好きにして
土門とそんなやり取りをした週末、マリコは翼から食事に誘われた。
翼は小洒落たイタリアンを進めてくれたが、仕事帰りのマリコは『そういう場所には相応しくない服装だから』と丁重に辞退した。
代わりに、こじんまりとした小料理屋を選んだ。
カウンターの席につき、再会を祝して乾杯する。
料理が運ばれるまでの間に、マリコは土門へ店の場所を連絡しておいた。
返信はなかったが、すぐに既読がついた。
それから、二人はいろいろな話をした。
当時を懐かしむ失敗談や、共通の知人である翼の伯父の近況。
マリコは科捜研に入ってからのことを、翼は弁護士になるまでの経緯を、時間を忘れて、これまでの空白を埋めるように矢継ぎ早に話し続けた。
翼はマリコの話を興味深く聞いていたが、ひとつだけ気になることがあった。
それは、どの話にも最後に必ず『それで土門さんがね……』とマリコが口にしたことだった。
翼は、府警で対面した土門という刑事を思い出す。
自分がマリコと話すたびに不快そうな顔をしていた。
もしかして、土門とマリコは……。
負けられない…、翼は口許を引き締めた。
かれこれ3時間近く経ったころ、だいぶ酔いが回ったのか、マリコは眠そうな表情で頬杖をついていた。
「マリコ先生。大丈夫ですか?」
「……ん」
「家まで送りますよ」
「………」
翼は会計を済ますと、力の抜けたマリコを背負って店を出た。
大通りでタクシーを拾うつもりだったが、店のすぐ近くに土門がいた。
道路脇のパーキングに車を止め、車体に寄りかかっている。
「やっぱり潰れたか」
土門は翼に近づくと、背負われたマリコを見る。
「悪いな。こいつは俺が送っていく」
土門の声が聞こえたのか、マリコが翼の背中でみじろぐ。
「大丈夫です。俺が……」
「ん……土門さ、ん 」
翼の声に重なるように、マリコが呟く。
初めて聞く、マリコの甘えるような声に、翼は固まった。
土門はマリコの頬をぺちぺちと軽く叩きながら、声をかける。
「おい、榊。下りろ。俺が送っていく」
「……ん」
言われた通りに、マリコは翼の首から手を離すと、側で待っている土門にもたれかかるように背中からおりた。
土門はそのままマリコを支え、シートをリクライニングした車の助手席に座らせた。
「土門さん、待ってください!」
土門が振り返る。
「僕は、あなたには負けない!マリコ先生を絶対手にいれてみせる」
翼は土門に挑むように、言い放った。
しかし、土門は……。
「手にいれる?出来るものならやってみろ……」
翼への対抗というよりも、本心からの言葉だった。
「俺でさえ手にいれあぐねてるってのに……。あいつは誰の手にも落ちない。榊は榊だけのものだ」
そういうと、土門は助手席で眠るマリコを見た。
「あいつの羽を手折って、自分だけの鳥籠に入れられたら…と何度も思った。だがそんなことをしたら、あいつはあいつでなくなる。榊マリコという名前の脱け殻になっちまう……」
久しぶりに心を乱す相手が現れたせいだろうか?
土門はしゃべりすぎた、と顔を歪める。
そして、マリコが世話になった礼を述べると、車を発進させた。
あとに残された翼は、ひとり土門の言葉を反芻していた。
土門はああ言っていたが、マリコとの会話の端々に表れる土門の名前と、彼の名を呼ぶマリコの声色を思い返せば、二人の関係についてすぐに答は出た。
しかし……。
土門は気づいていないのだろうか?
マリコがすでに土門の鳥籠の中にいることに。
羽を持ったまま、自分の意思で。
「要するに、マリコ先生も土門さんにベタ惚れってことだよな。何だよ……同じマウンドに立つどころか、そもそも球場にすら入る余地なしってことかよ……」
翼はため息をつきながら、両手を頭の後ろへ回すと、損な役回りを引き受けた自分を笑った。
それでも、マリコが幸せになるのなら…まぁ、いいか、とかつて憧れたころの彼女を思い出した。
そして少しだけ軽くなった足取りで、大通りへと消えていった。