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「マリコ。明日、映画にいかないか?」
「あの、明日はちょっと…」
「?」
珍しくマリコは言葉を濁す。
「何か用事があるのか?」
「はい。先日、女学校の後輩に再会したんです。それで、明日、改めて会う約束をしたんです」
言われてみれば、マリコの足元にはワンピースやスカートが散乱している。明日着ていく服を考えていたのだろう。
「そうか」
「ごめんなさい、あなた。せっかく誘ってくれたのに」
「いや。それならまた別の日にしよう。楽しんでおいで」
「ありがとうございます」
翌日、マリコは買ったばかりの白いワンピースにツバの広い帽子を合わせ、パラソルを手にでかけていった。
そんな格好をしていると、既婚女性には見えない。まだまだ女ざかりの妻を一人で出かけさせることを、少尉は少しだけ後悔した。
マリコと泰乃は、待ち合わせたカフェでしばらく腰を落ち着けると、次に百貨店に向かうことにした。
今日二人が会うことになったのは、積もる話をしたかったこともあるが、泰乃が妊婦用の服を買いたいと言い出したからだ。
「マリコさんに一緒に選んでほしくて」
「え?でも私、妊婦さんの服はよくわからないわ」
「マリコさん、今日の帽子やパラソルもそうだけど、昔からとてもオシャレだと思います」
女学校の頃のマリコのファッションは従姉妹の早月による影響が大きい。
しかし今は…。
「この帽子やパラソルは、隣に並ぶのにふさわしいと思ったから」
「え?」
「ううん。何でもない。私でよかったら協力するわ。でもあまり期待しないでね」
マリコは首をすくめる。
今のマリコが選ぶ服や小物は、すべて土門少尉のことを考えて購入したものだ。夫が好きな色だったり、過去に似合うと言われたデザインだったり。軍人である夫の隣に並んだときに、夫が恥じることのないように、妻として気を配っている。
そして何より、夫に美しいと思ってもらいたい…その一心で選んでいるのだ。
いつだって夫に愛されたい。
恥ずかしいけれど、それがマリコの本心だった。
何着か服を選び終えると、泰乃は少し疲れた様子を見せた。酷くはないが、つわりの症状はまだあるらしく、やはり本調子ではないのだろう。
「今日はこれで帰りましょう。泰乃さんのお宅まで送っていくわ」
「そんな。ひとりで大丈夫です」
「それはダメよ」
マリコは車を呼ぶと、泰乃を乗せ、彼女の家まで送り届けた。
「遅くなってしまったわ」
泰乃の家は、百貨店を挟んでマリコの自宅とは反対方向だった。そのため、家につく頃には日も落ちていた。
「ただいま帰りました」
マリコが玄関の扉を開けると、少尉が顔をのぞかせた。
「おかえり、マリコ」
「遅くなってごめんなさい」
「いや」
「すぐにご飯の支度をしますね」
「ああ、それなら…」
「?」
「あなた、これは一体…」
「うん。早月さんのところに頼んだんだ。今日はマリコも疲れただろうし、たまにはいいだろう」
木箱に入った松花堂弁当が2つ、食卓に並んでいたのだ。
「ありがとうございます…」
嬉しさ半分、申し訳無さ半分で立ち尽くすマリコの肩を少尉は抱いた。
「気に病むことはない。いつも一生懸命家事をしてくれているんだ。たまには手を抜いても構わない」
「だけど…」
ふむ、と考え込んだ少尉は、妻の耳もとで囁いた。
「マリコの気が済まないなら、弁当の代金をもらおうか?」
「あ、はい。そうさせてください」
バッグから財布を取り出そうとするマリコの手を、少尉は止めた。
「あなた?」
「払うなら、こっちで」
少尉の無骨な指が、キレイに紅の引かれたマリコの唇をなぞる。
「あ、あの。私から………です、か?」
「払ってくれるんだろう?」
初心なマリコには随分と高額な支払いだ。でも、大切な夫からの誘いを断り、留守番をさせ、自分だけが楽しんできたのに、食事まで用意してくれたのだ。
「あなた。少しかがんでください」
「ん。これでいいか?」
目の前に降りてきた夫の唇に、マリコは自分のそれを重ねる。
でもやっぱり恥ずかしくて。
すぐに離れようとしたところを、捕まった。
素早く腰に回った手が、そのままマリコを引き寄せる。
「んんっ!」
あっという間に奪われた唇は、深く探られる。そのままマリコは体が浮き、慌てて夫にしがみついた。
土門少尉はマリコを抱き上げ、寝室へ足を向ける。
「待ってください、あなた。お弁当は?」
「弁当は逃げない。それより今は、マリコを先に食べたい」
「なっ!?」
少尉らしからぬ言葉に驚きと、なぜか嬉しさを感じてしまったマリコは、それ以上抗うことはできなかった。