花でも枝でも幹でもなく
まもなく夜は明け、窓の外が白んでいく。
病院の朝は早く、看護師たちが慌ただしく準備を始める音が聞こえてきた。
すると、数人の看護師が3人のもとへ小走りで近づいてきた。
「ご主人からナースコールです!」
「!?」
思わず立ち上がる3人を別の看護師が諌めた。
「面会ができるようでしたら、お呼びします。それまでお待ち下さい」
「わかりました。よろしくお願いします」
マリコの言葉に看護師は頷き、集中治療室へ入っていく。
間もなく、医師もやってきた。
ほんの30分程度が何時間にも感じられる。
やがて戻ってきた医師は、伊知郎の容態を説明してくれた。
「意識の混濁や、手足のしびれなどはないようです。こちらの質問もきちんと理解し、正しく答えています。しばらくは入院して、経過観察が必要ですが、概ね心配ないでしょう」
「あ、ありがとうございます!」
いずみは何度も何度も頭を下げる。
医師が去ってもなお。
「母さん。よかった」
マリコはそんな母を抱きしめた。
「お一人だけ、5分程度でしたら面会可能です」
顔をのぞかせた看護師が声をかけた。
「マリちゃん、あなた行きなさい」
「何言ってるの!母さんじゃなきゃ駄目に決まってるじゃない」
マリコは母の背中を治療室へ押し込んだ。
部屋の外から覗いていると、いずみは恐る恐る伊知郎の枕元に近づいて行った。
その顔を見れたのだろう。
伊知郎の手を握り、いずみはずっと伊知郎へ何事か語りかけていた。
二人になったところで、マリコは土門へ仕事のことを尋ねた。
「父さんも大丈夫そうだし、もう仕事へ戻って」
「お前はどうするんだ?」
「私はもう少し母さんの側にいて、後から帰るわ」
「だったら、俺もお前と一緒に戻るさ」
「でも…」
「藤倉部長には許可を取ってあるし、蒲原も今じゃ随分しっかりしてきた。俺がいなくても心配ない」
「だけど…」
「俺がいないほうがいいのか?」
「そんなこと言ってない」
「じゃあ、いてほしいのか?」
「……………」
何となくからかわれている気分だ。
マリコはため息をついた。
「いてほしいに決まってるでしょ」
自分で尋ねたくせに、答えを聞いた土門は目を丸くし、そのまま耳を赤くした。
「土門さん?」
「………今は、いろいろ無理だ」
「???」
寝不足で疲れ切った体は、逆に歯止めが効かない。
土門は無言でマリコの手を取ると、非常階段の隅に押し込めた。
「ど、土門さん?」
「すまん。こんな時に。少しの間だけ我慢してくれ」
土門はマリコの髪に口づけたまま、ゆっくりと深呼吸を続ける。ドクドクと煩い心音はなかなか静まらない。
それでも何とか、土門は自制する。
見れば、マリコも真っ赤になってうつむいていた。
「面目ない」
「ううん。いいの。私だから…でしょ?」
土門はマリコのおでこを軽く弾いた。
「あんまり煽るな。襲うぞ?」
「父さんが許してくれたらね?」
土門は目を白黒させる。
こうなったら、何が何でも伊知郎を説き伏せなければならない。
「所長にも連絡しなくちゃ。父さんのこと気にしてくれていたから」
「そうだな。俺も藤倉部長に伝えておく」
「お願いね」
「ああ」
「えっと。もう…大丈夫、そう?」
「ん?あ、ああ」
ギクシャクと二人は離れる。
「認めてくれるかしら、父さん」
「心配か?」
「それは……少し」
マリコは不安げに視線を泳がせた。
「まずは榊監察官の回復を待って、話しをしてみてからだな」
「私、諦めないから」
「榊?」
「もし父さんが認めてくれなくても、土門さんのこと諦めないわ」
「榊…」
多分、これがプロポーズの返事。そして。
「だって、だ、だ、だ…」
「?」
「だ、大好き、なんだもん」
「○☓△□☆!?」
マリコは逃げるように、いすみのもとへ戻ってしまった。
車の中で「後で話す」と言っていたのは、このこと。マリコなりの精一杯の告白なのだ。
「こんな顔じゃ、監察官には会えんな…」
残された土門は気合を入れ直すために、パンパンとニヤける自分の頬を叩く。
伊知郎に認められる男になる。
だがそれより前に、まずはマリコを支えられる男にならなければならない。
さっきのように不安な顔をさせるようでは、まだまだだ。
こんな有名な言葉がある。
花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根
根はみえねんだなあ
「支える」それは口にするよりもずっと難しく、責任の重いことだ。
土門は一番下の見えない根で構わない。
代償なんて求めない。
ただ。
変わらず、笑ってくれればそれでいい。
「榊、お前が…」
すると、いずみと話していたマリコが突然振り返った。
「土門さん!」
自分の名を呼ぶマリコは、笑っていた。
fin.
*作中の詩は、相田みつをさんの作品より引用しています。
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