「しか」という想い



「み、み、み、み」

「亜美ちゃん、落ち着いて。どうしたの?」

「見ました?マリコさん!」

「何を?」

出勤してきた途端、亜美は大興奮だ。

「何をって!チューブキッズのきよしと、さくらいろクラブAエース菜々子ななこの結婚ですよっ!」

「あー!?そうそう。朝のニュースで見ましたよ」

「驚きましたよね」と君嶋もうなずいている。

「そのニュースなら僕も見たよ」

「所長も?」

「私も。二人が結婚したことはネットニュースで知りました」

「宇佐見さんまで…」

「マリコさんは知らなかったんですか?」

「結婚のニュースどころか。私、その二人のことも知らないわ」

「………え?」

亜美は衝撃にスマホを落とし、慌てて君嶋がキャッチした。

「よくテレビにも出演していると思いますが、見たことないですか?」

「ごめんなさい。私、テレビはあまり見ないの。でもその二人の結婚が大ニュースなの?」

「大物カップルですからね」

「そうだね。でも、みんな!」

君嶋の話を遮るように、日野が割り込む。

「時間だよ。はい、仕事、仕事!」

「はーい」

話題はそこで終わり、全員がそれぞれの部屋へ入っていった。




昼休み。
屋上で土門と待ち合わせたマリコは、今朝の話題を話してみた。

「そのニュースなら俺も知ってる」

「土門さんまで!私だけが知らないのかしら」

「そんなわけあるか。そういったことに興味のない人だって大勢いるだろう」

「そうよね?そもそも誰と誰が結婚したかなんて、みんななんでそんなに気になるのかしら」

マリコはひたすら首を傾げている。

「芸能人は一種の公人だからな。結婚のニュースを聞いてロスになる人もいるんじゃないか」

「ロス?」

「憧れの人が誰かのものになったことで、もう手が届かなくなってしまったという喪失感、みたいなものだな」

「ふーん」

明らかに気のない返事に、土門は苦笑する。

「芸能人は別として、お前だって知り合いの結婚となれば気にはなるだろう?」

「そうかしら?」

「例えば涌田とか、…………宇佐見さんとか?」

土門は「宇佐見」の名前を口にしたとき、マリコの表情に注視していた。しかし、マリコに変化はない。
何となく、ただ何となく、土門にとって宇佐見は気になる存在だった。だからあえて口にしてみたのだが、気にしすぎかもしれない…土門は少しだけほっとした。

「そうね。おめでたいと思うし、祝福もするけれど、後はいつも通りかな」

「じゃあ、俺なら?俺が結婚したらどうする?」

「え?…………………………」

マリコは一瞬黙ってしまった。
そうかと思えば。

「そんな、予定、ある、の?」

ギクシャクとした口調は、明らかに動揺している。

「無いとは言えんな」

「いつ?誰と?京都府警の人?私の知っている人?」

いつもように、ただ冗談の応酬のつもりだったのに。
矢継ぎ早なマリコの質問に、土門は気圧された。

「おい、落ち着けって。榊」

「私には何でも話せって言うじゃない。だったら、土門さんだって話してよ…」

マリコはズキっと痛む心臓に手を当てる。
土門はしばらく、そんなマリコの顔を見つめた。

いつの間にか機は熟し、サイは投げられたようだ。

「今すぐ結婚する予定はない」

「なんだ…」

その言葉を聞いて、マリコの表情が和らぐ。

「しかし、好きな女はいる」

「え……………」

再びマリコの表情に影が差す。

「ゆくゆくは彼女との結婚について考えるつもりだ」

「私の、知ってる人?」

「ああ」

「もしかして、風丘先生?」

「は?何でここで先生の名前が出てくるんだ?」

「だって。私が知ってる土門さんに釣り合う女性って、先生くらいしか思いつかないんだもの」

「はぁ…。もう一人いるだろう?」

相変わらずすぎるマリコに、脱力する土門。

「?」

「風丘先生と同年代で、同じバツイチの女が」

「どこに?」

「こ、こ、に、だ!この、にぶちん」

「何よ、『にぶちん』だなんて失礼ね!」

二人は腰に両手を当てて、顔を突き合わせる。

「…って、ここ?ええ?」

「わかったのか?」

「もしかして、私?」

「ここにはお前しかいないだろう」

「だって、好きな女性って。結婚も考えているって」

「だから、俺はお前が好きで、お前との結婚を考えているってことだ」

「えっと、その…」

マリコは急に恥ずかしくなり、土門から一歩離れた。

「返事は急がない。長年待ってるからな、慣れてる」

その言葉に、マリコは目を丸くする。

「どうして?」

「ん?」

「どうして私なの?」

「さあな。気づいたらお前しかいなかった。それだけだ」


そうだ。
気づいたら、目がお前を追っていた。
お前しか目に入らなかったんだ。


『私も…そうなのかしら?』

マリコの頭に浮かんだのは、別れた夫と、何故か宇佐見だった。二人のことは好きだ。だけど「拓也しか」、「宇佐見さんしか」という好きとは少し違う。

「土門さんしか」

マリコはふと口にしてみる。


不思議だわ。
なんだかしっくりくる。


科学では説明できない直感に、マリコは自然と従う。自分の心に、気持ちに嘘はつけない。


「榊?」

「私も、土門さんしかいないわ。今気づいたの」

「今、かよ………」

土門はなんともいえない顔をする。
けれど、それがマリコ。土門が選んだ科捜研の女なのだ。

「気づいただけ、お前にしては上出来か」

「どういう意味?」

「これからは、遠慮なくこうさせてもらうって意味だ」

土門は前触れもなく、マリコに口づける。柔らかくて、甘くて、まるでマシュマロみたいな唇。癖になる感触と味わいが土門を虜にする。

マリコもそっと土門の背に手を回し、口づけを受け入れた。正直に言えば、驚きはあった。でもそれ以上に、実は待ち望んでいたのだと悟り、心が、身体がとろけていく。

「ずっとこうしていたいな」

離れがたく、二人はその場を動けない。
しかし、無情にも2台のスマホが同時に鳴った。

「仕事、しなきゃね」

「ああ…」

土門は深い、それは深いため息を吐いた。

「土門さん」

「ん?」

「続きは…………………帰ってからね」

「なに!?」

恥ずかしいのか、くるりと背を向けると足早に戻っていくマリコを、土門は呆然と見送る。
今、マリコはなんと言ったのか?

「おい、待てよ。榊!」

土門が後を追う。
刑事の足は、ターゲットを絶対に逃さない。



fin.


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