アラカルト



「え?入院?」

「といっても、検査入院だがな。血糖で引っかかった」

「何だ…」とマリコは驚いた心臓を落ち着けるため、息を吐いた。

「生活は不規則だし、お酒は飲むし、体に悪いものばーっかり食べてるからよ」

「耳が痛いな」

「生活を見直すには、ちょうどいいじゃない」

「病院食だけが憂鬱だ。時々差し入れしてくれ」

「たった3日でしょ?我慢して。それに血糖の検査なら、病院の食事だけにしておいたほうが数値がよくなるわ」

がっくり、土門は肩を落とすのだった。


そして、土門の検査入院が始まった2日目。
やっぱり気になるマリコは、土門の病室を訪ねてみることにした。
仕事柄、電話や面会人が多くなるかもしれないからと、土門は自腹を切って個室に入院している。

マリコが病室をノックしようとすると、室内からは楽しそうな声が聞こえてきた。

「あの、土門くんが刑事さんとはねぇ」

「土門くんはやめろ。もうガキじゃねえ!」

「私にしたら、今でも土門くんは土門くんよ」

「いい加減にしろ」とか「いいじゃないの」なんてポンポンと会話は続いている。
入るタイミングを逃したマリコが立ち尽くしていると、不意に内側から扉が開いた。
現れたのは白衣の天使だ。

「あら?すみません。お見舞いですか?」

「咲?誰だ?」

尋ねる土門の声に、「私よ」とマリコは答えた。

「榊か。入れ」

「ええ」

「土門さん、夕飯の前に検温に来ますね」

マリコと入れ違いに、看護師は出ていった。

「よお。差し入れか?」

マリコは両手をひらひらと振ってみせた。

「何だよ、冷たいやつだな」

悪かったわね、冷たい女で。
それより、さっきの看護師さんは誰?
呼び捨てにするなんて、土門さんとどんな関係?

言いたいこと、聞きたいことは山のようにあるけれど、プライドが邪魔をした。
マリコは暗い感情を全て隠して、冷えた笑みを浮かべた。

「もう明日退院でしょ?そうしたら、思う存分好きなものを食べればいいわ」

「それはそうだが…」

いけないと言われるとしたくなるのが人間だ。

「あと一日、我慢して」

「ちぇっ。わかった」

口をへの字に曲げる土門は、まるで駄々っ子のようだ。

「ところで、仕事のほうはどうだ?事件は?」

「今は大きな事件は起きていないわ」

「そうか」

土門はホッとしたようだ。

「じゃあ、帰るわね」

「え?今来たばかりだろう?」

「仕事の話もないし、私がいないほうがいいと思うから」

最後は棘のある言い方になってしまったが仕方ない。

「どういう意味だ?」

「別に。退院したら教えて」

それだけ言うと、マリコは扉に向かう。

「待て、榊」

土門は背を向けたマリコの腕を掴んだ。
そして立ち上がると、面会謝絶の札をさげて扉を閉めた。

「土門さん?」

「こうしておくと、仕事の話だと思って誰も入ってこない」

「だから、仕事の話はないわよ」

「仕事よりもっと大事な話があるだろう?」

「なに?」

「それはお前にしかわからん」

「………………」

「言いたいことがあるなら、話してくれ。俺は察しが悪いし、まどろっこしいのも嫌いだ」

「勝手ばっかり…」

「榊?」

「俺には何でも話せ、隠し事はするな…でも土門さんだって、私には話してくれないじゃない」

「何のことだ?俺はお前には何でも話しているつもりだ」

「嘘!」

「嘘じゃない」

「じゃあ、あの看護師さんは誰?知り合い?」

「看護師?」

「『咲』って名前で呼んでるの…………聞こえた」

「お前…………」

土門はじっとマリコの目を見る。
たまらずマリコは顔を逸した。
自分でもわかっているのだ。
つまらないヤキモチで、土門に嫌な態度をとっていると。

土門はベッドの端に座ると、マリコの手を引き、自分の正面に立たせた。

「あいつは小学校の同級生だ。偶然この病院で再会した」

「同級生?だから土門くん?」

「そうだ」

聞かれていたのかと、土門は苦笑いだ。

「懐かしくて色々話した。先月孫が生まれたらしい」

「そう………なの」

マリコは拍子抜けしてしまった。

「他に聞きたいことはあるか?」

「ない………と思う」

「それじゃあ、今度は俺が質問してもいいか?」

「いいわよ」

「お前、俺と咲の仲を疑ったのか?」

「………それは」

「それは?」

「だって………」

「面白くないな」

「え?」

「俺はお前の何だ?」

「えっと………」

「俺は恋人のつもりでいたんだが、違っていたか?」

「違って…………ない」

消え入りそうな小声でマリコは答える。

「つまり、お前は俺の気持ちを疑ったわけだな?」

「土門さん、すごく楽しそうに笑っていたんだもの」

そんな些細なことで拗ねるマリコが土門には可愛くて仕方ないのだが、それは言わない。

「お前だって、久しぶりに会った科捜研の仲間と楽しそうに話したり笑ったりするだろう。それと同じだ」

そう言われてしまっては、マリコはぐうの音もでない。

「何か反論はあるか?」

「………ない」

「よし。この話はここまでにしよう」

土門の言葉にマリコはほっとしたようだ。
しかし土門はマリコの手を握ったままだ。

「あの、土門さん?」

「もちろん。タダというわけにはいかない」

「え?」

「恋人を疑った罪を不問にするんだ。それ相応の見返りを求めるのは当然だろう?」

土門はぐっとマリコの腕を引く。
マリコの体は前かがみになり、二人の顔が近づいた。

「甘いモノが食べたい。赤くて、柔らかいものがいいな」

二人きりの病室なのに、あたりを確認してからマリコはちょん、と唇を重ねた。

「一瞬すぎて、甘いかどうかもわからんぞ?」

当然、マリコは解放してもらえない。

「もう!ワガママね!」

「悪いか?俺がワガママを言うのも、食べたいものも、お前限定だ」

土門にしては、なかなかの殺し文句だ。
マリコは小さな声でねだった。

「恥ずかしいから、目を閉じて」

言われた通りにすれば、ふっくら柔らかな感触と甘みが土門を満たす。

「お前もヤキモチなんて焼くんだな」

目を開けた土門はニヤリと笑う。

「悪かったわね。心の狭い女で」

「いや。嬉しかった」

「え?」

「それに、ヤキモチ焼いてるお前は案外カワイイな」

「案外は余計よっ!」

ムッとしたマリコは、土門の脇腹を思いっきりくすぐった。

「うははっ!やめろ、おいっ!」

「もうヤキモチなんて焼かせないでよね!」

少しだけ、不安げな声色。
きっと土門にしか分からない。些細な変化。

「誓う。少し残念だがな」

土門はそのままマリコを引き寄せると、座った足の間に閉じ込めた。そして細腰に腕を回し、土門はマリコの背後で両手を組んだ。

囚われて逃げ出せない。逃さない。
見つめ合う二人。

「俺にはお前だけだ」

面会謝絶の札はあと少しだけ。
そのままで。



fin


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