ポッシビリティの種
非番を利用して1日を図書館で費やしたマリコは、好奇心を満たされ、充実した様子で駅へ向かって歩いていた。
人の賑わう百貨店の前を通りかかったとき、イベント情報のポスターが目についた。
『子ども科学教室』
顕微鏡やピーカー、フラスコなど、マリコにはお馴染みの道具がポップなイラストになってポスターのあちこちに描かれている。
「どんなことをやってるのかしら?」
興味の湧いたマリコは、店に入り、最上階のイベントブースを目指した。
親子連れが多く、実験テーブルは全て埋まっていた。随分と盛況だ。
一番端のテーブルに近づいてみると、そこではスライムを作っていた。ほかにもストローで笛を作ったり、バスボムを作ったりするコーナーもあるようだ。参加した子どもたちは真剣に、でも目をキラキラさせて説明を聞き、手を動かしている。
しばらくそんな子どもたちの様子を見ていたマリコだったが、ちょうど反対側に一人、立ち尽くしてる女の子がいることに気付いた。
マリコはそっと近づくと、驚ろかさないように声をかけた。
「あなたもやってみたいの?」
女の子はマリコをじっと見たあとで、こくりと頷いた。
「お母さんか、お父さんは?」
女の子は首を振る。
「一人で来たの?」
「家が近いから」
「そう。……ねえ。スタッフの人に聞いてみましょうか」
「え?」
「お母さんがいなくても参加できるか」
パァと子どもの瞳が輝く。
「ちょっと待っててね」と言うと、マリコはイベントスタッフに声をかけ、頼んでみた。
ところが。
「ご同伴の方の了承がなければ参加はできません」
昨今、運営側もトラブルを避けるため、こうした規律には厳しくなっている。
「そこを何とか。私が付き添いますから」
「あなたは、あのお子さんとお知り合いなんですか?」
「いえ、そういうわけでは…」
「それでは無理ですね」
マリコはため息をつく。
「自分が付き添うなら、問題ないでしょうか?」
突然降ってきた声に、マリコは振り返った。
「土門さん!」
「よう。またトラブルか?」
「違うわ」
ムッと言い返すマリコに、「わかってるさ」と土門は笑う。
そして目立たないように警察手帳をスタッフに見せた。
「け、刑事さん…!?」
「さっきまでこちらの営業部長さんと面会していました。確認してもらえば、身元に間違いないことはわかると思います」
「少々お待ち下さい」
どこかへ電話をかけたスタッフは、慌てた様子で戻ってきた。
「おまたせしました。参加の許可が下りましたので、こちらへどうぞ」
「よかった!さあ、いらっしゃい」
マリコに呼ばれると、女の子はすぐにテーブルへ駆け寄ってきた。
「何をやる?」
「ん……バスボム!」
やはり女の子には人気なようだ。
「じゃ、作ってみましょう」
マリコの広げたビニール袋に、女の子が重曹とクエン酸、塩を入れる。
「色はどうする?」
カラフルな食紅から赤を選ぶと、それも加えてしっかりと混ぜる。
あとは好きな形にするだけだ。
女の子はハートや星の型を使って、小さなバスボムをいくつか完成させた。
「お家でしばらく乾燥させれば完成よ」
「ありがとう!お姉さん」
女の子は嬉しそうに、何度もバスボムを眺めている。
「今度はお家でも作ってみてね」
「うん!」
マリコは作り方が書かれた紙を女の子へ渡した。
すると、今度は女の子がバスボムを一つ取り出し、マリコへ差し出した。
「え?」
「お姉さんにあげる。お家で乾燥させれば完成よ」
「……ありがとう」
自分の口まねをする様子が可笑しくて、マリコは笑いながらうなずいた。
バスボムを入れた袋を大事そうに抱えながら、何度も振り返っては手を振る女の子に、マリコも笑顔で手を振り返し続けた。
「よかったな」
嬉しそうにバスボムを眺めるマリコの隣へ土門が並んだ。
「ええ。土門さんのおかげね。さすが、刑事さん!」
「持ち上げても何も出んぞ」
「あら、夜は奢ってくれないの?残念だわ…」
「お前なぁ」
「ふふっ、嘘よ。捜査で来ていたの?」
「ああ。裏取りにちょっとな」
「そう。でも助かったわ。ありがとう」
「構わんさ。将来優秀な科学者になるかもしれん」
「そうね…。でも、別に科学じゃなくてもいいの」
「?」
「子どもたちには色々な事に興味を持って、何にでもチャレンジしてみて欲しいの。好奇心の芽を摘んでしまうことのないように、私たち大人がサポートしてあげなくちゃ」
「ほう。まるで橋口みたいだな。お前も案外教師に向いてるかもな」
「ええ!?」
「まさか」とマリコは笑う。
「人は誰しも可能性の種を持っている。いつか芽を出し花を咲かせる日がきっと来る。私はそう信じてるの」
「だったら、ちゃんと花が咲くように、俺たちが守っていかないとな。この世界ってやつを」
「ええ」
マリコは力強く頷く。
「もうすぐ…」
そう言うと、土門は遠くを見つめる。
「土門さん?」
呼ばれてマリコへ視線を戻すと、言葉を続けた。
「もうすぐ出会える子どものためにもな」
照れくさそうな刑事に、科学者も顔を赤くして答えるのだ。
「そうね。頑張らなくっちゃ」
わずかに膨らんだお腹には、可能性の種が眠っている。
fin.
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