初恋の香り
「ん、ふ、ふ、ふっ♪」
紙箱が2つ入った袋を大切そうに抱えた早月は、ニマニマと笑いを堪えきれない様子だ。
傍から見れば、かなり怪しい。今もすれ違ったOL二人が、早月を振り返ってはこそこそと何事か話している。
しかし本人はそんなことに気づくこともなく、スタスタと京都府警へ足を動かした。
「まいど〜」
「おや、先生。いらっしゃい」
出迎えてくれたのは日野だった。ちょうどお茶のお代わり汲みに立ち上がったところらしい。
「所長。マリコさん、いますか?」
「自分の鑑定室にいると思うけど?」
マリコの鑑定室はくもりガラスになっていて、中は見えないが電気はついている。
「わかりました。あ、これ。今日のおみやです」
早月がテーブルに置いたのは、紙袋から取り出した焼菓子の箱。
「いつもすみませんね。いただきます。クッキーならコーヒーかな」
日野はいそいそとコーヒーカップの用意を始める。
一方、早月はマリコの鑑定室をノックすると、室内へ消えていった。
「先生、こんにちは。私、何か分析を頼んでいたでしょうか?」
早月の来訪の目的が思いつかず、マリコは首をかしげた。
「違う、違う。今日はね、マリコさんにプレゼントを持ってきたの」
「プレゼント?私、誕生日はまだですよ?」
「誕生日じゃなくても別にいいでしょ。これよ、じゃ~…」
早月がもう一つの箱を取り出し、今まさに蓋を開けようとしたその時。
「入るぞ」
ドアが開いて、土門が現れた。
「おっと!風丘先生、失礼」
「土門さん、いつも言ってるでしょ。ノックくらいして、って」
「すまん」
土門は叱られてバツが悪そうだ。
「いいの、いいの、マリコさん。この鑑定室は、土門さんにしてみれば、もう我が家みたいなものだろうし」
ププッと早月は吹き出す。
土門とマリコはつい先日交際届を提出し、二人の関係は皆の知るところとなっていた。
もっとも、二人に近い人間はとっくに気づいていたのだが、あえて気づかぬふりをしていたのである。
「先生!」
赤くなって膨れるマリコなんて、なかなか見られるものじゃない。でもそんなマリコの変化を、早月はとても好ましく感じた。
「まあ、まあ」
「『まあ、まあ』じゃないわよ。原因は土門さんでしょ!」
「……面目ない」
マリコを宥めようと割り込んだ土門は、とんだ藪蛇だったようだ。
「夫婦漫才も見れたし、この箱開けていいかしら?」
仕切り直して、「じゃ~ん」と早月が蓋を開けると…。
「まぁ!」
「こいつは!」
共に感嘆の声が漏れた。
「すっごくカワイイし、美味しそうでしょう?」
現れたのは白イチゴがふんだんに乗ったケーキだった。
「このケーキ、期間限定で大人気なの。予約もできないし…でも今日行ってみたら、運良く残っていたの!で、ぜひ、マリコさんにも食べてもらおうと思って持ってきました」
「白イチゴを食べるのは初めてです。ありがとうございます、先生!」
マリコの手放しの感謝に、早月もまんざらではない様子だ。
「どういたしまして。ちょうどいいから、土門さんと食べてね」
「え?先生も一緒に食べましょうよ」
帰り支度始める早月を、マリコが引き止める。
「私はそんな野暮な女じゃありません。後で感想聞かせてね」
ひらひらと手を振って部屋を出ようとした早月は、思い直してくるりと振り返った。
「マリコさん。その白イチゴ、“初恋の香り”って品種なのよ」
「じゃあね」と、今度こそ早月は出ていった。
二人きりになったところで、マリコは土門に椅子を勧めた。
「風丘先生、お前と食べるつもりだったんだろう?悪いことしちまったな」
「今度は私が買って、先生に差し入れしておくわ」
「すまん。頼むな」
「ええ。ところで土門さん、食べる時間ある?」
「ああ」
「じゃあ、用意するわね」
どこからか紙皿とフォークを見つけてきたマリコは、ケーキを皿に移した。
「どうぞ、土門さん」
「ん。美味そうだな」
まずはイチゴから…と、二人は口に入れてみる。
