たかが3音。されど3音。
土門から取り調べの話を聞いたマリコは、「そう」とだけ言うと黙ってしまった。
屋上から見下す町並みは昨日と何も変わらない。
でも、マリコの心は違った。大きな変化に戸惑い、乱れていた。
この事件はマリコが直接何かをした訳ではない。それどころか、被害者だ。それでも自分のせいで犯罪が起きてしまったことをマリコは悔いていた。
「気にするな、と言っても、お前は気にしちまうんだろうな」
「…………」
「男勝りでズケズケ捜査に口も手も出すくせに、変なところで繊細だからな、お前」
「わかった風なこと言わないでよ」
マリコの声は弱々しい。
「わかった風じゃない。わかってるんだ」
「嘘よ。私のことは私にしかわからないわ」
「それが何故か、わかっちまうんだよなぁ」
これだけ長い間側で見ていれば、それも当然だろう。
「お前、縣に負い目を感じてるだろう?」
土門はマリコに向き合うと、マリコの目を見た。
しかし、マリコは目を逸らしてしまう。
「同僚なのに、縣の自分に対する感情にまったく気づけずにいたことを申し訳なく思っている。自分が気づいていたら、事件は起きなかったかもしれないと後悔している。違うか?」
「…………」
マリコには答えられない。
土門は続けた。これだけは言わなければならない。
「お前が変わる必要はない。お前はお前のままでいいんだ」
「もう、何なの?土門さんには関係ないわ」
勝手に自己分析をされて、マリコは不機嫌になっていた。
「関係ない?だったら何で泣いてんだ」
「え?」
マリコは慌てて自分の顔に手をあてた。土門の言う通り、頬を涙が伝っていた。
マリコは自分の気持ちを持て余していた。頭も気持ちもぐちゃぐちゃだ。科学者が聞いて呆れる。
でも、無性に悲しいのだ。悔しいのだ。
事件のため、被害者のために頑張ってきたことが、人を傷つけ、新しい事件を起こしてしまう。それなら、自分はこれからどうすればいいのだろうか。考えれば考えるほど涙は止まらず、マリコの頬を流れ落ちていく。
土門はその涙を拭こうと手を伸ばし、手前で止めた。
「お前は関係ない男の前で泣く癖でもあるのか?だったら止めたほうがいいな。誤解させる」
「誤解?」
「ああ。お前が自分に気があるんじゃないかってな。俺以外の男なら誤解するぞ」
「土門さんは誤解しないの?」
「…………して欲しいのか?」
「…………わからない。でも」
マリコは泣き顔を隠すこともせず、続けた。
「私、泣き顔を見られるなら、土門さんがいい」
「何を言ってるかしら?」とマリコは他人事のように自分の言葉を聞いていた。
この前、早月に言われたことが脳裏を過ぎる。
『土門さんのこと、どう思ってる?』
今の気持ちは、恋とか愛なんて言葉には変換できない。ただ。
そう、ただ。
土門さんがいい、それだけだ。
今のはどういう意味だ?と土門は考える。
必死の思いで止めたこの手を伸ばしてもいいのだろうか?
触れても……いいのか?
土門は宙ぶらりんで止まっていた手を伸ばし、マリコの涙を拭く。半分乾きかけていた頬は、濡れてひんやりとしていた。
「俺は見たくないぞ」
マリコが息を呑む。
「そうよね。ごめんなさい」
きっと今の自分は混乱している。マリコはここから立ち去ろうと、背を向けた。
しかし、土門がそれを阻んだ。
「話は最後まで聞けよ。俺はお前の泣き顔より笑顔のほうが見たいんだ」
マリコは驚いて、思わず土門を見た。
「だから、榊」
土門はこわごわ手を伸ばすと、そっとマリコの体を抱き寄せた。
マリコは逆らわなかった。されるがままその腕に収まり、土門にすべてを預けた。
「泣くな。俺はお前を丸ごと受け入れる覚悟がある。いいところも、悪いところも、全部。約束だ。だから、もう泣くな」
何だろう。気持ちが落ち着く。
土門の声を聞くたびに、心が温かくなる。
マリコはうっとりと目を閉じた。
「榊?聞いてるのか?」
「聞いてるわ。私のこと、丸ごと受け入れてくれるんでしょう?」
「ああ。心も。もちろん、体もな」
「言い方が何だかいやらしいわ」
「お前も俺のこと、よく分かってるじゃないか」
からかわれたようで、マリコは土門を睨んだ。
「睨むなよ。今、俺が何を望んでいるのか。お前ならわかるよな?」
急に真面目な顔になって、土門はマリコを見つめた。
「さあ。どうかしら」
とぼけるくせに、頬を真っ赤にして目を閉じるマリコ。
土門はその唇に軽く触れた。
「お前のそういうところ、嫌いじゃない。むしろ……」
そう言うと、今度は深く口づける。
マリコも応えるように顔を上向けた。
簡単なはずなのに、こんなにも迷っていた。
でも。
今、伝えなければいけない。
今、届けなければいけない。
「好きだ」
「好きよ」
fin.
14/14ページ