Over 50 〜二人なら夢も恋も〜



土門が約束の時間に車へ乗り込むと、数分遅れてマリコが現れた。マリコはすぐに車内の土門を見つけ駆け寄ってきた。

「ごめんなさい。少し遅刻ね」

助手席のドアを開けてシートに滑り込む。
いつからか、そのシートはマリコの定位置になっていた。
彼女の体格に合わせた角度に調節されている。だから他の捜査員が乗り込むと、当然狭い。

「悪いな。後ろでもいいか?」

土門はよくそう言って、後部座席へ仲間を座らせた。男でも女でも、他の人間を座らせたとマリコに思わせたくなかった。もっとも、マリコが気づくかどうかはわからないが、少なくとも土門はそうした面でもマリコを意識していたのだ。

「ほんの数分だろ。気にするな。とりあえず飯にするか?」

「そうね。お腹空いたわ」

「で?」

その一言は「何が食べたい」の略だ。

「ん…。親子丼なんてどう?」

「珍しいな。好きだったか?」

「うん。わりと」

「そうか…」

これだけ長い時間を過ごしても、案外と知らないことはあるようだ。
土門は和食の店を目指して車をスタートさせた。


ふわふわの黄金色は、二人の胃袋を大変満足させた。

「すごく、美味しかったわ!」

「ああ。もう一杯くらい食べれそうだ」

「腹八分目が大事よ。もういい年なんだから」

「余計なお世話だ。奢らんぞ?」

「え?ま、また食べに来ましょうよ。ね」

「ごちそうさま」と愛想笑いを浮かべるマリコに、土門は吹き出した。

マリコだってこの年で独身で、それなりに収入はあるだろう。別に土門に奢ってもらわなくても構わないはずだ。それでも二人のこのやり取りは長年変わらない。二人だけのルーティン。


「さて、これからどうする?お前も話があると言ってたな。どこか静かな店にでも場所を移すか?」

「できれば、二人だけで話したいの」

「そうか…よし」

店を出ると、数件隣にコンビニがあった。
土門はマリコを誘うと、コンビニでノンアルコールの缶ビールとつまみを買った。ビニール袋を下げたまま車まで戻ると、土門は少し走ろうと提案した。
マリコも異議はなく、再び土門の運転する車は夜のアスファルトを滑り出していった。


車が停車したのは何もない場所だった。店も民家もなく、ただ道が続いているだけ。車のライトを消せば、月明かりだけが頼りだ。

土門は窓を開け、空を見上げた。

「星がよく見えるな」

「ねえ、降りてみてもいい」

「ああ」

二人は車を降りる。土門は缶ビールを手に、マリコと助手席のドアに寄りかかった。

「飲むか?」

「ありがとう」

マリコは素直にビールを受け取る。水滴がマリコの手のひらを濡らした。

「話ってなんだ?」

「私から?土門さんもあるんでしょ?」

「まずはお前の話を聞いてからだ。俺のは……大した話じゃない」

大嘘だ。
でも男ならそんな風に強がってみたい。
好きな女の前ならなおさらだ。

「うん…。土門さん、本庁へ異動の話があるの?」

「おまえ!誰…って、部長か?」

「うん。今日たまたまね。どうするか決めたの?」

「……………」

土門はすぐに答えられずにいた。まさか、マリコから本題を切り出されるとは思ってもいなかったのだ。

「私が口出すようなことじゃないと思うけど…チャンスなんじゃないかしら?」

「え?」

「だって、刑事さんならみんな本庁で働くのが夢でしょう?」

土門は無意識に手に力を込めた。
缶ビールが揺れ、少しだけ中身が溢れる。しかし土門は気づきもしなかった。

「お前はどうなんだ?」

「私?」

「俺も日野所長に聞いたぞ。広島への出向のこと」

「土門さんの話って…」

「ああ。そのことだ」

「私は…まだ悩んでるの」

「なぜだ?最先端の研究に参加できたり、科捜研にはないような機材を使えたりするんだろう?それこそお前には夢のような話じゃないのか?」

マリコは思わず土門を見上げた。
でもちょうど月を背にして立つ土門の表情は、マリコには見えない。

「土門さんは、私が広島に行くのは…賛成?」

「お前は、おれが本庁へ異動するのは賛成か?」

「そりゃ、栄転だし。刑事さんなら皆が憧れる夢だし…」

「でも、お前とは離れ離れになるな?」

「そう、だけど。でも土門さんにはいいことばかりで…」

「勝手に決めるな」

「え?」

「お前だって広島へ行けば論文は読み放題だし、研究に没頭できるし、夢みたいな環境…」

「そんなの、わからないわ!広島に行けば私の夢が叶うなんて、私が幸せになるなんてわからないわ!」

マリコはムキになって、声を張り上げた。

「土門さんこそ、勝手に決めないでよ。広島には土門さんがいないじゃない…」

「お前が京都に残っても、おれが本庁へ移動すれば同じことだぞ?」

「だから悩んでるのよ!私の夢は新しい研究をすることだけじゃない。ここでだってまだやりたいことは沢山あるわ。だけど土門さんには、本庁で好きなように刑事の仕事を全うして欲しい」

似たもの同士とはよく行ったものだ。
いや、似たもの同士すぎて、相手を気遣いすぎて、危うく大切なものをなくすところだった。
土門はビールを一気に飲み干した。

「勝手に決めるな、って言っただろ」

「土門さん?」

「確かに、本庁は刑事の夢だ。でも、俺の夢だってそれだけじゃない」

土門は車の上に空の缶を置いた。

「本庁へは行くなと言えよ、榊」

「え?」

「俺に京都へ残れと言え」

「い、言えないわ。だって…」

「俺はもう腹を決めたぞ。榊、広島へは行くな」

「土門さん」

「いいか?もう一度言うぞ。広島へは行くな。京都に残れ」

「わ、私…」

マリコも缶ビールを土門の隣に置いた。
その様子は、まるで屋上にならんだ二人のようだ。

「私、広島には行かない。京都に残るわ。だから…」

「だから?」

「土門さんも、本庁へは行かないで…」

小さくて消え入りそうな声だった。
でも、ちゃんと土門の耳には届いた。
何よりも聞きたかった言葉。

「わかった。俺も京都に、お前のそばに残る。榊」

「なに?」

「抱きしめてもいいか?」

「そんなこと、き、聞かないでよ」

土門はマリコを抱き寄せた。

「出汁の香りがするな」

土門はマリコから香る、親子丼の出汁の匂いに笑った。

「旨そうだ」

「土門さんだって…」と言い返そうとしたマリコの口は土門に食べられてしまった。
味わうように唇を舐めると、土門は顔を上げる。
腕の中では「突然何するの!」と真っ赤な顔でマリコが怒っていた。

「聞かなくていいんだろ?それとも聞いたほうがよかったか?榊、もう一度キスしても…」

マリコは土門の唇に指を押しつけ塞いだ。

「聞かなくていいわよ。だってね…」

「?」

「土門さん、キスして?」

私から、言うから。



「さてと。急いで他の推薦人を探さないと」

「不器用な部下を持つと、お互い苦労するな」

遅くまで明かりのついた部屋では、上司たちが辞退の文面を考えるのに必死だ。
ただ、ため息をつく二人の口元には、小さな小さな笑みが浮かんでいた。

 
いくつになっても、人は夢を持つことができる。
いくつになっても、人は恋をすることができる。

一人ではその夢が叶わなくても。
その恋がすれ違ってしまったとしても。

あなたが側にいてくれたら。

きっと叶う。
きっと幸せになれる。

いくつになっても…二人なら、夢も恋も。



fin.


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