村木さんの恋の行方
糸村さんに半ば強引に連れ出された現場検証からの帰り、偶然通りかかった公園に規制線の黄色いテープが貼られているのに気づきました。
何気なく目をやった私は、そこに見知った女性を見つけ………そして、 まさかの恋に堕ちました。
殺伐とした殺人現場に居ながら、しっとりと落ち着いた女性の色香を漂わせて佇むその姿。
仕事と真摯に向き合う凛とした姿勢。
科学者としてのプロフェッショナルな手腕。
私には、まるで彼女 ――― 榊マリコさんの周囲だけスポットライトに照らされているように見えました。
申し遅れました。
私……最近、巷で何かと話題の村木です。
京都府警へ出向したての頃は『こんな日がくるとは思わずにいた~♪』のですが、この日を境に私の心は榊マリコさん一色に染まってしまったのです!
以前、彼女の身辺調査をした際に、榊さんがバツイチであることはリサーチ済みです。
ただ一つ、この恋には大きな問題が。
それは榊さんに、相思相愛の人がいるかもしれないということなのです……。
***
その日、マリコは引ったくり現場で血痕の採取を行っていた。
隣では、呂太が散乱した眼鏡の破片を拾い集めている。
土門の話では、自転車に乗っていた主婦が、後ろから来たバイクの男にカゴの中のバッグを奪われ、その弾みで自転車もろとも転倒し、意識不明で病院へ搬送されたのだという。
しかし不幸なことに、本日の科捜研は、日野が研修のために出張で不在。
宇佐見は母親の介護で午後半休。
亜美は体調不良で昨日から休んでいるのだ。
「二人で終わりそうか?」
土門が気遣わしげに尋ねる。
「蒲原さんも、鑑識さんも手伝ってくれてるから、採取は大丈夫よ。……問題は鑑定ね」
マリコは顎に手を当てて、考え込む。
「ねぇ、村木さんに手伝ってもらおうよ!」
手を止めて、呂太が顔を上げる。
「村木さん?」
「やだなー。マリコさん、忘れちゃったの?警視庁から人事交流で出向してきてる研究員さんだよ」
――― 村木だと?
その名を聞いて、土門のこめかみがぴくりと反応する。
そいつは確か、少し前に自分と榊のことを探っていた男ではなかったか?
そんな男に協力を要請しなければならないことに土門は眉を潜めた。
「ああ!あの変わった刑事さんと一緒にいる人ね」
「そうだよ(マリコさんには言われたくないと思うけど…)」
「でも……。村木さんも担当してる事件で忙しいんじゃないかしら?」
「ボク、聞いてみるよ」
そういうと、呂太はスマホを操作し出す。
「橋口、連絡先知ってるのか?」
「うん」
「ほぉ……」
もしかして、これまでの様々な情報源はこいつか…?と土門は目を細めて、呂太を眺める。
「な、なに?土門さん、顔怖いよ…」
「………」
呂太へ無言の圧力をかけると、マリコを振り返る。
「村木研究員の協力が決まったら知らせてくれ。挨拶に行く」
「分かったわ」
頷くマリコは何も気づいていないようだが、土門はどこか雲行きの怪しさを予感していた。
これから先の自分の行動が、二人にとって吉とでるか、凶とでるか……。
***
橋口くんから着信があったとき、私は鑑定器具の手入れをしていました。
いつもタメ口の橋口くんか、イケメンのジェントルメン(私には敵いませんが)か、メカニック女子(彼女もなかなかの美形)の誰か一人でも非番なら、人手不足で応援要請があるかもしれません。
最近はいつでも現場へ直行できるように、鑑定ケースとSRIのベストはデスクの足元にセッティング済みです。
「もしもし、橋口くん。どうしました?」
『もしもーし、村木さん、ひま~?』
「はっ?仕事中ですよ、忙しいです!」
『そうなの~?こっちの鑑定、手伝って欲しかったんだけど……。忙しいなら仕方ないね…』
「えっ!?Wait!お待ちなさい!橋口くん、今なんて?」
『だからー、今日は所長も宇佐見さんも亜美さんもいなくて、困ってるの。村木さん、手伝ってくれないかな~って』
「Oui!この村木に任せなさい!今から行きま…」
返事もそこそこに、私は部屋を躍りだし……もとい、飛び出しました。
***
「あっ!村木さーん!」
呂太が手を振って、村木を迎える。
「村木さんは、この部屋使ってね」
