二人暮らし



「ただいま」

玄関をくぐった土門少尉の第一声だ。

「えっ?」

よく考えれば何も不自然なセリフではないのだが、少尉がマリコの自宅を訪ねて「ただいま」なんて言葉を発する日が来ることが、マリコには驚きで新鮮だった。

「お、おかえりなさい」

誰もいないのに、気恥ずかしさから何故か小声になってしまうマリコ。

「………夫婦、みたいだ」

ボソリとつぶやいた土門少尉の耳も、心なしか赤くなっているように見えた。



「お部屋はここを使ってください」

マリコが案内したのは、自室の隣だ。

「マリコさんの………隣?」

「はい。あの、父とも相談したんです。そうしたら、もし何かあった際に、やはり隣に少尉が居てくれた方が安心だろうということになりました」

「なるほど。確かに。しかし……」

「気になるようでしたら、別のお部屋をご用意します」

「いや。それには及ばない。ここを使わせてもらおう」

土門少尉はここに来た本来の目的を、改めて自分に言い聞かせた。

『主が留守の間、マリコを守ること。』

それに専念しよう。
邪念を払うように、少尉はドスンと荷物を床に置いた。



荷物を運び終えると、二人はひとまず居間へ移動した。マリコの家の居間は、先日、畳部屋からソファとテーブルを置いた洋部屋へ模様替えをしたばかりだった。

「何か飲み物でも…。何にしましょう?」

「ではお茶を頼む」

「はい」

マリコは台所へ引っ込むと、間もなく客用と自分の湯呑みに緑茶をいれて戻ってきた。

「どうぞ」

「ありがとう」

二人でソファに並んで緑茶をすする。これまでも、土門少尉の家を訪れた際はいつもしてきたことだ。だけど…。

「マリコさんの家で、二人でこんな風に寛ぐのは何だか……新鮮だ」

「わ、私もです!」

緊張と気恥ずかしさと、でも嬉しさと。
一つにはまとめられない気分なのだ。
そして自分と同じことを少尉が思っていた、そのこともマリコは嬉しかった。

「そうだ。マリコさん」

「はい」

「明日、買い物に行かないか?」

土門少尉は明日、公休日だった。

「ええ。いいですよ。何か足りないものがありましたか?」

「いや。そういうことではなく。夫婦湯呑を買いに行きたいと思ったんだが。……気が早いかな?すまない、今の話は忘れてほしい」

照れくさそうに襟足に手を当てる土門少尉。
マリコは首を振った。

「私も、欲しいです…」

チラッとマリコは少尉を見上げる。

「マリコさん…」

その様子に、土門少尉は溜息を吐き出す。

「あまり煽らないで欲しい」

「?」

首を傾げるマリコは完全なる無意識のようだ。それなら尚のこと、たちが悪い。

「この家ではあなたに触れないと決めている。それなのにそんな可愛らしい顔をされたら、我慢も限界だ」

「煽るなんて、そんな!そんなつもりはありません。それに少し触れ合うくらいなら、別に……」

もごもごと口を動かすマリコに、土門少尉は最終手段に打って出た。
早くも誓いを破って、抱きしめたのだ。ただそれは、そうすればマリコの顔を見ずにすむからだ。土門少尉は理性と衝動の間で、自身の高ぶりが落ち着くのをじっと待つしかなかった。


その夜は、通いの家政婦が作り置いてくれた夕食を二人で食べた。

「この煮物は旨いな」
「そうですね」

沈黙。

「ご飯のおかわりはいかがですか?」
「もらおう」
「はい」

そして沈黙。

場所が変わっただけなのに、距離を測りかね、よそよそしくなってしまう二人。ギクシャクしたまま食事を終えると、土門少尉、マリコの順に湯を使い、二人はそれぞれの部屋で床についた。

「疲れたな」
「疲れたわ」

こんな状態があと6日も続くのだ。
「はぁ…」と、壁を挟んで同時に溜息が漏れた。


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