経年想化
「そうか。古牧にとっては苦い捜一デビューになったわけだ」
約束の2週間が過ぎ、土門は馴染みの立呑みで、藍子へ古牧の報告をしていた。
自分とマリコの関係は隠したまま。
「すみません」
「別に土門が謝ることじゃない。もともと無茶な要望だった訳だし、何より仕事に恋愛感情を持ち込むようだと、古牧も一人前になるのはまだまだ先だな」
それにしても、と藍子は残りの少ないグラスの中身を飲み干した。
「科捜研には大した女傑がいたものだ」
女傑か…と土門はマリコの顔を思い浮かべる。
自分と二人のときは、普通の女と変わらない。多少、変わり者ではあるが。
そんなことを思っていると、ふっと笑う息が漏れていたらしい。
「ふーん」
藍子は頬杖をつくと、土門を見る。
「何ですか?」
「何でもない」
藍子はニヤけた顔でとぼける。
「いや。その顔は絶対に何か企んでいますね!」
「別に。その女傑に会ってみたいと思っただけ。あ!ちょうどいいから、電話してみな」
「き、勤務時間外です」
土門の生え際に嫌な汗が浮かぶ。
「警視からの呼び出しなら来るだろう」
藍子は引き下がらない。
「職権乱用じゃないですか?」
「だから?とにかく、呼び出しな」
藍子は完全に土門で遊んでいる。
「し、しかし…」
「それが無理なら、さっさと吐け」
「は、吐くって、何をですか?」
「その科捜研の女がアンタの恋人なんでしょ?」
「……………」
「素直に吐けば楽になるぞ?」
「昭和の刑事ですか…」
呆れた土門だが、刑事としても、上司としても、先輩の藍子にはどう足掻いても頭があがらないのだ。
もはや刷り込みに近い。
「たしか、榊さんだっけ?」
土門はついに観念し、ため息とともに「そうです」と答えた。
「結婚するつもり?」
「わかりません」
「そうか」
「でも…」
「ん?」
「手放せそうにありません」
そのセリフに藍子は声をあげて笑った。
「アンタにそこまで言わせるなんて。そりゃ、古牧ごときには手に負えないだろうね」
ひとしきり笑った後で、藍子は空のグラスを土門のグラスに合わせた。カチンと乾いた音がする。
「大事にしなよ」
「そのつもりです」
土門もグラスの中身を飲み干した。
蒲原が復帰してから数日。
ようやく日常が戻った二人は、いつものように屋上で短い逢瀬を楽しんでいた。
「土門さん。あの時、いつから聞いてたの?」
あの時、とはマリコが古牧に言い寄られた日のことだ。
「最初から、だな」
「いじわるね。早く助けてくれればよかったのに」
マリコは小さく唇を突き出した。
「すまん。でもお前の素直な気持ちなんて、なかなか聞けるものじゃないからな」
「知りたかった」、と土門は正直に答えた。
「もう、ずるい!」
赤くなったマリコはくるりと背中を向ける。
その時、吹き抜けた風がマリコの項を晒した。
白い肌に、自分のつけた印を見つけて、土門は目を細める。
なぜだろう、と土門は時々不思議に思うことがある。
こんなに長い間隣りにいるのに、今でもマリコに会えない日は、不安に感じる。会えないなら、せめて声が聞きたいと、大した用もないのに電話をかけてしまうこともしばしばだ。
マリコが知れば、笑うだろう。たとえ笑われたとしても、自分の知らないところで、マリコが別の男に笑顔を向けたり、楽しそうに話したりすることが癪に触るのだ。
土門はマリコに近づくと、背後からその体を抱きしめた。
「俺だけの、お前でいてくれ」
無理なことは百も承知だ。
でも、願うだけなら罪にはないだろう。
「え?なに?」
土門の独り言は、マリコの耳には届かなかったようだ。
だが、それでいい。
土門は膝を落とすと、マリコの耳の後ろに唇を押し当てた。
俺のものだという証。
我を通しているのは、自分のほうか?
ふっと笑う息遣いを感じ、マリコは振り向いた。
「見えるところにはつけないでって何度も言ってるでしょ!」
「以後、気をつける」
守る気のない口約束なのは、見え見えだ。
「もう…」
拗ねて怒ったその顔も。
呆れた顔も。
どんな表情も、しぐさも。
見れるのは、俺だけでいい。
fin.