京都浴衣振興会協賛花火大会の怪
蒲原の話を聞くうちに、土門の眉間のシワはどんどんと深くなっていく。
まだ誰にも話していないが、少し前から土門とマリコは“仕事のパートナー”という関係から変化を遂げていた。 “生涯の”という項目が追加されたのだ。
そんな折に蒲原からもたらされた目撃情報は、土門の心を揺さぶるには十分すぎるほど衝撃的だった。
『まさか…浮気か?』
その2文字が土門の脳裏を駆け巡る。
それもマリコは浴衣姿だったという。
土門は今年、マリコと夏祭りへいく約束をした。
その後でマリコが新しい浴衣を買ったと聞いて、「もしかしたら?」と土門は祭りの日を密かに楽しみにしていたのだ。
そんな自分を差し置いて、マリコの浴衣姿を見たヤツがいる。
チリチリと嫉妬の火種がくすぶり始めた。
同じ頃、マリコも鑑定室で「えっ?」と驚きの声を発していた。
「私が?土門さんと??」
「私、見ちゃったんです。マリコさん、浴衣姿でしたね♪」
亜美はにやっと、目をかまぼこにして笑う。
「それ人違いじゃないかしら?私はその日は一日中家で論文を読んでいたわ」
「そうなんですか?あれー?でもあの後ろ姿はマリコさんと土門さんだと思ったんだけどなぁ…」
亜美は納得できない様子だ。
しかし本当にマリコは花火大会には行っていない。夏祭りにと用意した浴衣も、まだ包装されたままクローゼットで眠っている。
でも…、とマリコは考え込む。
亜美が目撃した男性が土門という可能性はある。
もしそうなら。
『土門さんが………浮気?』
それも亜美の話を信じれば、マリコとよく似た女性と一緒だったというのだ。
『私がその人に似ているから付き合っているのかしら?もしそうなら、彼女が本命で、私のほうが浮気相手?』
気になって仕方ないマリコはぼんやりとしたまま、いつもはしないようなミスを連発してしまった。
定時になると、土門はマリコへメールを送った。
『話がある。この後会えるか?』
マリコはメールを確認すると、『わかった』と返信を送った。
二人が落ち合ったのは屋上だ。
「よお」
「こめんなさい。待った?」
「いや…」
「…………」
二人とも聞きたいことは山ほどあるのだが、どう切り出せばよいものかと考えあぐねていた。
「土門さん、話ってなに?」
マリコが水を向けると、土門は一瞬躊躇したものの、すぐに腹を決めた。
「榊。土曜日の夕方はどこにいた?」
「え?やあね、アリバイ?」
「からかうな。どこにいたんだ?」
「その日は一日家にいたわ」
「それを証明できるか?」
「残念だけど、私は一人暮らしだから証明してくれる人はいないわ。できるとしたら、その日に読み終えた論文の内容を説明するくらいかしら?」
土門は唸る。
「土門さんは何をしていたの?」
「俺か?」
「ええ、そう。私もその日の土門さんの行動を知りたいわ」
「俺はその日は当直だった」
「え?本当?」
「疑うなら、記録でも日誌でも何でも確認すればいい」
「それじゃぁ、亜美ちゃんの話は何だったのかしら…」
「涌田?涌田がどうかしたのか?」
実はね…と、マリコは亜美から聞いた話を土門に伝え、確認のための質問だったと説明した。
「ちょっと待て。俺も同じ話を蒲原から聞いたんだ。だから俺もお前のアリバイを確認した」
「土門さん。私を疑ったの?」
「お前だって同じだろう?」
「だって。私と似た人とデートしていた、なんて聞いたらやっぱり…」
そこでマリコは口籠ってしまった。
「俺もだ。お前が浴衣を着ていたと聞いて、俺より先にお前の浴衣姿を見た男が許せなかった」
土門のストレートな嫉妬心に、マリコは顔を赤らめつつも悪い気はしなかった。
「浴衣はまだ着ていないわ。夏祭りの日に着るつもりでいたの。折角なら、土門さんに一番に見てほしいもの」
土門はマリコと向き合うと、風になびく黒髪に触れた。
「約束だぞ。楽しみにしている」
「馬子にも衣装…?」
「言うか、バカ」
土門は目を閉じ、マリコの浴衣姿を想像した。
「似合ってる」
「もう、勝手に想像しないで。恥ずかしいわよ」
「実物はもっと綺麗なんだろうな」
向けられる視線が優しすぎて、マリコは俯いてしまう。
「私のこと、信じてくれるの?」
「ああ。少しでも疑って悪かったな」
「ううん。私も。ごめんなさい」
マリコがおずおずと土門に近づくと、土門はその華奢な体を腕の中に包み込んだ。
夕闇が迫る中、そっと重なる2つの影を屋上は今日も静かに見守っている。