経年想化
デスクで震えるスマホに視線を向け、珍しい人物からの着信に土門は眉を上げた。
作りかけの報告書を一時保存し、スマホを手に取った。
「はい、土門です」
『真田だ。土門、久しぶり』
「お久しぶりです」
『急に連絡して申し訳ない』
「いえ」
『実は頼みたいことがある。近いうちに少し時間を作ってもらえないか?』
「自分はいつでも構いませんよ」
『そう?じゃあ…早速だけど、今夜。あの立ち飲み屋で』
「わかりました」
事務的に約束を取り付けると、相手からの電話は切れた。向こうも仕事中なのだろう。背後で忙しない周囲の声が聞こえていた。
今しがたの電話相手だ。
土門の2年先輩で、過去には同じ事件を捜査したこともある。もともと捜査一課の優秀な刑事だったのだが、一人息子が事故に遭い、身体が不自由になったことをきっかけに自ら内勤へと異動を願い出た。
そんな経験を持つ彼女に、土門は自分に異動の内示が出た際、相談にのってもらったことがある。
今回はその逆らしい。
思えば、藍子から個人的に頼み事をされるのは初めてかもしれない。
一体、どんな内容なのか…。
考え込みそうになる土門だったが、予想するには材料が足りなさすぎた。あと数時間もすれば、本人の口から聞くことができるのだ。
土門は考えるのを辞め、報告書の作成へ意識を戻した。
藍子と約束した立ち飲み屋は、平日だというのに混雑していた。
「土門!」
壁際から声が上がる。
土門は藍子を見つけると、テーブルへ向かった。
「遅くなりました」
「大丈夫。悪いね、忙しいのに」
職場を離れれば、藍子もくだけた口調に戻る。
運ばれてきた生ビールで乾杯を済ますと、藍子は土門にたずねた。
「前に話していた彼女とは上手くいったみたいだね?」
警察学校へ異動の内示が出た際、土門は藍子へ相談を持ちかけていた。刑事として残るか、一線を離れるか…土門にとって、ちょうどセカンドキャリアを考える年齢でもあったからだ。
その時、土門は仕事だけでなく人生についても考えていた。いずれ、伴侶として迎えたい相手がいる。その人のことも考え、気持ちが揺れていたのだ。
そんな土門に、藍子は、まずその相手と話し合うよう促した。
聞かなければ、相手の気持ちはわからない。
その結果、土門は今も刑事を続けている。
「あのときは世話になりました」
「ぜーんぜん。ねえ、土門の好きな相手って誰?」
「……………黙秘します」
「私には世話になったんでしょ?教えてくれてもいいんじゃない?」
「それはそれ、これはこれ、です」
教えようものなら、会うたびからかわれるに決まっている。何なら、どんな相手か見に行った挙げ句、余計なことを言い兼ねない。
「ケチ」
「何とでも。それより、今日は真田さんの頼み事ですよね?」
「そうだった」と藍子は、カバンからクリアファイルを取り出した。
そこには、警察官の身上書が挟まれていた。
「これは?」
「うん。つい先日、捜査一課で退職者が出ただろう?」
「ええ」
別の班の若手刑事だが、捜査の過程で負傷し、それが原因で退職を願い出たと、土門は聞いている。
「その補充要因として、彼が決まった」
「はぁ…」
正直、土門にはあまり関わりのない話だ。所属は同じ捜査一課になるが、同じ事件を担当する確率は低い。
「彼…
「自分の?」
土門は眉を潜める。
面識はないはずだ。少なくとも土門には見覚えがない。
「少しややこしい話なんだけどね…」
藍子の話によると、やはり、古牧巡査は土門と面識はないらしい。そんな彼が何故土門の班を希望しているのか。
古牧巡査の所属は少年課だ。ある日の巡回中、彼は外国人労働者がスーパーの片隅で店員らしき男性に叱責されている場面に出くわした。漏れ聞こえてくる声から、どうやら外国人が万引きをしたらしいと古牧は判断した。
詳しい話を聞こうと、古牧が二人に近づいたとき、店内から一人の女性が出てきた。
「その人、万引きなんてしてませんよ!」
二人が驚いて女性を振り返る。
「え?」
店員は事情が飲み込めず、外国人と女性を代わる代わる見ているだけだ。
見かねた古牧が身分証を手に、いよいよ間に割って入った。
「警察です。どうされました?」
「あ、おまわりさん」
店員はホッとしたように、これまでの経緯を早口でまくし立てた。
