京都殺意の旅
「尚子。観光はハイヤーを頼もうか?」
「え?いいわよ、そんなの勿体ない。これでいいわよ、ほら」
尚子が夫に見せたのは旅行雑誌のページ。
『京都をお得に回るなら、これをチェック!』という見出しの下に、市営バスと地下鉄乗り放題のチケットが紹介されていた。
「倹約家の奥さんで助かるよ」
「自分たちで調べながら回るのも楽しそうでしょ?」
「ああ」
尚子は夫に腕を絡めると、二人はバス乗り場へ向かった。
そこから午前中は金閣寺と二条城を観光し、遅めの昼ごはんにありついた。千津川は高級そうな和食処を提案したのだが、ここも尚子に一蹴された。
「食事は夜、ゆっくりいただきましょう。お昼は、あそこでいいわ」
尚子が指差したのはカジュアルなおばんざいの店だ。若いカップルや女性同士がちらほら並んでいる。
「いいのかい?」
「ええ。まだそんなに並んでいないし、急ぎましょう」
尚子に手を引かれ、千津川は列の後ろに並んだ。
料理が届くのを待つ間、二人はこの先の予定を決めることにした。
「どこへ行こうか?」
「そうね。しおりを見てみましょうか」
尚子は土門からもらったしおりをテーブルに広げた。
「ああ。彼女が作ってくれたのか」
ページの下方に「楽しんでくださいね。涌田」と小さくメッセージが添えられていたのだ。
「知っている人?」
「うん。科捜研にいる女の子だよ」
「ふーん」
「ん?」
「省吾さん。京都に知り合いの女性が多いのねぇ?榊さん、っていうのも女の人でしょう?」
「お、おい。尚子、何言ってるんだ。仕事で知り合った人だよ」
「焦ってる。怪しいわね」
「あのなぁ。榊さんていうのは、以前事件でお世話になった科捜研の女性で、その…土門さんの恋人……だと思う」
「え?」
「多分だけどね。で、涌田さんていうのはその榊さんの同僚で、顔見知りなんだよ」
「そう。榊さんて土門さんの恋人なんだ…どんな女性かしら。土門さんも男らしくて素敵だものね」
「……………」
「もちろん、一番はあなただけど」
千津川は硬派に見えて、実はヤキモチ焼きな一面があるらしい。事件関係の女性などから好意を寄せられることも多いが、本人はあくまで尚子にゾッコンなのである。
お腹を満たした二人は、次の観光地に向かうためバス停に向かった。
「あら、ちょうど行ってしまったわね」
「少し食べ過ぎたし、次のバス停まで散歩でもするかい?」
「それ、いいアイデア!」
せっかくならと、二人はバス通りから一本の奥の道を歩いてみることにした。観光客も少なく静かな住宅街だが、やはり家並みは京都らしく風情がある。
「静かね」
「ああ」
返事をしながら、千津川はスマホをチェックする。
「やっぱり仕事が気になる?」
「ん?いや、そういうわけじゃないよ」
「無理しなくていいわよ。ちゃんと定期連絡くらい入れたら?食事や観光の途中で電話が鳴るよりずっといいわ」
「うん。すまない。そうさせてもら……ん?」
千津川が足を止め、尚子も首を傾げる。
「ねえ、あなた」
「聞こえたか?」
「ええ。悲鳴、かしら?」
「尚子はここで待っていなさい」
そういうと、千津川は声の聞こえた方角へ駆け出していく。
「待っていなさい、って言われて大人しく待っている私じゃないわよ」
尚子も夫を追いかける。やがて尚子が追いついた先には、男性がうつ伏せに横たわっていた。
「救急車を呼ぶわ!」
「尚子!向こうで待っていなさい!」
「嫌よ。まだ息があるなら急がないと…」
「いや。残念だけど亡くなっている」
「そんな…」
「警察に連絡する」
千津川はすぐに京都府警へ電話をかけた。
「もうすぐ捜査員が到着する。第一発見者として話を聞かれることになるだろう。尚子…」
「分かってます。旅行はまたできるけど、犯人は一刻も早く捕まえなくちゃ」
「ごめん」
「埋め合わせに期待してるわ。そろそろ新しい靴も欲しかったし」
綺麗にウィンクされて、千津川は苦笑を返すしかない。
こんな妻だから千津川は惚れ込み、頭があがらないのだ。