Good-bye, Red dancer
「水絵?」
土門は足を止め、振り返った。
――――― 水絵。
それは亡き妻とは別に、舞鶴時代の土門が愛した女の名前だ。数年ぶりに再会した彼女は事件に巻き込まれ、不運な最期を遂げた。ただ一匹、ベタという名の熱帯魚を形代に遺して。
「土門さん、どうかした?」
「………いや」
ここは現場だ。
余計なことに気を割く時間はない。
土門は気持ちを切り替えるように、もう一度ご遺体に向かって手を合わせた。
「私はこのまま洛北医大で解剖に立ち会うわ」
「ああ。頼む」
「じゃ、後で」
軽く手を上げてマリコを見送ると、土門は署へ戻る前に道の先へ目を向けた。
そこには人影などなく、ただ照りつける太陽光でアスファルトが陽炎のようにぼやけて見えるだけだった。
土門は踵を返すと、何事もなかったように立ち去った。
この日から土門は府警に泊まり込み、捜査にあたった。一人暮らしの身では着替えを取りに帰っても洗濯物がたまるだけだ。土門は汗で汚れた下着やワイシャツは処分し、代わりに近くの量販店で着替えを購入し、この10日を過ごした。
あの日以来、土門が水絵の幻を見ることはなかった。
もちろん、死んだ人間が生き返るわけなどないし。
もし、水絵の霊魂が彷徨っているのだとしても、土門に会いに来るとは限らない。
犯人を追う激務の中で、奇妙な体験をしたことさえ、土門の記憶からは消えていた。
同じ頃、マリコはある夢に苛まれていた。
それは毎夜、毎夜、赤いドレスを着た女性が踊っている夢だ。マリコはいつも彼女の後ろ姿を見ているだけで、顔を見ることができない。
いったい誰なのか…。
そして何より気になるのは、その踊り子が日に日にやせ細っていることだ。
昨夜の夢では、とうとう彼女は踊りの途中でバランスを崩し、床に倒れ込んでしまった。ドレスから伸びる足は骨ばり、とても体を支えられるようには思えない。
「大丈夫ですか?」
夢の中でマリコは踊り子に駆け寄る。
しかし、ふっと彼女は消えてしまった。
床にはドレスの切れ端だろうか、破れた赤い布だけが落ちていた。
そしてその日から、マリコは夢を見なくなった。
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