春心
夕暮れ迫る京都府警のエントランスには、人待ち顔のマリコがいた。
「遅くなってすまん」
「大丈夫よ」
駆け寄ってくる土門の隣に、マリコは並んだ。
「土門さん」
「何だ?」
「府警を出たら、手を……繋いでもいい?」
「?」
「さっきの出来事が夢みたいで、まだ実感がなくて…」
土門は笑うと、その場でマリコの手を握った。
ざわつく外野は気にもせず、土門はマリコと手を繋いだまま、京都府警をあとにした。
「いいの?」
土門の車に乗り込むと、マリコは心配そうにたずねた。
「何がだ?」
「明日、噂になるわ」
「構わん。これで、お前に言い寄る男も減るだろう」
「そんな人、いないわよ」
「…………………」
数々の男たちの猛アタックは、まるで通じていなかったらしい。同情しつつも、「これからは言い寄ることすら許さない」と土門はマリコの手を握り直す。
「土門さん?」
「知らないならそれでいい。明日にても交際届を藤倉部長へ提出しないとな」
「そうね」
「その前に、ちゃんと既成事実を作るぞ、今夜。逃げるなよ?」
「……………わ、わかってるわよ」
真っ赤にうつむくマリコの姿は新鮮で、このまま助手席のシートを倒したい衝動を、土門は何とか堪える。
「そんなにかわいい反応するなよ」
「か、かわいくなんてないわよ!変なこと言わないで。恥ずかし………」
猛烈に照れるマリコの唇を素早く奪うと、もう一刻の猶予もない土門は車を発進させた。
窓を開ければ、いつの間にか流れ込む夜風が心地いい季節になっていたことに気づく。マリコの髪は運ばれ、軽やかになびく。
「寒くないか?」
「大丈夫。気持ちいいわ」
微笑むその表情を盗み見て、土門は心底安心した。
二人の関係を示す呼び名は大きく変わるけれど、自分も、きっとマリコも変わらない。明日からも同じように事件を追い続けるだろう。被害者のために。
ただこれからは。
心と身体が疲れたときには、癒やしてくれる場所が、存在がいる。
それは単なる変化というよりも、「なるべくして起きた」変化というほうが相応しいだろう。
越冬し、春に芽吹く桜のように。
そんな二人の目の前には、ヘッドライトに浮かんだ満開の桜、桜、桜。
「土門さん、きれいね…」
マリコはうっとりと見惚れているようだ。
「ああ。きれいだ…」
土門の目に映るのは、桜よりも儚く美しい恋人の
この瞬間のマリコと桜を生涯忘れない。
ようやく実った片恋は永く秘めていた間に熟し、今宵、甘い溺愛の香りを放つことだろう。
それを味わえるのは、この世で榊マリコただ一人。
fin.
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