「君は万引きをしたの?」
「ワタシ、シテナイ。ヌスンデ、ナイ」
外国人は持っていた袋の口を広げ、中を見てみろと促す。
古牧と店員は中を覗いてみたが、スマホしか入っていなかった。
古牧は女性にも確認した。
「あの、あなたは彼が犯人ではないと仰っていましたが、すっと彼を見ていたんですか?」
「いいえ。そうではありませんが、私はずっとこの方の後ろを歩いていました。そんな状況で万引きなんてするでしょうか?」
古牧は苦い顔だ。
たまにいるのだ。
ドラマから変な知識を真に受ける一般人が。
「でも、あなたが見ていない瞬間を狙って犯行に及んだ可能性はゼロではありませんよ」
「もちろんです。ですが、その方の持っている袋、中身はほとんど入っていませんよね?」
「スマホだけでしたね。でも隠し場所は荷物だけとは限りません」
「服の中に隠すような素振りを見せれば、挙動不審で気づくと思いませんか?」
「手慣れた常習犯かもしれません」
ああ言えばこう言う相手に古牧もムキになっていく。
「そう、見えますか?この方が?」
「………………」
女性の言うとおりだった。
もし万引き犯だとしても初犯だろう。古牧の目にも、そう映った。
「冷静に考えれば、万引きをする準備や行動をしていないことは分かります。もし外国の人というだけで疑いを持ったのなら、彼に謝罪すべきです」
女性は店員に向けてハッキリ口にした。
「あ、いけない!」
突然女性は焦った声を上げた。
「私、仕事に戻らないといけないんです。もしまだ証言が必要ならここに連絡してください…あ。名刺…忘れた。そうだ!」
女性は持っていた封筒の一部を破り取る。
古牧の手に投げ渡された切れ端には、京都府警科学捜査研究所と印刷されていた。
そこまで聞いて、土門は嫌な予感に襲われた。
「結局、女性の証言通り、外国人は万引き犯ではないとわかったそうだ」
藍子は話を続ける。
「古牧はその時の自分の対応を恥じると同時に、女性に対して尊敬の念を抱いたらしい。科捜研で彼女と一緒に働いてみたい。でも古牧に化学の知識はない。そんな時、捜査一課への異動話が持ち上がった。古牧は噂を聞いたんだそうだ。科捜研と協力関係にある刑事のことを」
「それが自分、ですか?」
「そう。それでアンタの下につきたいと希望を出した。どうかな?土門」
「話はわかりました。しかし、何故真田さんがわざわざ自分に相談を?古牧とは知り合いなんですか?」
「古牧は警察官になる前、クレーン射撃のオンピック候補生だったんだ」
「そう、でしたか」
土門は得心がいった。
実は、藍子も古牧と同じ経歴の持ち主なのだ。
「本人とは面識もないんだけどね。変わり者繋がりで、私のところに上から話が来たってわけ。そういう背景を持ってると、何かと世間の話題になりやすいからね。悪いけど、頼むよ」
「2週間です。それなら引き受けます」
「2週間?」
「ええ。その間、ちょうど自分の相棒が研修なんですよ」
「なるほどね!わかった。古牧にはそれで承知させる。もともと補充が必要なのは別の班だし、本当ならそんな我儘通らないはずだなんだから」
期限付きでも当人の希望は叶ったことになる。肩の荷が降りたのだろう、藍子は半分残ったビールを飲み干した。
「ところで、話は戻るんだけどさー」
肘を付き、目を細める相手に、土門は先手を打った。
「自分の話ならしませんよ」
「えー。いいじゃん、教えてくれたって。土門の好きな相手ってどんな人なのか興味あるー」
様子がおかしいと感じた土門は、藍子の手元にある伝票を確認した。
「真田さん。俺が来るまでに何杯飲んでるんですか…」
伝票にはオーダーしたジョッキの数、『正』の字がいくつも並んでいた。
「もう帰りましょう。歩けますか?」
「えー。もっと飲む」
「タクシー呼びますから、大人しく帰ってください。息子さんが心配しますよ」
「むぅー」
藍子のアキレス腱は息子だ。
事故で体が不自由になった息子のことを言われると、藍子は大人しくなるのだ。
「息子さん、仕事は順調なんですか?」
「うん。頑張ってるみたいだ」
心底嬉しそうな藍子。
彼女にとって息子は家族であり、戦友であり、恋人にも近い存在なのだろう。
奥さんになる人は大変だな、と余計な心配をしながら、土門はタクシーを呼び出した。
1/8ページ