アラカルト



「よお!」

土門はエントランスで辺りをキョロキョロ見回しているマリコへ声をかけた。

「土門さん!」

「こんなところでどうした」

「土門さん、拓也を見なかった?」

「倉橋室長か?」

「ええ。大阪出張のついでに京都府警に寄るみたいで、さっき着いたって連絡があったの。だから一言挨拶だけでもって思ったんだけど…見つからなくて」

「藤倉部長のところじゃないのか?」

「あ、そうかも。それじゃあ、帰りに科捜研に来てもらうように連絡しておくわ」

「おいおい、警視庁のおえらいさんを呼びつけるのか?」

「いいのよ、拓也は」

くすっと笑うマリコの表情に屈託はない。
ただ単に、久しぶりに会う知人に挨拶するだけのことだと思っているんだろう。

しかし、土門にはそんな風には聞こえなかった。

『いいのよ、拓也は』

マリコの口が、自分以外の男の名前を呼び捨てる。
そして、自分と元夫との間に、まだ某かの関係があると無自覚なままに匂わせる。
別れているのだから、恋愛感情はないだろう。
だが、土門とマリコの間にはない、何かが倉橋とマリコの間には確実にある。

それを嗅ぎ取り、不快に感じる自分の心情。
これまでは一蹴してきたそれが、近頃はどんどん重く大きく成長し、もう少しで土門を押しつぶしそうだ。

ーーーーー そろそろ自覚しろ。

そう促す声に従うときが来たのかもしれない。



土門が刑事部長室に向かう途中、ちょうど前方の扉が開き、談笑しながら男が二人現れた。
藤倉と倉橋だ。

「このまま東京ですか?」

「いえ。榊くんに呼ばれていましてね。科捜研へ寄ります」

「あいつ…。室長を何だと思っているのか。申し訳ありません。私からも注意しておきます」

「いや、構わないですよ。彼女の唯我独尊は今に始まったことじゃありません。それに、たまには楽しいもんです。たまには、ですけどね」

倉橋は声をあげて笑っている。

「倉橋室長!」

「ん?おや、土門刑事」

「ご無沙汰しています」

「こちらこそ」

「土門、どうした?」

藤倉が事件だろうかと、居住まいを正す。

「あ、いえ。倉橋室長に榊からの伝言を預かってきました」

「マリコから?」

思わず倉橋の口から名前が漏れる。
ピクリと動いた眉に気づいたものは、誰も居ない。

「はい。急な鑑定が入ってしまったから、また今度挨拶させて欲しいそうです」

「ふぅん。あいつらしい…。今日は振られてしまったみたいだな」

倉橋は苦笑する。

「土門刑事、わざわざすまないね。わかったと、榊くんに伝えてもらえるだろうか」

「承知しました」

土門は一礼すると、二人の前を通り過ぎた。
背後で別れの挨拶を交わす声が聞こえたが、足を止めることはしなかった。


土門は科捜研の近くまでくると、スマホを取り出した。
そこで倉橋が帰京した旨のメッセージをマリコへ送った。さすがに面と向かっては伝えづらい。

『わかったわ。ありがとう、土門さん』

「…俺は一体何をやってるんだろうな」

マリコからの返事を読みながら、そう呟く。
まるで道化のようだと、土門は自嘲した。



残業するにも身が入らず、かといって飲みに行く気分にもならない。
さっさと帰って寝てしまおうと駐車場へ向かった土門を待っていたのは、愛車の隣に立つマリコだった。

「今夜はもうあがり?」

「ああ。何か用か?」

「それはこっちのセリフよ。どうして拓也に嘘をついたの?」

「……………」

「さっき連絡があったのよ」

「それで?俺のことを告げ口したのか?」

「いいえ。土門さんことは何も話していないわ」

「どうして?」

「何か…理由があるんじゃないかと思ったの。だからそれを確かめたくて待っていたの」

「そうか。悪いが特に理由はないな」

「そう。それなら勝手に想像させてもらうわ」

「なに?」

「土門さんは嫉妬したんだって」

「おい!」

「違うの?土門さんは拓也に嫉妬して、私と拓也が会わないように嘘をついた。違うかしら?」

「お前…」

土門は低く唸る。

「だったらなんでそう思う?なんで俺が倉橋室長に嫉妬していると思うんだ?」

「それは…」

「お前の考える理由を聞かせてくれよ、榊」

逆ギレ、やけくそ、上等だ。
だが返ってきたマリコの声は疲れたように掠れていた。

「…………………………知りたいのは私の方よ」

「榊?」

「私はいつまで待てばいいの?」

「え?」

「待つだけなのは卑怯だってわかってる。だけど不安で…」

マリコは俯き肩を震わせる。

「この関係が壊れちゃったらと思うと怖くて。私は伝えたい事も言えないのよ。…弱虫よね」


ーーーーー もう逃げられない。

土門の心の声が警告する。

『逃げたりしない。逃したくないからな、あいつを』

土門はようやくその声に向き合い、はっきりと答えた。


「待つなんてお前らしくないな。いつだって、図々しいくらいに踏み込んでいくのが科捜研の榊マリコだろう」

「酷い言いぐさね。だけど仕事とは違うもの…。私だって迷うことくらいあるわ」

「それが“榊マリコ”の本音か?」

「え?」

「だったら、俺も刑事ではなく“土門薫”として答える。榊、もう待たなくていい」

「土門さん?」

「不安なんて感じる必要もない。いいか、この関係は壊れるんじゃない、変わるんだ」

「か、わ、る?」

「そうだ。俺はお前の言う通り、倉橋室長に嫉妬した。別れたとはいえ、お前と倉橋室長の空気感が気に入らなかったからだ」

「……………」

マリコはじっと土門の目を見ている。

「お前が他の男の名前を呼ぶのが嫌だ。他の男がお前の名前を呼び捨てるのが嫌だ。お前が俺以外の男と二人きりで会うなんて、絶対に嫌だ!……えっ?」

ふわっと甘い香りと細い腕が土門を包んだ。

「しない。どれもしないわ。土門さん以外とは」

「本当か?」

「約束する」

はぁ…と土門は息をついた。

「好きだ」
「好きだ、榊」
「好きだ、大好きなんだ、お前が」

想いが、気持ちが、言葉が止まらない。

「うん。うん。私も。土門さんが大好き」

あふれる“好き”のシャワーが、いつしかマリコの不安をキレイに押し流していく。

壊れたわけじゃない。
変わった二人の関係がここから始まり、続いていくのだ。

「もう『拓也』って呼ぶなよ」

「『倉橋室長』って呼ぶわ」

「俺のことは下の名前で呼んで構わん」

「うん…でも少し時間をくれる?『土門さん』が長くて、急には無理そう」

「わかった。ゆっくり慣れていけばいい」

「ありがとう」

「だが、こっちはあまり時間をかけられそうにない」

土門はマリコの顎に手を添えると、唇を塞いだ。
予想通り、マリコは真っ赤になって体はカチンコチンに硬直している。

「早く慣れてくれよ。キスもその先も」

からかう口調とは裏腹に、土門は心底嬉しそうな笑みをたたえていた。



fin.


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