案内されたのは、宇佐見の研究室だった。
隣の部屋のプレートに“榊マリコ”の文字を見つけて、村木の心臓が跳ねあがる。
できるだけ、宇佐見の持ち物に手を触れることなく鑑定準備を進めていると、『失礼します』と低く張りのある声が聞こえた。
「土門さん、マリコさんならぶちょーのとこだよ?」
「ああ、知ってる。榊から連絡があった。村木研究員は?」
「宇佐見さんの部屋を使ってもらってるよー」
「そうか」
土門は宇佐見の研究室に足を踏み入れる。
「失礼します。村木…さんですか?」
「は、はい!」
「捜査一課の土門です。今回はご協力感謝します」
斜め45°のお手本のような礼を受けて、村木はしどろもどろに『はぁ…』と答えを返すのが精一杯だった。
村木はこっそり土門を観察する。
糸村とはまるで違う……。
ただ話しているだけなのに、向けられる鋭い視線に、追い立てられているように感じる。
まるで………猟犬?
しかし、と村木は首を捻る。
以前マリコと二人の様子をリサーチしていたときには、そんな雰囲気は感じなかったのだが……。
「そういえば、村木さん。人事交流の期間は終わってるそうですね…。それなのになぜ京都に?」
土門が怪訝そうな顔で訊ねてくる。
うっ、と村木は言葉に詰まり、目を泳がせて答えた。
「えっと……京都は居心地がよくて」
「そうですか。今年は例年にない猛暑ですがね…」
「………」
「てっきり何か心残りなことでもあるのかと思ったものですから……」
気にしないでください、と土門は目を細めていう。
……もしかして、バレてる?
村木はたらり、と嫌な汗が首筋を流れるのを感じた。
そんな二人の間に、スマホを持った呂太が割って入る。
「村木さん、メガネの破片の選別してもらえる?もしかしたら、メガネ以外の破片や、被害者以外のものが含まれてるかもしれないから、ってマリコさんが」
「Oui!承知しましたっ!」
村木はこの場を逃げ出すチャンスとばかりに、さっそく破片の選別にとりかかりる。
「…村木さん。今夜の夕飯と、明日の朝食、用意していますか?」
突然、土門がそんなことを聞く。
「はっ?いいえ」
「用意しておいた方がいい。榊を甘く見ると痛い目を見ますよ……」
恋敵とはいえ、塩を送った土門は捜査一課へと戻って行った。
「ただいま~」
マリコが科捜研へと戻ってくると、ちょうど呂太が防犯カメラの映像を見直しているところだった。
「おかへりー」
口をもぐもぐさせながら、返事を返す。
マリコが笑いながら、村木さんは?と聞くと、宇佐見の研究室を指さした。
「失礼しまーす……」
ノックをするが返事がないので、マリコがそろりとドアを開けると、村木は一心不乱に選別作業を行っていた。
「あのー、村木さん?」
「はい?……わぁぉ!」
モノクルをかけた村木の目の前に、突然マリコの顔が現れ、飛び上がるほど驚く。
「すみません…ノックをしたんですけど、お返事がなかったので……」
「へっ?ああ、すみません。全然気づきませんでした…」
あの…とマリコが少しはにかむようにいう。
「村木さんもお忙しいのに、今日はありがとうございます。とっても助かります」
そんなマリコの様子を村木はぽぉ~と見つめる。
「……いい」
「えっ?」
思わず漏れた独り言に、何でもありません!と顔の前で激しく手を振る。
「村木さんて、面白い方ですね」
くすりとマリコが笑う。
笑顔も素敵だぁ…などと考えている村木に、まじめな顔に戻ったマリコが尋ねる。
「ところで、作業の進み具合はどうですか?」
「えっ?ああ、全然問題ないですよ。この村木に万事お任せください!」
「本当ですか?頼もしいわ!」
ぱぁと花の咲いたような笑顔を見せたマリコは、村木のデスクに分厚いファイルを重ねていく。
「破片の選別が終わったら、次はゲソ痕の鑑定お願いしますね。そのあとは被害者の自転車の鑑定と……」
村木はデスクに積まれたファイルを凝視する。
「………それは、今日中に?」
マリコがきょとんとした顔で村木を見る。
………なんだろう、このデジャヴ。
「はい。なるべく早くお願いしますね」
マリコはにっこり答えた。
なるべく早く…。なるべくはやく…。なる…はや…。なるはや…。
何てこった!!!
