二人暮らし
家に一人残ったマリコは、昼までに家の掃除を始めた。居間や台所はもちろん、トイレや風呂場など、少尉と共有する場所は特に念入りに。それは快適にこの家で過ごして欲しいというマリコの願いからだ。
目まぐるしく動いているうちに、時間はあっという間に過ぎていく。
「もうこんな時間?支度をしなくちゃ」
マリコはパタパタと廊下を走り、自室へ飛び込む。
勢いよくクローゼットを開いたところで、唸ってしまった。
カフェで待ち合わせた後、食事はどこで取るのだろう。多少はTPOも考えた服を選びたい。ただ、目的が少尉の荷造りの手伝いなら、動きやすい服のほうがいいだろう。
となると。
「何を着ていけばいいのかしら?」
悩んだ末、マリコは白ベースの水玉のブラウスに、ネイビーのフレアスカートを選んだ。デートの装いには少し地味かもしれないが、その色調ならどんな店でも悪目立ちすることはないだろう。しかも、このスカートなら荷造りの際に汚れを気にすることもない。
少しだけ明るさを出すために、パンプスとバッグは赤ベースのものを選んで差し色にした。
遅刻ギリギリにマリコは待ち合わせのカフェの扉を開いた。カランと涼やかな音が鳴ると、店内にいた客の視線が自然と集まる。普通ならすぐに視線は散り散りになるはずだが、この時は違った。コーヒーカップを手にした者、新聞を開いていた者、商談をしていた者、他にも幾人かの男たちが息を飲み、マリコを目で追った。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
マリコは店内を見回すが、土門少尉の姿はまだない。
「あ、いえ。待ち合わせなんです」
「では、こちらへ」
窓際の二人席に案内されたマリコは、コーヒーを注文すると、頬杖をついて外に目を向ける。瞬きするたびに揺れる長いまつ毛は憂いを帯びて。少尉の姿を探して小さく息を吐く唇は、魅惑的に動く。自分が盗み見られていることなど、マリコはまったく気づいていない。
そんな中、一人の客が立ち上がる。
意を決してマリコヘ近づこうとしたとき、再びカランと扉が音を立てた。
現れたのは軍服姿の長身の男。
彼は堂々とした足取りで、迷うことなく窓際へ向う。カツカツと鳴る靴音の力強さに気圧され、立ち上がったはずの客は、椅子へ逆もどりした。
「マリコさん。待ちましたか?」
「少尉!いいえ。大丈夫です」
少尉はマリコの向いの椅子に座ると、ウエイターにアイスコーヒーを注文した。
「少尉、お疲れさまです。お仕事の方は大丈夫なんですか?」
「ああ。引き継ぎに少し時間がかかって、遅れてしまった。すまない」
「あ、いいえ」
そんな会話の最中にコーヒーが運ばれ、二人は喉を潤した。
「昼は何を食べようか。マリコさんは何が食べたい?」
「私は何でも…」
「そう言わず、食べたいものを教えてもらえると嬉しい」
そういって笑いかける少尉の表情が優しすぎて、マリコは顔が赤くなってしまう。
「マリコさん?」
「あ、あの!それでは、オムライスを…」
「うむ。ではコーヒーを飲んだら出よう」
「はい」
四半刻の後、二人は立ち上がると、マリコ、土門少尉の順で出口へと向う。マリコの背後にピタリと寄り添う土門少尉は、とても険しい顔で周囲を見回した。その威嚇に、先ほどマリコを盗み見ていた客はすっと視線を逸らし、首を縮こめるのだった。