あなたを忘れるくらいなら
土門が「すぐに息子と会うことは難しい」と伝えると、榎並は意外にもすんなり引き下がった。
親子鑑定もそうですが、理久の気持ちもあるでしょうから…と淋しげに頷いた後、榎並はこれまでのことを語り始めた。
「私は8年前スイーツのコンクールで優勝し、フランスで修行することが決まっていました。彼女とはそれで別れました。私の夢を尊重してくれたんです。でもまさかその時、彼女が私との子を身ごもっていたとは…知りませんでした。3年前に一度帰国した時も連絡はなく、彼女とは8年前に別れたきりでした。だからこの手紙を読んで本当に驚きました。それと同時に、自分の子どもに会いたくなったんです。身勝手だと思われるかもしれませんが」
「いえ」
土門は余計なことは言わない。
「彼女の手紙には息子の抱える障害について、私の将来を考え、本当なら黙っておくつもりだったと書かれていました」
「ええ」
「彼女は息子のことが分からなくなってしまうことが何より怖いと悩んでいた。進行が早いこともあり、おそらく彼女は私に何もかも伝えることを決断したのでしょう。そのうえで息子のことを頼むと」
確かに手紙にはそうした趣旨の内容が書かれていた。彼女の不安と後悔がにじみ出るような文面だった。
「それで、榎並さんはこれからどうするおつもりですか?」
「独身の私には子どもがいる生活なんて想像もできませんし、さらに目が不自由となると、正直、途方にくれました。でも子どもがいると知ったその瞬間、『会いたい』と思ったんです。大変なことは目に見えています。でも彼女はそれを一人で乗り越えてきた。だから、これからは私がその役目を引き継ぎたいと思っています」
「息子さんを引き取るつもりだと?」
「あの子が…父親として認めてくれるなら」
土門は無言で頷く。
そして親子鑑定の結果が出たら知らせる約束をし、榎並は帰っていった。
これであの二人が親子だと証明されれば…おそらくマリコの仮説は正しい、そう土門は直感していた。
