恋に落ちていく二人
「榊、鑑定……?」
数日後、土門が開けた扉の先にマリコは不在だった。代わりにPCを操作していたのはみゆきだ。
「土門刑事、お疲れさまです」
「ああ。榊は?」
「刑事課に鑑定結果を届けに行かれましたよ」
「じゃあ、すれ違っちまったのか」
「マリコさんにご用事なら、言付かっておきましょうか?」
「いや。直接頼むつもりで来たんだ。待たせてもらっていいか?」
「私は構いませんが」
「悪いな」
みゆきは首を振ると立ち上がり、一度鑑定室を出ていった。
そしてコーヒーを手に戻ってきた。
「どうぞ」
テーブルに置かれた紙コップの隣には小さなクッキーも添えられていた。「ありがとう」と言うと、土門は遠慮なく口に入れた。
「旨い!」
「よかったです」
「気が利くな」
「この間のコーヒーのお礼です。適度な糖分補給は脳の活動を活性化させますから」
ぷっと土門は吹き出す。
「土門刑事?」
「まるであいつみたいなことを言うんだな」
「あいつ?」
「いや。何でもない」
「土門さん!」
そこへマリコが戻ってきた。
「よう!」
「こっちに来ていたのね。蒲原さんに鑑定結果を預けてしまったわ」
「構わんさ。俺はまた別件で来たんだ」
「別件?」
「ああ。悪いが急ぎでこいつも頼む」
依頼書を受け取ったマリコは、ざっと目を通す。
「わかった。今日中には何とかするわ」
「頼む。ああそうだ、これやるよ」
土門はポケットを漁ると、チョコレートの包をマリコの手に乗せた。
「ありがとう。適度な糖分補給は………なに?」
土門はみゆきと目を合わせると、ニヤリと笑ってみせた。
「何でもない。頼んだぞ」
土門は笑いを堪えながら科捜研をあとにした。
「みゆきさん。私、何か変なこと言ったかしら?」
「……………」
「みゆきさん?」
みゆきは俯いたまま顔をあげない。
心配したマリコが近づくと、みゆきの耳は真っ赤に染まっていた。
翌日から、みゆきの様子は明らかにおかしかった。些細なミスが増え、ぼんやりとした様子で名前を呼ばれても気づかないこともあった。
「みゆきさん、どうしたの?」
心配したマリコが尋ねるが、みゆきは「何でもありません」とはぐらかすばかりだった。
そうかと思えば、みゆきは亜美に声をかけた。
「涌田さん、聞きたいことがあるんですが」
「なに?」
「土門刑事のことです」
「土門さん?」
「はい。あの…」
「?」
「土門刑事は、よく科捜研にいらっしゃるんでしょうか?」
「うん、そうだね。土門さんと蒲原さんはよく来るよ」
「それは何か理由があるんでしょうか」
「理由かぁ…改めて考えたことなかったなあ」
亜美はお団子頭を揺らして考える。
「私が科捜研に来たときには、もうこんな感じだったんだよね。元々はマリコさんと土門さんが一緒に事件を追うことが多くて、そこに土門さんのバディになった蒲原さんも来るようになったって感じかな」
「そう…なんですね」
「垣谷さん、何かあった?」
「あ、いえ。もう一つ教えて下さい」
「うん」
「土門刑事は指輪をされていませんが、独身なんですか?」
「え?どうしてそんなこと知りたいの?」
「あ、いいえ。何でもないです。忘れてください」
何でもいいなら、そんな質問はしないだろうし。
忘れるなんてできるわけないじゃん…と亜美はため息をつく。
「離婚したって聞いてるよ。だから今は独身」
余計な情報は伝えない。それでもみゆきの質問には正しく答えたことになる。
「ありがとうございます!」
みゆきは、亜美と話した後からずっと体がふわふわしていた。鑑定室で共犯者のように自分へ笑いかける土門の顔を見た瞬間、時が止まった。
そして突然襲われた頻脈に、動悸、過呼吸。
多分これは、世にいう一目惚れ。
みゆきは恋に落ちたのだ。
親子ほども年の離れた土門刑事に。
気になるのはマリコのことだ。みゆきが研究者として憧れ続けた科学者。いつか彼女のようになりたいと思っていた。そんな憧れの人物と、一目惚れの相手の関係性がみゆきの気持ちを乱れさせる。
二人は付き合っているのだろうか。
確かめたい。
けれどそんなことを聞けば、何故かと問い返されるだろう。
なんとなく、マリコには言いたくなかった。
仕事だけでなく、恋までも負けたくはない。
それはみゆきの小さな意地だ。
羨望と嫉妬。
みゆきは自分の気持ちを持て余していた。