花でも枝でも幹でもなく
荷物と買い出しを済ませて病院へ戻ると、いずみは窓際にいた。暗い廊下ではわからなかったが、近づいてみると、いずみは両手を合わせ月に祈っているようだった。
「母さん」
あたりを憚って、マリコは小声で母を呼んだ。
いずみはマリコ達のもとへ近づいてくる。
「ありがとう。着替え、もらうわね」
「うん。お弁当を買ってきたから、食べましょう」
「ええ」
三人は待合室の隅で手早く夕食を済ませた。
正直、味はよく分からなかった。
「自分が起きていますから、二人とも、少し休んだらどうですか?」
母と娘は顔を見合わせる。
「そうね。母さん、少しだけでも眠っておきましょう」
「でも…」
「父さんが目覚めたときに、起きていてあげなきゃ」
「わかったわ。土門さん、ごめんなさいね」
「いいえ」
マリコといずみは、看護師から借りた毛布を肩にかけると、長椅子に二人で寄り添って座る。
やがて一つだけ土門の耳に寝息が聞こえた。
眠っていたのはマリコだった。
「眠れませんか?」
土門が声をかけると、いずみは苦笑した。
「お恥ずかしい話ですが、目を閉じるのが怖くて」
「恥ずかしくなんてないですよ。大切な方なんですから、当たり前です」
「お互いいい年だし、覚悟はしてるつもりだったんですけど、いざとなったら…」
いずみは毛布の上から足を擦る。
「マリコには言えませんが、電話であの人が倒れたと聞いたときには、足が震えて立っていられなかったんですよ」
「そうでしたか。足の方はもう?」
「ええ。今はもう大丈夫です。マリコの顔を見たら、弱音は吐けません」
よく似た親子だ。
「土門さん、今日はとても助かりました。でも、お仕事へ戻らなくてもいいんですか?」
いずみも警察関係者の妻だ。土門の優先すべきものが何か、よくわかっていた。
「休暇を取ってきました。無期限の」
「え?」
「こいつの」
土門は静かに眠るマリコを見る。
「こいつの側にいて支えると、守ると約束しましたから」
「マリコは幸せね」
「逆です」
「?」
「こいつの側で、話をして、笑い合って、喧嘩して、そんなことを許される自分のほうが幸せです」
「土門さん。あなた、それほどにマリコのことを?」
「かけがえのない存在だと思っています。だから、あなたにも、榊監察官にも、きちんと話して認めてもらいたいんです。こいつはご両親をとても大切にしているから」
「私はマリコが選んだ人なら構いませんよ」
「本当ですか?」
「ええ。でも、男親の嫉妬は甘く見ないほうがいいわね。目に入れても…どころじゃないから」
「むっ……」
土門は思わず唸る。
しかし、いずみは笑った。
「でもきっと認めざるを得ないでしょうね。だってそうしないと、マリコに嫌われてしまうもの」
土門は複雑な表情を浮かべる。
「土門さん。マリコをよろしくね。あなたなら、私は安心だわ」
「ありがとうございます」
「………………」
いつの間にか、寝息は途絶えていた。
いずみは眠ったふりをする娘の頭を優しく撫でた。
自分より背も高く、大人になった娘。
それでも、いずみにとっては子供のままだ。
可愛くて、幸せになって欲しい、自分の命よりも大切な我が子。
「マリちゃん。幸せにね」
マリコはいずみの首筋に顔を埋めた。