あなたを忘れるくらいなら
その夜、数週間ぶりにマリコは自宅へ帰った。
着替えを取りに戻ることはあったが、閉め切った部屋は空気が淀んでいるようだ。遅い時間だが、マリコは窓を開け放ち空気を入れ替えた。
「やっぱり自宅はいいな!」
「ちょっとぉ…それは、私のセリフよ!ところで、何で土門さんがいるのかしら?」
「ようやく理久のお守りから開放されたんだ。今までおあずけを食らったぷん、今夜は俺にお前の時間をよこせ」
「私、今夜はゆっくりしたいんだけど……」
「まかせろ。マッサージをしてやる」
「結構よ」
マリコは危機を感じ、土門の側から飛び退いた。
「なんだよ。そもそも、二人の誕生日を祝う予定が伸び伸びになっただろう?温泉もキャンセルになっちまったし、だからせめてこれで……」
ドンと土門がテーブルに置いたのは、どこに隠し持っていたのか、高級そうなスパークリングワインのボトルだった。
「誕生日用に準備してたんだ。奮発したんだぞ」
「土門さん…ありがとう!」
「おう。冷やして来た。乾杯しないか?」
「ええ。グラスを持ってくるわ」
細いガラスの筒に、透明な気泡と、黄金色の液体が揺れる。
「事件解決と、誕生日と、明日の非番、おめでとう!」
「え?非番も?」
「別にいいだろ、ほら」
「「乾杯!」」
小気味のいい音が二人の耳に木霊する。高級な酒は、味も、のどごしも最高で、いつもより早いペースでグラスが空になっていく。
ボトルが空になるころ、土門はマリコの膝に頭を乗せ寝息を立てていた。
「土門さん、風邪ひくわよ」
揺らしてみても、ピクリとも動かない。
「大変だったものね……」
マリコは知っている。
土門は事件の捜査だけでなく、理久と榎並が問題なく暮らせるようにあちこち奔走してくれていたのだ。
世間の口さがない噂から理久を守ること。
榎並の仕事に影響しないようにすること。
「ありがとう。大好き」
マリコが土門の頬に触れると、前触れもなく目が開いた。
「知ってる」
「土門さん!起きてたの?」
「いや、本当に一瞬寝落ちしてたみたいだ。心地いいんでな」
土門はマリコの太ももをするりと撫でる。
「だめよ!」
「何で?」
「え?」
「何でだめなんだよ。理久とは一緒に眠ったり、抱きしめたりしてたじゃないか」
一体誰に嫉妬して、何を言っているのか。
土門は慌てて口を閉じ、くるりと顔を背けた。
「それは、私がしたかったからなの。次は土門さんがしたいことをすればいいわ」
「え?」
「土門さんは理久くんのこと、沢山協力してくれた。それって私のためでもあるでしょ?」
確かに。
マリコが悲しむ顔を見たくなくて、自分でも必要以上にあの親子には関わっていたと思う。
「だから今度は土門さんの番。土門さんは何がしたい?」
「俺は……」
土門が膝枕のまま上を向くと、自分を見下ろすマリコと視線がぶつかる。
「明日一日、お前とゆっくりしたい。うまい飯を食べて、本を読んだり、映画を見たり、ゴロゴロ昼寝をしたり…そんな一日を過ごしたい」
「そんなことでいいの?」
「けっこう贅沢だと思うぞ?」
「そうかしら?」
「そうさ。そうと決まれば、そろそろ……」
土門はマリコの腰に腕を回す。
「ち、ちょっと!ゆっくり過ごすんじゃなかったの?」
「それは明日。明日はゆっくりできるからな。今夜は少々張り切るぞ!」
ニヤリと笑う土門の手が、するするとマリコの体を這い上がる。
「もお!」
その手を捕まえると、マリコはゆっくりと体を折り曲げる。そして顔が近づくと、マリコは土門に唇を重ねた。
「ちゃんと加減してよね」
土門はマリコのうなじを引き寄せ、唇を奪い返す。
好きな女からのyesに、体温が上昇していくのを止められない。
「そりゃ、無理ってもんだろ」
口づけの合間、マリコには残念なお知らせだった。
fin.
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