天使のようなマリコの顔が、見慣れた顔とダブって見え、村木は頭を抱えた……。
***
「よぉ、徹夜明けか?」
屋上で眩しげに腕を伸ばすマリコへ土門が声をかける。
振り返ったマリコの顔に、ずいっとコンビニ袋が掲げられた。
「朝飯だ、食え」
「ありがとう…ってこんなにいっぱい?」
袋の中には、おにぎりとサンドイッチ、総菜パンに缶コーヒーとスムージー。
「残りは取っておけばいいだろ?」
コンビニに立ち寄ったはいいものの、今朝、マリコが何を食べたいのか考えているうちに、土門の提げたカゴは食料品でいっぱいになっていた。
実はこれでも減らした方なのだ…。
「そうね」
マリコは小さく笑うと、木陰に腰を下ろしてさっそくサンドイッチを取り出した。
パクリと口に含んで、もぐもぐと咀嚼する。
好みの味だったのか、目を細めながら飲みこみ、またパクリと齧りついた。
「美味いか?」
子どもみたいなマリコが可笑しくて、土門は少し腰を落とすと、マリコに目線を合わせて問いかける。
「ええ!」
マリコは唇の端にマヨネーズをつけたまま満面の笑みを浮かべる。
土門は笑いをかみ殺し、それを舐めとってやった。
一瞬の出来事にぽかんとしていたマリコだったが、徐々に顔を赤らめる。
「ちょっと土門さん!誰か見てたら……」
慌ててマリコは周囲を見渡すが、早朝の屋上に来る人間などまずいない。
「さっさと食え。鑑定が溜まってるんだろう?」
土門の言う通りである。
マリコは食事に集中した。
***
――― 見てしまった………。
決定的瞬間を目撃してしまいました!!!
ああ、榊さん。貴方はやはり土門刑事のものだったのですね……。
あわよくば、と、榊さんとのツーショットを狙ってあとをつけてきたのですが……。
屋上へと続く扉の影に立ち尽くし、私は打ちのめされました…。(Oh!ジーザス!!)
ショックのあまりどこをどう歩いたのかもわからないうちに、気づけば自分の研究室のデスクに突っ伏していました。
出勤した滝沢さんに起こされると、私のデスクにはおにぎりとお茶が置かれていました。
そのラインナップを見れば、誰の差し入れかは一目瞭然です。
……まぁ、遺留品が絡まなければ、たまーにいい人なんですけどね。
悲しくてもお腹は空くのですね。
一応、お礼を…とLINEを開くと、まさにその人物からメッセージが届いていました。
『失恋は新しい恋へのプロローグ、って誰かが言ってました』
慰めてくれているのでしょうが………糸村さん、怖いです。
どこで見てるの、あなた!?
***
屋上でマリコと別れ、廊下を歩いていた土門は、前をふらふらと進む村木に気づいていた。
以前はずいぶんと二人の逢瀬を邪魔してくれたし、今回はどうやら榊に懸想しているらしいと知り、土門は対抗策を考えていた。
そんな矢先、幸運にもチャンスが巡ってきた。
いろいろと策を凝らすより、“百聞は一見に如かず”だろうと、実力行使に出た。
壁に激突しながら歩く村木を見て、『この様子ならしばらく榊に近づくことはないだろう』と土門は胸を撫で下ろした。
fin.
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