あなたを忘れるくらいなら
翌日、DNA鑑定の結果が出た。
マリコは土門を自分の鑑定室へ呼び出した。
「結果が出たんだな?」
「ええ」
「それで?」
「榎並さんは、理久くんの父親で間違いないわ」
ほっ、と土門は詰めていた息を吐いた。
「そして、理久くんのお母さんの傷口と凶器に付着していた血痕とも一致したわ」
「そうか。理久には?お前から話すか?」
「ええ」
「わかった。これでハッキリしたな。この事件…」
「……………自殺ね」
マリコは悲痛な声で結論を口にした。
「土門さん、榎並さんに事件の真相を伝えてもらえないかしら?」
「分かった。榎並さんには重い事実だろうが、これから理久の人生を背負うなら、必要なことだろう」
「ありがとう、土門さん」
約束通り、土門は榎並にDNA鑑定の結果を伝えた。そのうえで、大切な話があると府警に呼び出した。
「土門さん、連絡ありがとうございます。息子に会わせてもらえるんですよね?」
「はい。ただその前に、この事件の真相をお話しさせてもらいます。その後で息子さんの所へご案内しますよ」
「わかりました。しかし、真相というのは…犯人がわかったということでしょうか?」
「いいえ、違います。この事件に犯人は存在しません」
「え?…………」
榎並はしばらく絶句した。
しかし何かを感じたのか、居住まいを正すと「お願いします」と土門の話へ耳を傾けた。
「改めて彼女の主治医に確認したところ、彼女の認知症状は、時々、今話している相手が誰なのか、認識できなくなるほど進行していました。そんな中で、彼女は主治医にたずねたそうです。『自分はいつか息子のことが分からなくなるのでしようか』、と。そのときの彼女の真摯な表情に嘘や誤魔化しをしてはいけないと感じ、主治医は正直に答えたそうです。
『おそらく数ヶ月の間には、息子さんを認識できなくなってしまうでしょう』
それを聞いた彼女は、ただ『そうですか』とだけ答えた。そのとき、彼女は最後の砦であるあなたに息子さんを託そうと考えた。ただそこには障害もあった。今やあなたは業界の有名人です。自分の話を信じてくれるのか、障害を持つ理久くんを息子として認めてくれるのか。悩んだ末に、彼女の取った行動が自死でした」
土門は榎並の前に、一枚の写真を置いた。
「この刃に見覚えはありませんか?」
「これは、私が昔使っていた包丁のようですね」
「彼女はこれを大切に保管していたようです」
「なぜ、こんな物を?」
「刃の一部にあなたの血液が付着していたんです。覚えがありますか?」
「わかりません。ただ見習いの頃は、うっかり指を切ってしまうことなんて何度もありましたから」
「この刃が彼女を刺した凶器です。この刃が使われたことで彼女の傷口からあなたのDNAが見つかり、それが息子さんとの親子関係の決め手となりました。これは自分の考えですが…ここまで考えて、彼女はこの刃を凶器に選んだのかもしれません。若年性認知症と診断された彼女は自分の言葉の信用性が弱いことを痛感していた。だから、あなたと理久くんの関係を証明するための動かぬ証拠を用意した。そしてあなたと理久くんに迷惑をかけることを何よりも恐れ、自殺することを選んでしまった」
「バカな…。そんなこと、ひと言言ってくれれば信じたのに。命をかけることなんてなかった。私が君と理久を支えたのに……」
榎並は声を震わせていた。
「嫌いになって別れたわけじゃない。実際、私は今も独身です。彼女以上の人を見つけることができなかったからです」
「同じ後悔を二度としないために、これからは息子さんを守ってあげてください。お母さんの代わりに」
「……はい」
榎並が頷くと、男涙がただ一粒…床へ小さなシミを作った。
