Especially for you
「失礼します」
御用聞きに科捜研へ顔を出した蒲原は、いつもとは違う雰囲気に首をかしげた。全員が一箇所に集まってモニタを凝視しているのだ。
「あの…何かあったんですか?」
日野は振り返り、少し悩んでから口を開いた。
「実はマリコくんとね、連絡が取れないんだ」
「え?」
「まだ出勤していなくてね」
蒲原は腕時計を確認する。時刻は11時間近だ。
「何かあったのかと思って何度も電話をかけてるんだけどね。出ないんだ。ただの寝坊ならいいんだけど…」
「まさか、具合が?」
「わからない。昨日は元気そうだったよ」
「それで、皆さんで何を見ているんですか?」
「GPSだよ。マリコくんのスマホの位置を確認してる」
「それで?」
「自宅から動いた様子はないね」
「俺も掛けてみます」
日野は無理だと思ったが、蒲原も心配なのだろう。好きにさせることにした。
予想通り、蒲原は無言でスマホを戻した。
「これからどうするんですか?」
「今から部長に報告する」
「あの、土門さんに伝えてもいいですか?」
日野は一瞬考え込むも、土門の耳に入るのは時間の問題だろうと腹を決めた。
「構わない。でも部長の判断が下りるまで、あまり広めないでほしい」
「わかりました。土門さん以外には言いません」
「頼んだよ。じゃ、みんな。行ってくるから」
全員が不安そうに日野を見送る。
当の日野が、誰よりも眉を下げ、重い足取りで科捜研を出ていった。
「なに?榊が??」
刑事課へ戻ったその足で、すぐさま蒲原は科捜研での出来事を土門に伝えた。
「…わかった。出てくる」
「マリコさんを探しに行くんですか?だったら自分も……」
同行しようとする蒲原を土門は止めた。
「自宅の周辺を確認してくるだけだ。すぐに戻る。何かあれば知らせてくれ」
「はい」
土門はうなずくと椅子に掛けていたジャケットを掴み、早足で出ていった。
マリコのマンションに着いたら、まずは自転車、そして窓の確認だ。もしマリコの身に何かあったのだとしたら、犯人はどこで何を見ているかわからない。迂闊に部屋を訪ねることは避けるのが賢明だろう。
土門は努めて冷静に行動しようと、一度深呼吸をする。
落ち着け。
これまでの事件と同じように対応するだけだ。
そう自分に言い聞かせ、車のエンジンを始動させた。
マリコの自宅マンションから離れた道に車を停車すると、土門はカメラの望遠を使ってマリコの部屋の窓を確認する。
カーテンはしまったままだ。しばらく見ていても、人の気配は感じない。
今度はマンションの反対側へ周り、同じように駐輪場を確認する。
果たして、マリコの自転車はそこにあった。
ということは、昨夜から今朝にかけてマリコの身に何かが起こったことになる。
ポケットでスマホが振動した。
相手は藤倉だった。
「はい、土門です」
『今どこだ?』
「榊の自宅近くです」
嘘をついたところで、藤倉にはお見通しだろう。
今は一分一秒を争うかもしれないのだ。余計なことに時間を使いたくない。
『そうか。榊のことは聞いているな?』
こちらも心得たものだ。
「はい」
『それで?』
「窓の様子を見る限り、中に人の気配はありません。自転車も残ったままです」
『わかった。周辺の防犯カメラの映像を科捜研へ送ってくれ。すぐに蒲原を応援に送る』
「それでは…」
『榊は何者かに拉致された可能性がある。犯人からコンタクトがあるまで、まずは極秘に捜査をすすめることにする』
「わかりました。あの、部長。自分は……」
『お前は今の事件の担当から外した。榊の捜索にあたれ』
「はい!」
それだけ聞けば十分だ。
土門は通話を強制終了させた。
藤倉は唐突に切れたスマホを呆れた顔で見る。
「非常識なやつだ。仮にも俺は上司だぞ」
ボヤきながらも、本心で怒っているわけではない。
これから土門の抜けた別の事件のフォローをしなくてはならない。
土門の抜けた穴は小さくない。
けれど。
「あいつを榊の担当にしないわけにはいかんだろう。あとで噛みつかれてはかなわん…」
京都府警の猟犬の手綱は、科捜研の女が握っている。界隈ではわりと有名な話だ。知らぬは本人たちばかりなり、だろう。