Sweet home
家に戻れば、マリコの気が変わってしまうかもしれない…そう考えた土門は、途中ショッピングセンターに寄り、そこで今夜必要なものをマリコに選ばせた。
そしてそのまま、自宅へと車を走らせた。
初めて土門の部屋を訪ねたマリコは、おっかなびっくり玄関を上がった。
「おじゃまします…」
土門は吹き出しそうになるが、マリコの機嫌をそこねないよう、なんとか堪えた。
「こっちだ」
廊下の突き当りにはリビングがあった。南向きの窓は大きくて、昼間なら日当たりがよいだろう。そして夜は月が綺麗に見えた。
「俺はここで飯を食ったりテレビを見たり非番の日は一日くつろぐことが多い。お前も好きに使ってくれ」
「うん…」
「寝室はこっちだ」
再び廊下に戻ると、左右に扉があった。その左側を土門は開いた。
「ここは今まで美貴が使っていた部屋だ。荷物は粗方運び出したから自由に使ってくれて構わない」
「そんな、美貴ちゃんに悪いわ。私ならリビングの端かソファで寝かせてもらえれば十分よ」
「ところが、それだと俺が困るんだ」
「?」
「美貴からの留守電だ。聞いてみろ」
そういうと、土門は自分のスマホをマリコに渡した。
マリコは再生ボタンをタップすると、耳に当てた。
『ちょっと、お兄ちゃん!びっくりしたよ。本当にマリコさんと一緒に住むかもしれないの?』
久しぶりに聞いた美貴の声は興奮していた。
『だったら私の部屋を使ってもらって。さっき引っ越し屋に電話して、荷物を運び出すように頼んだからさ。こういうことは思い立ったら、即、実行よ!だけど、くれぐれも無理強いはしちゃだめだよ。いい?……本当はさー、すぐにでも「お姉さん」になって欲しいんだけどね』
「えへへ…」と美貴は恥ずかしそうに笑う。
「美貴ちゃん…」
『だけどマリコさんの気持ちが一番大事だもんね。マリコさんがお兄ちゃんのお嫁さんになって、私のお姉さんになってもいい、って思ってくれるの待ってる。だ、か、らぁ』
突然美貴の声が低くなる。
『ぜったいにマリコさんを大切にして。もし泣かせたりしたら、兄妹の縁切るからね!』
そしてしばらくの沈黙。
『気が早いかも、だけど。お兄ちゃん、おめでとう。私の大好きな二人が一緒に幸せになってくれるなら、もう最高だよ…』
その後は、延々と何かあれば相談に乗るから連絡しろだの、避妊はちゃんとしろだのとマリコが赤面してしまうような忠告の後で留守電は終わっていた。
「ありがとう」
マリコは土門にスマホを返した。
「聞いた通りだ。実は榊監察官に会った後で、美貴に相談したんだ。そうしたら、もう3日後には引越し業者が来てな。俺も驚いた」
今度ばかりは、土門も妹の行動力に舌を巻いた。
「だからお前にはこの部屋を使ってもらわないと、俺が美貴にドヤされる」
「う、うん。わかった」
「それとな。言っておくが、俺も美貴と同じ気持ちだ」
「な、何が?」
「その…、お前が俺の……で、美貴の……になるってことだ」
歯切れの悪い土門の言葉は肝心な部分が聞こえない。
「え?何?なんて言ったの?」
「だーかーらー!お前が俺の嫁になって、美貴の姉になるってことだ!!」
ゼーゼーと肩で息をつき、マリコをギロッと見つめる様子は犯人を前にした刑事の顔つきだ。
「ど、土門さん?」
「覚悟しろ、榊」
「私、確保されるの?」
「……してもいいのか?」
怖気づいたのか、急に勢いがなくなる猟犬。
惚れた女にはとことん弱い。からっきしだ。
「今、何時?」
「ん?7時32分だ」
「そう。では19時32分。榊マリコは土門薫に確保されました」
おどけてマリコは言うと、土門の胸に飛び込んだ。
何物にも代え難い安心感がマリコを包む。
強くて、温かくて、優しくて…。
「ああ」とマリコは気づいた。
――――― 土門さんが私の帰る家、なんだわ。
「帰る家、見つかったか?」
「ええ」
「そうか。それなら俺も榊監察官との約束を守れたことになるな」
「父さんと?」
「ああ。この間東京で会ったと話しただろう。その時にお前が帰る家を探すのを手伝ってやってくれと頼まれた」
「父さんたら!」
「いいじゃないか。お前は帰る家を見つけた。そして俺は嫁さんを手に入れた…で、いいか?」
「あら。土門さんのお嫁さんになるとは言ってないわよ」
「なに?今更そんな冗談はやめろ」
「冗談じゃないわ。だって私、土門さんから何も言われてないもの」
「何を言えっていうんだ」
「そうねぇ。土門さんは私のこと、どう思ってるの?私にどうして欲しいの?」
「うっ。それは、だな」
「何事もケジメは必要よね?刑事さん」
じぃーと大きな瞳が期待に輝く。
「くそっ!」
吐き捨てた土門は、せめてマリコから顔が見えないように抱きしめると、一世一代の告白を試みる。
「俺がお前のことをどう思っているかって?そんなの、誰よりも大切に思ってるに決まってるだろ」
マリコはその腕の中で、土門の声を聞いている。
「どうして欲しいか、なんて聞くだけ野暮だ。バカヤロウ。俺は、俺はな、お前にそばにいて欲しいんだよ。ずっと。お前が好きなんだ」
乱暴な口調なのに、耳に届くのは恋の調べ。
なんて幸せな時間。
「だから、榊。これからはここに、俺のところに帰って来い!」
マリコは目を閉じ、うっとりと聴き入る。
「榊、返事は?」
マリコは顔を動かすと、くりっと上目遣いで土門を見た。
「私、美貴ちゃんのお姉さんになってもいいわよ」
遠回りな
「お前らしい答えだな」
土門は思わず苦笑する。
「そうよ。これが私よ。こんな私と一緒に暮らして後悔しない?」
「アホゥ。俺はそんなお前がいいんだよ」
優しい響きにマリコはうつむく。
「……………き」
「ん?」
「…………すき」
「榊?」
「大好き、土門さん」
ほんの少し、マリコの瞳は潤んでいた。
「俺もだ」
マリコの鼻先へ小さなキス。
「私のほうが、もっと好きよ」
今度は額にキス。
「そいつはどうかな?」
瞼にキス、頬にもキス。
ようやく素直になった科学者へキスの雨が降り注ぐ。
そして。
「榊。お前が好きだ。お前だけが」
初めて触れ合った唇の記憶を、二人はきっと忘れない。
その夜は土門の作ったオムライスと、マリコが千切っただけ(!)のサラダを二人で食べて、交代でシャワーに入った。
マリコがリビングに戻ると、土門が濡れた髪を丁寧に乾かしてくれた。
そして洗面台に二人並んで歯を磨き、廊下で左右に別れ、それぞれ寝室のドアノブに手をかけた。
「おやすみ」
「おやすみなさい。また……」
「明日」と言う前に、マリコの体はさらわれた。
次の瞬間、パタンと閉じた扉は土門の寝室だけだった。
今日からここが、スイートホーム。
二人の愛の
fin.