京都殺意の旅
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「しまった!」といった表情で舌をちらりと覗かせるのは、
彼女は長野県警長野中央署捜査一課、千津川省吾警部夫人だ。
千津川は休暇を利用して、妻の尚子とともに京都を訪れていた。
この旅行は尚子たっての希望だ。いつも我慢をさせている妻への罪滅ぼしとして、千津川はこの旅行では妻の願いを何でも叶えてやると約束していた。
そんな尚子の願いは夫と二人、観光と食事と宿をのんびり楽しむこと。忙しい刑事の妻にしてみれば、ただ夫と過すだけの時間が何よりもの贅沢なのだ。
そんな妻のいじらしい気持ちを聞き、千津川はある人物に協力を仰いだ。
それが土門だ。
二人は過去に何度か合同捜査を行い、その都度信頼を深め、今では互いに友情のような感情を抱いているといっても間違いではないだろう。
「いえいえ。尚子さんには是非、京都を楽しんでもらいたいです。見て、食べて、泊まってよし、ですからね」
「ありがとうございます、土門さん」
「いいえ。本当はガイドを買って出たいところですが、休みが取れなくて」
「刑事さんの忙しさは身にしみていますからね。省吾さんと二人で大丈夫です」
千津川は首をすくめている。
「すみません。自分は同行できませんが、こんなものを用意しました」
土門が尚子に渡したのは、手書きの冊子だ。
「京都旅行の…しおり?」
「知り合いの女性にオススメや穴場のスポットを聞いたら、張りきってこんなものを作ってくれたんです」
「もしかして、榊さんですか?」
「いいえ!」
土門は滅相もないと手を振る。
「あいつは鑑定以外、ほとんど興味ありませんから。これは榊の同僚が京都府警察の女子ネットワークを駆使して調べたそうです」
「それは期待がもてるわ。ね、省吾さん」
尚子は嬉しそうに夫を見上げる。
「ああ。そうだな」
千津川もこれまた、土門が見たこともないような優しげな表情をしている。子どももいないようなので、いつまでも恋人夫婦なのだろう。
「土門さん、ありがとう。市販の旅行雑誌より、よっぽど楽しめそうだ。作ってくれた方にお礼を伝えてください」
「夫婦水入らずで、ゆっくり楽しんでください」
「はい!」
尚子は満面の笑みで土門に手を振った。
駅で千津川夫婦と別れた土門は、そのまま京都府警へ向かう。次に二人と会うのは明後日、またこの場所で帰りを見送る予定だ。
だが予定はあくまで予定だということを、土門も、千津川夫婦も、この時はすっかり忘れていたのである。