アラカルト(誕生石ver.)



22000番さまへのお礼



22000番を踏んでいただき、ありがとうございます!


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どしゃ降りの雨の夜。
傘を持たない土門は、ジャケットで辛うじて頭を覆う。
雨の勢いで白く霞む視界の先にぼんやり浮かぶ明かりを目指し、意を決して走り出した。

ザァーという轟音に足音も書き消される。
明かりの先に一気に突っ込むと、突如世界が変わった。

外の轟音が嘘のように静かな室内には、低く心地よいジャズの調べが流れている。
適度に絞られた明りが、脳をリラックスさせてくれる。

「いらっしゃいませ」

穏やかな声と柔和な笑みが、バスタオルとともに差し出された。

それが、土門とmicroscopeの出会いであった。




「土門さま。店内の模様替えをしていたら、床の隅からこんなものが……」
「これは……!」
「懐かしいですね」
マスターが土門のグラスの隣に置いたのは、小さなトルコ石。

「覚えていらっしゃいますか?」
「生涯忘れられない出来事ですよ……」
土門は苦笑すると、その頃を思い出し遠い目をする。




豪雨の雨宿りとして初めてmicroscopeに飛び込んだ夜。
土門は大きな過ちを犯していた。
事件絡みではない。
それより…と言うには語弊があるが、土門にとっては人生を左右する程の過ちだ。

無言でタオルを拝借し、頭に被ったまま席に着くと、こちらも無言で水割りが差し出された。
最初の一杯こそ一度にあおったが、それ以降はゆっくりと杯を重ねる。
やがて『雨があがった』と常連客が話しているのが聞こえた。

土門はのろのろとスマホを取り出す。
電源を入れると、不在着信のランプが点滅していた。

――――― マリコだ……。

土門は『ここにいる』と場所だけをLINEする。
そしてそのまま反応を待つことなく、スマホをポケットへしまった。
返信が怖かったからだ。

ところが、予想に反してスマホは沈黙を続けた。
だが暫くすると、ほろ酔い気分に全てを忘れようとした土門の前に、それを許さないマリコが現れた……。

「土門さん……」
「榊…。来たのか……」
「場所を知らせてきたのは土門さんでしょう?よく来るお店なの?」
「いや、初めてだ」
土門はマリコと目を合わせようとしない。

「そう……」
「なんだ?」
「ううん。私も何かもらおうかしら……」
「おい!」
ようやく、土門はマリコを振り向く。

「なに?」
「あ、………いや」
「飲まなきゃやってられないのは、土門さんだけじゃないわよ?」
そう言ってマリコは軽く首を傾げる。

その動きに合わせて、シャツの衿元がずれ、左の鎖骨がのぞいた。
その鎖骨のすぐ下には、さっき自分が犯した罪の痕が今だ鮮やかに残っていた。




数時間前、土門はマリコをマンションまで送り届けた。
すでに本降りだった雨に濡れた土門を部屋に上げ、マリコはタオルと温かいコーヒーを振る舞おうとしていた。
しかし落雷の轟音とともに、突如部屋は停電となり暗闇に覆われた。
驚いたマリコは何処かに躓き、態勢を崩しかける。
土門は気配でそれを探り、受け止めた。

「ご、ごめんなさい……」
腕の中から聞こえた謝罪は土門の耳をすり抜ける。

雨に濡れたのはマリコも同じだ。
ぺったりと張り付いたブラウスを通して、マリコの体温と肌の感触がダイレクトに伝わる。
気づいたときには、土門はマリコの口を塞いでいた。
驚きからか動けないマリコをいいことに、さらに首筋をつたい下り、鎖骨へ吸い付く。

「ど、どもんさん……」

不安そうな声色に、土門は我に帰った。
そして。
何を言えばいいのか分からず、土門はその場を逃げ出したのだ……。

ずっとしまっていたはずだった。
上手く隠せていたはずだった。
それなのに、こんなに簡単に零れ出してしまうとは……。
土門はただ闇雲に雨の中を走り出した。




「榊……。すまな…い」
「………何で謝るの?」
「それは……」
「土門さんは悪いことをしたと思っているの?」
「…お前の気持ちを無視して、無理矢理……」
「そうね。私の気持ちは無視されたし、無理矢理だったわね」
「だから……すまない」
「土門さんは…………」

『誰でも良かったの?』

それは耳を疑う言葉だった。

「何、言って……!」
「だって、そうでしょう?違うならどうして逃げたりしたの?私の気持ちを確かめもしないで……」
「榊………」

土門は頭がガンガンと痛み出すのを感じた。
心臓も締め付けられるようで、息苦しい……。

「……私、帰るわ」
マリコは立ち上がる。
悲し気な視線を残し、コツッと足音が遠のいていく。

「待て!」
土門は痛む頭を振り切り、立ち上がろうとテーブルに手をついた。
しかし運悪く、その場に飾られていたサボテンの鉢に当たり、ガチャンと大きな音を立てた。
底に積まれていた青い石がバラバラと飛び散る。

「お客様。お怪我はありませんか?」
走り寄ってきたマスターは、すぐに破片を集めながら土門にたずねる。

「大丈夫です。申し訳ない……」
慌てて片づけに協力しようとする土門を、しかしマスターは止めた。
そして、土門の胸ポケットへ青い石を一つ、滑り落とした。

「これはトルコ石といいます。トルコ石には心配や疑惑を消す力があります。さらには闘争心を燃やし、決断力と実行力を高め、成功に導いてくれるそうです。……さあ、追ってください」

「しかし……」

「人生の優先順位を間違えてはいけませんよ。お代は次回……お二人でお越しになったときに」

うなずくマスターに、土門は頭を下げると走り出す。
店内にカランと軽い鈴音が広がった。



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