あなたを忘れるくらいなら
捜査から4日が過ぎ、いよいよ理久を科捜研で預かり続けることが難しくなってきた。藤倉は他県の施設へ預けることも視野に、受け入れ先を探すよう部下に指示を出した。マリコをはじめ、科捜研のメンバーは皆心配しているが、どうすることもできない。
理久も何かしら感じ取っているのか、ここ数日は大人しく点字の本を読んだり、音楽を聞いたりして過ごしている。
そんな折、一人の男性が京都府警をたずねてきた。彼は受付の女性署員に「盲目の男の子のことで話がある」と言った。すぐに土門へ連絡が入り、土門は蒲原と連れ立ってエントランスへ降りてきた。
「あの、すみません」
土門が呼びかけると、男は軽く頭を下げた。
「捜査一課の土門と言います」
「同じく蒲原です」
「突然すみません。榎並と申します」
そう名乗った男は40台前半といった見た目で、清潔感のある身なりをしていた。
「榎並さん、あなたは盲目の男の子とどういうご関係ですか?」
「土門…刑事さん。私は一昨日まで仕事でオーストリアにいました。日本へ戻る機内のニュースで事件のことを知り、自宅へ戻ってみたら、こんな手紙が届いていました」
榎並は数枚の便箋で膨れた封筒を土門の前に差し出した。
「拝見しても?」
「どうぞ」
土門は手紙を開くと暫く無言で読み進め、読み終えると蒲原へ渡した。蒲原は目を通すうちに驚きの表情を浮かべていた。
「榎並さん、この手紙の筆跡鑑定をさせてください」
「はい」
「ところで、あなたが父親だと証明できますか?」
榎並はその場で髪の毛を抜く。
「これで親子鑑定をしてください」
土門はハンカチに毛髪を挟む。
「刑事さん。あの子に、息子の理久に会わせてもらえませんか?」
「今はダメよ」
土門から榎並の話を聞いたマリコだが、面会について頑として首を立てに振ろうとはしなかった。
「本当に理久くんの父親なのか、DNA鑑定の結果を待って」
「しかし、この手紙の筆跡は母親のものに間違いないと、所長が鑑定したんだろう」
土門は榎並から預かった手紙の鑑定を日野に依頼していた。
「その手紙を持っていたからといって、父親だという証拠にはならない。不確定な情報で、理久くんを不安にさせたくないの」
「榊。お前…あの子と何かあったのか?」
「……………別に」
理久が他県の施設へ預けられるかもしれないという話が出た日の夜、マリコの枕元へやって来た理久が言ったのだ。
「一緒に寝てもいい?」と。
「いいわよ」
マリコは理久を布団の中へ招き入れた。仮眠用のシングルベッドは決して広くはない。マリコと理久はくっついて目を閉じる。
「マリコってさ」
「うん?」
「ママと同じ匂いがするんだ」
「え?」
「あの日、ママが死んだ日。いろんな大人が一杯来て、足音とか話し声とかがぐちゃぐちゃに聞こえて、逃げたくなったんだ。でもその時、マリコが近づいて来て…ママだと思った」
だから理久は突然マリコの白衣にしがみついたのだ。
「すぐにママじゃないってわかったけど、同じ匂いがして、マリコのそばにいたかったんだ」
この子はまだ7歳だ。
たった7年しか生きていない人生の中で、こんなにも過酷な運命に翻弄されている。
マリコは理久の頭を優しく撫でた。
「もう寝ましょう。大丈夫よ、きっと大丈夫」
そんなことがあって、マリコは慎重になっていた。
理久は父親に会ったことがないと言っていたし、そもそも榎並は自分に子供がいたことも、手紙を読むまで知らなかったと言うのだから。
