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「こんにちは」
マリコが呼び鈴を鳴らしてしばらくすると、引き戸が開いた。
「いらっしゃい、マリコさん」
出迎えてくれたのは泰乃だ。
笑顔は再会し時と変わらないが、その体は大きく変化していた。ほんの数ヶ月で、泰乃のお腹は驚くほどに大きくなっていた。泰乃が身ごもっていたのは双子だったのだ。
「泰乃さん。支度できてる?」
「はい」
「車を待たせているから、行きましょうか」
歩くのもやっとな泰乃とマリコを乗せた車が向かったのは、産婆の家だった。
実は泰乃の妊娠は双子というだけでなく、別に問題を抱えていた。それは片方の胎児が逆子らしいということだ。このままでは出産の際にへその緒が絡まり、胎児を傷つけてしまうかもしれない。そこで泰乃は、逆子を直すことができるという遠方の産婆のもとに通っているのだ。
治療が終わるのを待ち、途中、必要な買い物を済ませた二人が帰宅すると、そこには意外な人物が立っていた。
「な…ん、で?」
「きちんと事情を確かめたくて、住所を調べた」
「え?」
「どこへ行っていたんだ、教えてくれ」
突然マリコに詰め寄る大男に驚いたのは泰乃だ。
「マリコさん、お知り合い?大丈夫なの?」
青ざめた泰乃に気づき、マリコは慌てて説明した。
「驚かせてごめんなさい。主人なの…」
「え?あ、そうですか…」
泰乃はお腹を支えて背筋を伸ばすと、土門少尉へ頭を下げた。
「はじめまして。吉崎泰乃です。マリコさんには大変お世話になっています」
「はじめまして、土門です」
土門の返事は堅い。
「マリコさん、私、先に戻ってお茶の支度をしておきますね」
「お茶なんていいわ。それより一人で大丈夫?」
「大丈夫です」
泰乃は土門に会釈すると、ゆっくりと家に入っていった。
「マリコ」
少尉は妻の名を呼んだ。
「こんなことをした私を軽蔑するか?」
マリコは首を振る。
全ての原因は説明を怠った自分にある。
夫の行動は自分を心配したあまりのことだろう。マリコには夫を軽蔑したり、怒ったりする資格はない。それほどまでに心配をかけてしまったことを謝罪する側だ。
「いいえ。あなた。すべて私が悪いんです」
「話してくれるか?」
「はい。実は泰乃さん、少し前に双子を身籠っていることがわかったんです」
「双子…」
「はい。そのためお腹が大きくなるのも早く、つわりも重く、今も歩くのがやっとな体調なんです。それに赤ちゃんの一人が逆子のようで、逆子治療で有名な遠方のお産婆さんのもとへ治療に通っているんです」
「それで?」
「私はその治療の際、泰乃さんの付き添いを頼まれたんです」
「しかし!」
「聞いてください。泰乃さんのご主人は国鉄にお勤めでお休みの日が定まらず、どうしても治療に付き添えない日があるんです」
「もしかして、それが出かけていた日か?」
「はい。お二人のご両親はすでに亡くなられたり、体調を崩されていたりして頼ることもできず、泰乃さんは困って逆子の治療は諦めようと考えていたんです。でもそれで、もし赤ちゃんや泰乃さんに何かあったら、私…………」
土門少尉は天を仰いだ。
自分は何と思慮の浅い人間だろう。少尉は恥じ入るばかりだ。
少尉の選んだ伴侶は、自分よりも他人を優先してしまうような、そんな思いやりの深い
土門少尉は嫉妬で曇った目をほぐすように揉むと、改めてマリコを見た。
「すまない」
「あなた?」
「すまない。私はマリコを疑ってしまった。もしかして、私の他に好いた男ができたのではないかと」
「そんな!そんなわけありません!!」
「ではなぜ、いつもその…服に気を遣って出かけていたんだ?泰乃さんに付き添うだけなのだろう?」
「それは…。泰乃さんが褒めてくれたんです。私の選んだ服や小物を」
「だから、いつも着飾っていようと思ったのか?」
「私、嬉しかったんです。だって私が今日着ているこの服も、靴も、バッグも、すべてあなたのことを考えながら選んだものなんです」
「それは、どういう…」
マリコは頬を赤らめしばらく躊躇っていたけれど、意を決して話すことにした。
「どんな服だったら、あなたに『似合う』と言ってもらえるのか。あなたと一緒にいて釣り合う妻だと認めてもらえるのか。それを一番に考えて選んだ服だから、泰乃さんに褒めてもらえて本当に嬉しかったんです」
「それで、いつも洒落た服を着ていたのか?」
洒落ているかどうかはわかりませんけれど、とマリコは首をかしげる。
「私はいつだってあなたに相応しい妻でいたいんです」
健気で可憐な花は、土門少尉の腕の中でだけ、一際瑞々しく咲き誇る。
「マリコ…」
少尉がマリコを引き寄せようとしたとき、家の中から大きな物音がした。