が反応した。

『そうだ。蒲原が研修の期間だけ、新人の市古を教育することになったんだ』

「そう、なの?」

『なんだ。それは聞いてないのか?』

「え、ええ。新人の刑事さんなのね」

『お前、どこまで相馬から聞いてる?』

不審に思った土門にたずねられ、マリコは先日の相馬との会話の内容を伝えた。

『アイツ……。よくもまあ、それだけ捏造できたもんだ』

「ウソ、なの?」

『今の俺の相棒が女性刑事という点以外はウソだな』

ナイスバディのすごい美人をウソと断言するのは市古に申し訳ない気もするが、そこは目を瞑ってもらうことにする。

『さっき言った通り、市古壱子巡査は3ヶ月だけの相棒だ』

「いちこ……いちこ?」

『冗談みたいな名前だが本名らしい。俺も聞いたときは驚いた』

「それで、いちこ……」

名前ではなく、名字だった。
ようやくマリコは合点がいった。

胸の痛みがスーッと治まっていく。
代わりに生まれでたのは、苦しさ。
急激に膨れ上がった感情にマリコは押しつぶされそうになっていた。

その感情は、愛おしさ。
愛おしすぎて、苦しい。
それなのに、画面に映るのは満月ばかり。

「ねえ、土門さん。さっきからずっと満月が見えてるけど」

『むさ苦しい顔よりいいだろう?』

苦笑する土門の声が聞こえる。

「私は土門さんの顔が見たいわ」

『榊?』

「………ダメ?」

震えるような声に、画面が満月から土門の顔へ切り替わった。

『ダメなわけないだろう。俺もお前の顔が見たくて、声が聞きたくて、我慢できずにメールを送っちまったんだから』

「なーんだ。私たち、お揃いね」

二人は画面越しに吹き出した。
それから2時間近く、二人は色々な話をした。もっと話していたかったけれど、土門のスマホのバッテリーが限界を迎えてしまった。

「また連絡する」

『約束よ?』

寂しさが滲んだ声。

「この距離がもどかしいな」

『次の長期休暇には会いにいくわ』

「ああ。榊」

『なに?』

「今夜の満月。綺麗だな」

『ええ。本当に綺麗ね』

「それ……」

途中でとうとう通話は切断してしまった。

隠語の意味をわかっているのかいないのか。戻ってきたら、きっちり追求しなくてはならないな、と土門は心に決めた。捜査一課の刑事の名にかけて。

満月に見送られるように自宅へ戻った土門は、スマホを充電する。すると、マリコからメールが届いていた。どうやら充電が切れた直後に送ったもののようだ。

内容は、ただ一言。

『早く、会いたい』

「……生殺しだな」

土門は頭を冷やそうと、一目散にシャワーへ向かった。


4/5ページ
スキ