クリスマスの約束
今日はクリスマス。
イエス・キリストが生誕した日。
マリコと土門の約束の日。
「土門さん、聞こえる?今日はもうクリスマスよ」
マリコは病室のカーテンを開いた。
外は曇天。
大分冷えているのだろう。窓ガラスが結露していた。
「雪、降るのかしらね…」
一人ぼっちのつぶやきは、マリコの心に降り積もる。
淋しい雪となって、しんしんと。
夕方、医師の巡回が終わると、マリコは窓際に椅子を置き、本を読み始めた。ところが、しばらくするとページを繰る音は聞こえなくなった。
いつしか、マリコの視線は本ではなく、眠る土門に注がれていた。
「土門さん。もうすぐ、クリスマスが終わっちゃうわ。ねえ、私に話があるんでしょう?」
問いかけに答えはない。
マリコはいたたまれず、土門のそばへ来ると、ベッドに投げ出されたままの手を握った。
「私に何を言いたかったの?ねえ、答えてよ。約束したじゃない。今日、話したいことがあるって。私に…嘘をつく、の?そんなの……刑事…失格、よ…」
マリコは俯く。
最後のほうは涙のせいで言葉が詰まってしまった。
「…………………?」
ピクッと、握った手が震えた気がした。
マリコが土門の顔を覗き込むと、うっすら瞼が開いていた。
「土門さん!先生!…………?」
ナースコールに伸ばした腕を、土門の手が意外にも力強くマリコを止めた。
見れば、土門の口が不自然に開いたり閉じたりしている。何か話しているようだ。
「なに?何か言いたいの土門さん?」
マリコが酸素マスクをわずかにずらすと、小さいけれど、土門の声が聞こえた。
「失格…は、困る、な」
「土門さん……」
マリコは鼻をすすると、「とにかく先生に診てもらいましょう」と今度こそナースコールを押した。
医師の診察にしっかりと受け答えをする土門。
完全に覚醒してからは、今まで昏睡状態にあった人間とは思えないほど、生気が漲っている。
担当医も驚異的な回復力だと舌を巻いていた。
「ひとまず1週間ほど入院して、経過を診ましょう」
「1週間、ですか」
年末は事件が増える。
1週間も休んでいては年が明けてしまう。
「土門さん、顔に『今すぐ退院させろ』と書いてありますよ」
医師は苦笑する。
「あ、いえ」
バツが悪そうに、土門は首をすくめる。
「ひとまず、と言ったでしょう。回復に問題がなければ、通院を条件に、もう少し早く退院できる可能性もあります」
「本当ですか!?」
「ええ。ですから、くれぐれも入院中は安静にしてくださいね」
「………はい」
なんなら、「明日にでも捜査状況を聞いておこうとか」「訛ってしまった体を動かそうか」なんて目論んでいたことが医師にはバレていたようだ。
「奥さまも、ちゃんと見張っておいてください」
「え?あ、あの。…は、はい」
急に話を振られて焦ったマリコは、思わず頷いてしまった。
「では、お大事に」
医師が帰ると、何ともこそばゆい雰囲気が二人の間に残った。
「お前、仕事はいいのか?」
「うん。みんなから土門さんの付き添いを頼まれたの」
「は?」
「この時期はみんな忙しくて休みが取れないでしょう?だから私に代表で付き添ってほしいって、みんなが」
「………………………」
ニヤニヤしている数人の顔が頭に浮かぶ。
それでも悪い気はしなかった。
こんな状況だが、マリコと二人で過ごせる時間は貴重だ。
「土門さん、まだ話していて平気?」
「ああ。眠りすぎていたからな、体力は余ってる」
それなら、とマリコは改めて尋ねた。
「今日、私に話したかったことって何?」
「………………………」
「土門さん?」
「退院してからじゃ、だめか?」
「え?」
「約束を延期させてもらいたい」
「だめじゃないわ。でも理由を聞かせて」
「それは…………」
「お兄ちゃん!!!」
突然扉が開くと、息せき切った美貴が現れた。
「美貴?」
「よかったぁぁぁ。お兄ちゃん、起きてる!」
美貴は肩を弾ませ、「よかった」と繰り返す。
「お前、なんでいるんだ?」
ほっとしたのも束の間、美貴の頬が膨れ上がる。
「なんで?お兄ちゃんがヘマして入院なんてするから、私が病院から呼び出されたんですー」
「同意書とか入院の手続きとか、美貴ちゃんのサインが必要だったの。美貴ちゃん、仕事を休んで私と交代で土門さんに付き添ってくれていたのよ」
マリコに聞き、土門は素直に妹へ頭を下げた。
「そうか…。迷惑をかけた、すまん」
「ほんとよ。マリコさんにまで心配かけて」
「私のことはいいから。二人で話もあるでしょ。飲み物でも買いに行ってくるわ」
財布を手にしたマリコを、美貴が引き止めた。
「待ってください、マリコさん。飲み物なら私が買ってきます」
「え?でも…」
「お兄ちゃん、これ」
美貴は持っていた紙袋を兄に渡した。
「これ!?美貴、お前…どうして?」
「着替えを取りに行ったら、留守電にメッセージが入っていたの。今日、必要なものなんでしょ?気の利く妹に感謝してよね」
そういうと、着いたばかりの美貴はまた出ていってしまった。