Especially for you
それから5日後、マリコは仕事に復帰した。
すでに藤村の身柄は送致され、科捜研から事件の痕跡は綺麗に消されていた。マリコを慮ってのこともあるだろう。嫌な記憶なのだから。
いつものように鑑定依頼をこなしつつ、マリコは息抜きに屋上へ上がった。ここへ来るのは久しぶりな気がする。
扉を開けると、青空といつもの顔が待っていた。
「よお!もう体はいいのか?」
「ええ。早く復帰しないと、仕事がすすまないって誰かさんに文句を言われちゃうから」
「そんなこと言う奴がいるのか?」
土門は笑いながら白を切る。
「見舞いに行けなくて悪かったな」
「送検の準備で大変だったんでしょ?」
土門は藤村の送検をことのほか急いだ。それはマリコのことが、世間で面白可笑しく報道されることがないように。
「蒲原か…余計な事言いやがって」
一転して、土門は苦虫をつぶしたような顔になる。
マリコは土門の隣に並ぶと、「土門さんに聞きたいことがあるの」と前を向いたまま口にした。
「なんだ?」
マリコは空を見上げ、足元に目を移し、ようやく隣を見た。
「土門さんにとって、私はどんな存在?」
「え?」
「藤村刑事に拉致されて『お前の大切な人間を殺してやる』て言われたとき、私は思わず土門さんのことを思い浮かべていた」
「……………」
「父さんでも母さんでもなくて。……土門さんだった。だから藤村刑事が宇佐見さんのことを誤解したとき、私…よかったと思ってしまった。ひどい人間よね」
「……………」
「ずっと一緒に居たから、土門さんにとっても私は、その…少しは特別なのかな、なんて」
「……………」
土門は答えない。
「………やっぱり、そんなの、思い上がりよね」
「……………」
返事のないことに、恋心の芽はみるみるうちに萎れていく。
「ねえ、何とか言ってよ」
マリコは土門へすがるような目を向ける。
たとえ叶わない想いだとしても、土門の口から答えを聞きたかった。そうでなければ、きっとここから進めない。
「特別って、どういう意味だ?」
そう聞き返す土門の瞳は澄んでいて、マリコは急に落ち着かなくなった。
「え?それは、皆とは違うというか」
「皆と違うという意味なら、確かにお前は特別だな。いつも勝手に突っ走って、人の話をきかない。今回だってお前のせいではないとはいえ、皆に迷惑をかけたことは変わらない」
「……………」
今度はマリコが黙る。
鼻の奥がつんとしてきたと思ったら、みるみるうちに視界がぼやけて土門の表情もわからなくなった。
「おい」
見かねた土門が、マリコに一歩近づく。
対してマリコは退く。
「こめんなさい。迷惑かけて…」
土門の言うとおりだ。
何を期待していたのだろう。
こんな特別なら、ならない方がいい。
「阿呆…」
うつむいたマリコの腕が力強く引かれ、そのまま土門に抱きしめられた。
「…………………………………え?」
今の状況に驚き、開きすぎたマリコの目から涙が一粒流れてく。
土門はマリコの頬に触れ、やさしく拭った。
「話は最後まで聞け。お前はただの特別じゃなくて、俺にとっては特別大切な存在だ。わかったか?」
その言葉に小さな芽から若葉が広がり、ぐんぐん背丈が伸びていく。
「あ、あの」
「大体、お前は鈍すぎる。拉致されなきゃ死ぬまで気づかなかったかもしれんな」
「失礼ね。そんなこと……」
「ないって言えるか?」
見上げたマリコの顔を、器用に片方の眉だけ持ち上げた土門が見下ろす。
「うっ…わ、わからないけど。でも気づいたんだからいいじゃない。それより、特別大切ってどれくらい?」
「は?」
「どれくらい私のことを大切だと思ってるの?」
「普通聞くか?面と向かってそんなこと…」
「だって知りたいの。気になるんだもの」
科学者の悪いクセだ。
何でも知りたがる。
土門はしばし考える。
「わかった。教えてやるから目をつむれ」
「な、なんで?」
「いいから。知りたいんだろう?」
「わ、わかったわ」
マリコは言われた通りにする。目を閉じれば、この心の花が開く予感がした。
髪をかき分け、うなじに触れた土門の手が、マリコの顔をそっと上向かせる。ほんの一瞬、何かがマリコの唇の上を通り過ぎて行った。
耳に届いた言葉に、目を開けたマリコは花のような笑顔を浮かべる。
Especially for you
特別な貴方へ。
「愛してるくらいに大切さ、お前が」
fin.
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