経年想化
翌朝、古牧は科捜研へ向かっていた。マリコから鑑定結果を受け取るためだ。
渡り廊下を歩いていると、すれ違った女性警察官の会話に足が止まった。
「今朝、土門さんの車を見かけたんだけど…榊さんが一緒だった気がするんだよね」
「ああ、私も見たことあるよ。時々送迎してるみたい。ほら、榊さんて自転車じゃない?雨がすごい時とか、パンクしちゃった時とか」
「ふーん。あの二人って付き合ってるのかな?」
「そこは微妙だよね。でも、付き合ってるって聞いても、何にも驚かないけどね」
「確かに。ずっと一緒にいるし。お似合いだよね」
「夫婦感出てるし?」
「そうそう」
二人は笑いながら、階段の方へ歩いて行った。
「………………………」
古牧は耳を疑った。
榊さんと、土門さんが?
そんなこと…思ってもみなかった。
古牧はマリコに好意を持っているが、それは尊敬や憧れであり、恋愛感情とは違うと思っていた。
しかし、それは「これまで」の話。
マリコが「誰かのものかもしれない」そう聞いてから、古牧の胸のざわつきは収まらない。
考えながら歩いていると、気づけば科捜研に着いていた。
「古牧さん、おはよう。寄ってもらって悪いわね」
古牧に気づいたマリコが封筒を持って、パタパタと近づいてくる。
「はい、これ。土門さんに渡してね」
「………土門さんに、ですか?」
「え?ええ。そうよ。お願いね」
「…………………はい」
時々送迎しているみたい…
付き合っているのかな…
ずっと一緒にいる…
お似合いだし…
『土門さんに渡してね』
さっきの女性たちの会話と、マリコの言葉が何度も脳裏で繰り返される。
古牧はこの数日のことを思い返してみた。
外回りではない日、土門は時折ふっと姿を消すことがある。時間にすれば30分程度のことだが、何をしているのか古牧は知らない。
もしかしたら?
男の勘、とでも言おうか。
古牧は今日一日、土門の行動を見張ることにした。
昼飯を終え、暫く経った頃、土門がデスクから立ち上がった。誰にも何も言わず、ふらっと刑事課を出ていく。トイレは土門が向った先とは逆方向だ。古牧も立ち上がると、静かに土門の後を追った。
土門が向った先は屋上だった。
「ただの休憩か?」
ところが、背後から別の足音が聞こえ、思わず古牧は自販機の影に隠れた。
靴音の正体はマリコだった。白衣のポケットに手を入れ、急ぐでもなくこちらへ向かってくる。そうして、屋上へと吸い込まれていった。
「………………」
二人が何を話しているのか、何をしているのか、古牧は気が気ではない。
胸のザワつきは収まるどころか、激しくなる一方だった。
たとえ上司でも、自分の知らないところで、マリコの笑顔を見るのは許せない。
もし、その手に触れるのだとしたら…。
「俺は耐えられない」
独りごちて、古牧は強く拳を握る。
自分は何てマヌケな男なのか。
何が尊敬だ。憧れだ。そんなきれいごと…本心は全然違う。
「俺は…榊さんが好きなんだ」
吐き出された言霊はもう戻らない。
強い意志を持って、古牧を突き動かそうとしていた。
そういえば、と思い出したように、マリコは隣の土門を見上げた。
「何だ?」
「古牧さんがね、土門さんの下で勉強させてもらってます、って感謝していたわよ」
「そりゃ、本心か?甚だ怪しいな」
土門は苦笑する。
「そんなことないと思う。実際、一生懸命土門さんについていってるじゃない。あと1週間しかないのに」
土門は軽く頷くだけだ。
確かに部下としては育て甲斐のあるタイプなようだ。
一度、訓練場で射撃を見せてもらったときは、圧倒的な精度の高さに舌を巻いたものだ。
しかしこれ以上、土門は古牧の面倒を見ることはできない。自分には蒲原がいる。土門は残りの刑事人生で蒲原を育て上げることを目標の一つに掲げている。もちろん、誰にも言ってはいないが。
それに、一日でも早く古牧を本来の配属先へ戻したいというのが土門の本心だった。
期限が近づくにつれ、嫌な予感ばかりが頭を過るのだ。
土門は隣で伸びをするマリコを見つめる。
「なに?」
「いや」
このまま何事もなく2週間が過ぎるよう、土門は願うのみだった。