星のキューピッド
「母さん?」
スマホの着信に首を傾げて、マリコは電話に出た。
「もしもし、母さん?」
『マリちゃん、明けましておめでとう』
「うん。おめでとう。今年もよろしくね」
『こちらこそ。ところでマリちゃん、今おうち?』
「そうだけど」
『ああ。よかった。今ね、京都駅なの。これから行くから』
「え?え?」
『じゃあ、切るわね』
「ま、ちょっ、母さん!」
呼びかけも虚しく、スマホからはツーツーと通話終了の音しか聞こえなかった。
それから1時間もしないうちに、マリコの家のインターフォンが鳴った。
「マリちゃん、久しぶり」
「母さん、来るなら連絡してっていつも言ってるでしょ?」
マリコは母の急な来訪に、やや不機嫌な物言いをした。しかしそんなことで、しおらしくなるようないずみではない。
「何言ってるの。連絡したって会えないじゃないの。だったらとりあえず行ってみようと思ったの。今日は会えてラッキーね」
マリコの不満もどこ吹く風で、いずみはズンズンと廊下を進んでいく。リビングに荷物を下ろすと、「はー!」と腰を落ち着けた。
「マリちゃん、お茶」
「はい、はい」
「『はい』は一度よ。あ。お茶菓子は持ってきたから」
そういうと、いずみはバッグから菓子箱を取り出した。
「ハーバーね!」
懐かしい土産に、マリコはいそいそとお茶の準備を始めた。
「母さん。今日、泊まっていく?」
2個目のハーバーに手を伸ばしながら、マリコは訊ねた。
「いいかしら?会えるか分からなかったから、準備はしてきてないんだけど」
「私の服でよかったら使って」
「ありがとう」
それからしばらく、いずみの習い事の話やご近所さんの話題、多少は伊知郎の近況も肴にしつつ、ひとしきり母娘は話に華を咲かせた。
デリバリーの夕飯を済ませ、そろそろ寝支度をしようかという頃、いずみがすっとんきょうな声を上げた。
「どうしたの、母さん?」
洗面所にいたマリコが顔を覗かせると、いずみはマリコのタンスの前で固まっていた。
「母さん?」
「マリちゃん。着替えを借りようと思ったんだけど、これ………」
「…………あっ!」
いずみが手にしたものを、マリコは目にも留まらぬ早業で奪い取り、背中に隠した。それは、去年のクリスマスを土門と過ごすために用意したランジェリーだった。特別な夜だからと、マリコはいつもより少し大胆なデザインのものを選んだのだ。
「どうして隠すの?」
「ど、どうしてって…」
「マリちゃん、好きな人がいるのね?」
「……………」
「誤魔化しても無駄よ。母さんの目は節穴じゃないんだから」
いずみはニッコリと笑う。
「マリちゃんに会って感じたの。貴方、表情やしぐさがとても柔らかくなったわ。お化粧もちゃんとしてるし、玄関にはヒールも置いてあった」
さすがマリコの母親だ。
鋭い観察眼を持っている。
「その下着も好きな人のためでしょう?」
「……………」
「マリちゃんをこんな風に変えてくれるなんて、素敵な人なのね?」
「……………」
無言のまま、それでもマリコは小さく頷いた。
「そう。よかった。父さんに何よりのお土産ができたわ」
「父さんにはまだ言わないで」
「どうして?」
「それは…」
伊知郎にはバレてしまうかもしれない。
マリコの恋人が土門だということが。
それは何となく恥ずかしい。
まだこの先の約束も何もない二人なのだ。
「いいじゃないの。相手が誰か、言わなければいいでしょ?」
「母さん?私の好きな人が誰かわかってるの?」
「まさか…?」と疑う娘に、母は「ふふん」と不敵に笑う。
「ところで、マリちゃん。あなた、細くてスタイルいいんだから、もっとセクシーなランジェリーも似合うんじゃない?」
「か、母さん!」
マリコは赤くなって叫ぶ。
いずみはそんなマリコに近づくと、娘の髪をそっと撫でた。
「たくさん愛してもらうのよ。土門さんに。愛されて、そして幸せになりなさい。マリコ」
母の思いがけず優しい声と仕草に、マリコも素直に頷いた。
翌日。
マリコが屋上へ足を運ぶと、ちょうどそこには土門がいた。マリコは躊躇したものの、母が突然やってきたことを土門に話した。
「お袋さんが?」
「ええ、そうなの。今朝早く帰ったけれど。あのね、土門さん。実は母さんにバレちゃったの。その……私たちのこと」
「そうか」
「怒ってる?」
マリコは上目遣いで土門の顔色を伺う。
「なぜ?」
「まだ言わないほうがよかったのかな、と思って」
「俺は初めから隠す気はないぞ。お袋さんに知られたならちょうどいい。改めて、ご両親に挨拶させてくれないか?」
「……………」
「榊?」
「挨拶って。私、まだ何も言われてないわよ」
むくれるマリコに、土門は苦笑する。
「そうだな。すまん。順番が逆になっちまったが…」
土門は、マリコに向き合う。予想外の急な展開に、マリコの鼓動が速くなる。
「俺の嫁さんになってくれるか?」
マリコの脳裏に母の言葉が蘇る。
ーーーーー たくさん愛されて、幸せになりなさい。
この人なら、それが叶うだろうか。
ううん。
この人にしか叶えられない。
きっと。
絶対!
「ええ。もちろん」
土門はマリコと額を合わせると、ちょんと鼻先にキスを落とした。
「誓いのキスは本番でな」
マリコは幸せそうに微笑んだ。
自宅に戻ったいずみは、ご飯の支度をしながら夫の帰りを待っていた。
近いうちに、またマリコには会えるだろう。多分、二人連れで。
そんなことを考えていると、玄関の開く音がした。
「ただいま」
何から話そうか。
いずみは待ちきれずに、玄関へ走っていった。
「おかえりなさーい!」
fin.
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