京都殺意の旅
結局、千津川と尚子はフォークとナイフを動かしながらこの事件を整理し始め、気づいた頃にはあらかた料理も片付いていた。
「お腹いっぱい。帰ったら絶対に太ってるわね」
「たまにはいいじゃないか」
「太った私でも嫌いにならない?」
「どんな君でも君さ」
「省吾さんのそういうところ、好きよ。でもお互い、お腹周りには気をつけなくちゃね」
千津川は苦笑する。
「ところで省吾さん。明日帰る予定にしているけど、どうするつもり?」
「ん?もちろん予定通りに帰るさ」
「事件のこと気にならないの?」
「ああ」
「うそっ!」
尚子は猫のような目で夫を睨みつける。
「嘘じゃない。第一、管轄外だ」
「有給はたーっぷりあったわよね、省吾さん?」
「尚子…」
尚子は豊かなロングヘアーをかき上げる。
「私は仕事があるから残れません。だから先に帰るわ」
「しかし…」
「省吾さん。一人で帰ってこられるわよね?」
よりにもよって捜査一課の警部に「一人で帰れる?」なんて子ども扱いをするとは!
鶴井あたりが聞いたら飛び上がりそうだ。
しかし、それは尚子なりの愛情表現なのだ。そして日々緊張を強いられる千津川にとって、妻とのこんなやり取りが唯一、素の男に戻れる瞬間でもあった。
「参ったな。君には敵わないよ、尚子」
「ふふっ」
「3日以内には君のもとへ帰る。それで許してくれるかい?」
「許すも許さないもないわ。事件を追ってるあなたはとってもステキだから」
こんなところで…と思うが、旅の恥はかき捨てだ。千津川は、目にも留まらぬ早業で妻の頬に唇を寄せた。
一方、京都府警へ戻る車中の二人は。
「着衣の鑑定は宇佐見さんに頼むとして、あとは全員で防犯カメラの解析ね」
「蒲原もすでに映像の回収に飛び回っている」
「そう。蒲原さん、本当は今日非番だったんじゃない?」
「ああ。でもこんな状況では休めないと、自分から非番交代を申請してきた」
「よくできた後輩ね」
「上司がいいんでな」
「自分で言ってる!」
マリコは笑みを見せた。
「千津川さんも部下に慕われていたけれど、今日の雰囲気は少し違っていたと思わない?」
ほう、と土門は少し驚いた。普段のマリコはこうした変化には疎いタイプだからだ。
「尚子さんがいたからだろう。奥さんがいて、いつもより柔らかい表情や声をしていたな」
「そういうことなのね。じゃあ、土門さんはどうなの?」
「は?」
「土門さんは私といる時は、いつもと違うのかしら?」
こいつは、自分が何を言っているのかわかっているのだろうか…。
土門にとって自分が特別だと、妻のような存在だとさらりと口にしているのだ。
「そ、そんなこと、自分じゃわからん」
「そうよねぇ。私にもわからないし」
真面目に悩むマリコがおかしくて、土門は吹き出した。
「他人から見てどうかはわからんが、少なくとも俺はお前といるのは楽しいぞ」
ハンドルを握り、正面を向いたまま、土門はそう口にした。ちらりと左を盗み見れば、マリコは耳まで赤くなっていた。ようやく自分が口にした言葉の意味に気づいたのだろう。
黄色信号が点滅し、やがて赤に変わる。
後ろの車の運転手は、前の車の人影が一瞬重なる姿を目撃していた。