完熟の赤イチゴのような糖度はないが、白という見た目から想像するよりも、ずっと甘い。そして少しの酸味もあって、バランスの取れたイチゴだった。
「おいしい…」
「ああ、なるほど。確かに甘みと仄かな酸味が初恋を連想させるな」
土門はただイチゴの感想を口にしただけなのだが、マリコのアンテナが反応した。
「土門さんの初恋は、甘酸っぱいものなの?」
「ん?まあ、誰だって振り返ればそんなもんじゃないか?初恋は実らないことが多いから、甘いだけじゃないんだろうな」
「土門さんも…実らなかったの?」
「俺の初恋の相手は、美貴の幼稚園の先生だったな。でも恋した翌日には結婚していると知って、ガキながらに落胆したもんだ」
土門は懐かしそうに振り返る。
「ふぅん」
「……ふぅん、だけか?」
「え?」
「この流れなら、次はお前の初恋の話だろう?」
「私?いいわよ。私の初恋の話なんて全然面白くないから」
「俺は聞いてみたいぞ。お前の恋愛遍歴は聞いたことがないからな」
「拓也を知ってるじゃない」
「結婚する前はどうなんだ?どんな男と付き合っていたんだ?お前のことだ、モテただろう?」
「か、関係ないでしょ!」
マリコは知らんぷりをする。
「関係あるだろ。付き合っている相手の過去を知りたいと思って、何が悪い」
「……………」
「俺には、言えないのか?」
「黙秘します」
「もしかして、俺が嫉妬でもすると思ってるのか?」
「だから、黙秘」
「……そうか。わかった。だったら、尋問だな」
「え?」
土門はイチゴをフォークに刺すとそのままマリコに近づいていく。マリコは後ずさるが、すぐに背は壁にぶつかった。
「刑事の質問には、素直に答えたほうが身のためだぞ」
低い声に併せて、ドン!とマリコの顔の横に土門は手をついた。
マリコはゴクリと喉を鳴らす。
「い、言いたくない」
「俺は知りたい」
「どうして?」
「お前のことだから」
「?」
「お前のことなら何でも知りたい」
「土門さん…」
「独占欲の強い男は嫌いか?」
「土門さんなら、嫌じゃないわ」
「……………」
今度は土門が喉を鳴らす番だった。
天然なのだろうが、恋愛オンチが予告なく落とす爆弾は威力がハンパないのだ。
「まったくお前は……」
土門は壁についた肘を曲げると、マリコに覆いかぶさる。
マリコは驚き、土門の背を叩いた。
「外から見えたら…」
「スモークになってるだろ」
マリコの言葉には耳も貸さず、土門はイチゴの風味が残るマリコを味わう。やがて息継ぎに切ない声が混じるころ、ようやく土門はマリコを開放した。
「バカ」
「お前が素直に白状しないからだ」
「だって…」
「ん?」
「言ったら土門さん、絶対呆れるわ」
「初恋の話だ、そんなことしない」
「本当に?約束する?」
「ああ」
「……………片山先生」
「は?」
「私の初恋の相手よ」
「学校の先生か?」
「片山国嘉先生。日本の法医学を確立した方よ」
「……………」
土門はポカンとマリコを見ている。
「お前らしいというか、何というか…。歴史上の人物が初恋の相手……」
「やっぱり呆れてるじゃない。だから言いたくなかったのに」
いじけるマリコの口に、土門は手にしていたイチゴを放り込むと笑った。
その笑顔を目にしたマリコは、「なぜだろう?」と不思議に思った。
なぜだろう、さっきよりイチゴが甘く感じるのだ。
「呆れてるわけじゃない。むしろ嬉しい」
「嬉しい?どうして?」
「聞きたいとは言ったが、相手が生身の人間だったら、やはり面白くはないからな」
土門はマリコから視線を逸して、そんなことを言う。
「大昔の話でも?」
「当たり前だ。時間は戻せないが、できるなら過去のお前だって俺のものにしたいんだ」
「呆れたか?」と土門は苦笑する。
「呆れたりしないわ。むしろ嬉しい」
マリコは土門を真似る。
「過去の私は無理だけど、
「俺のものだ」
初恋の香り漂う白イチゴは、いつしか赤く熟れて。
それはそれは甘い芳香で二人を包むだろう。
fin.
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