アラカルト
▶140000番さまへのお礼
140000番を踏んでいただき、ありがとうございます!
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「ねえ、土門さん。ハリーはどうしているかしら?」
ソファで本を読んでいたマリコは、ふと顔を上げると、そんなことを口にした。
「ん?何だ、急に」
土門も、広げていた新聞から視線を離した。
「ゾイケンの事件のことを考えていたら、気になったのよ。最近、ずっと会っていないでしょう」
「そうだな…。よし、会いに行ってみるか?」
「連れて行ってくれるの?」
「俺も会いたいしな」
「ありがとう、土門さん!」
「おっと!」
ソファ半席分の距離を飛び越えて、マリコは土門の首に抱きつく。
そんなマリコをしっかり抱きとめると、土門は笑った。
「なあに?」
「お前がハリーみたいだぞ」
「え?いない?」
翌日、駐車場で待っていたマリコの元にやって来た土門は、開口一番、そう告げた。
「ああ。朝、訓練所に確認したら、ハリーは少し前に一般の家庭に引き取られて、今は余生をのんびり送っているらしい」
「それって…」
「俺たちが歳を取るように、ハリーだってな。ましてや、犬のほうが早く老いることは…お前も分かっているだろう」
「…………………うん」
ぐすっと、マリコは鼻をすする。
「泣くな。ハリーはまだ元気で可愛がってもらっているんだぞ」
「そう、よね。ハリー、今、幸せかしら?」
「それは本人に聞いてみたら?」
「香坂!?」
「香坂さん、どうして?」
「ちょうどハリーに会いに行っていたの。そうしたら土門さんから電話があったって、訓練所から連絡をもらったのよ」
二人の前に現れたのは、鑑識課、警察犬担当の香坂。
そして彼女の手にはリードがあった。
かつてのように、マリコに向かって勢いよく飛びかかることはない。
それでも、懸命にしっぽを振り、「ワン!」と鳴くその姿は間違いなく…。
「ハリー!」
今日はマリコが走りより、幾分か小さくなった体を抱きしめた。
「ハリー、元気そうね」
「ワン!」
「よかったわ」
「クゥ~ン」
「榊さん、ハリーのことを気にかけてくれてありがとう」
「いいえ。元気なハリーに会えて嬉しいです」
「……………」
香坂は静かに微笑む。
「榊さん、ハリーと散歩してあげてくれる?」
「もちろんです。ハリー、行きましょう!」
「ワン!」
マリコは香坂からリードを受け取ると、ゆったりと歩き出した。
「香坂。忙しいのに、すまんな」
「いいえ。土門さんと榊さんは相変わらず一緒に捜査しているんですね」
「あいつとは腐れ縁だからな」
「いいじゃないですか、腐れ縁」
「香坂?」
「私も、できることならずっと…ハリーと腐れ縁でいたい」
「香坂、何かあったのか?」
「元気そうにみえるけど、ハリーは具合があまり良くないんです」
「そう…なのか………」
「ええ。幸い、今のご家族はとてもハリーのことを大切にしてくれていて、最期まで面倒を見ると約束してくれました。それは安心だけど、でも!もし、ハリーを失うようなことになったら…」
香坂の気持ちが土門には痛いほどわかる。
性別や種族なんて関係ない。
失いたくないものが、人にはあるのだ。
それが香坂にとってはハリーであり、土門にとっては…。
二人が見守る中、マリコとハリーが駐車場を一周し戻ってきた。
ハリーはもう息があがっている。
「ハリー、大丈夫?」
香坂の問いかけに、ハリーはその場に座り、舌を伸ばして呼吸を整える。
「そろそろ戻らないと、飼い主さんが心配するわね」
「香坂さん、今日はありがとうございました。ハリーの飼い主さんにもお礼を伝えてください」
「ええ。わかったわ。さあ、ハリー。帰るわよ」
のっそり起き上がったハリーは、二人を見つめ「ワン!」と一声鳴いた。
それはどういう意味だろう…。
土門は深く考えないようにした。
手を振り、ハリーの乗った車を見送るマリコ。
「元気そうでよかったな」
「………そう、ね」
土門の問いかけに、振り返ったマリコの目は真っ赤だった。
「お前………」
「会えて…よかったわ」
「ああ。そうだな。会えてよかった。………戻るか?」
「うん」
マリコは土門の後ろをトボトボとついていく。
ワゴン車の影に入ったところで、マリコが土門のジャケットを“くっ”と引いた。
「私、土門さんにも会えてよかったわ」
土門は立ち止まる。
「勝手に過去形にするな」
「え?」
振り返った土門は、そのままマリコを抱き寄せた。
「明日も会える。明後日だって。1週間後、1年後、10年後だって、俺たちは会える」
「土門さん…」
「忘れるな。俺たちは稀に見る腐れ縁だ。離れたくたって離れられない運命だ」
「なによ、それ」
「つまりだな。ずっと一緒にいるってことだ。わかったか!」
「わからないわよ。何がどう『つまり』なの?」
「わからず屋な女だな!」
土門はいらつく。
「いいから、『うん』と言え。俺たちはずっと一緒だ、いいな?」
「……………おいていかない?」
消え入りそうな声だった。
「榊?」
「以前のように、一人で遠くに行ったりしない?」
警察学校への異動のことをいっているのだろう。
ずっと心に秘めていたワガママ。
決して、口に出してはいけないと。
だけど育ちすぎた不安は、そんな誓いさえ超えてしまっていた。
土門は一際強く、マリコを抱く腕に力を込めた。
そうすることで、伝えようとしたのだ。
「次はお前も連れて行く。約束だ。だから俺の傍にいろ」
「うん」と今度こそ、その胸の中でマリコは頷いた。
「ハリーにもまた会えるかしら」
「ああ。また会いに行こう、二人で」
マリコは、大きく頷く。
ーーーーー 二人で。
今日からはそれが約束だから。
ずっと、ずっと続く……約束だから。
fin.
※ハリーのその後については確認しきれなかったため、私の予想となっています。ご了承ください。