理性と感情のその先で求めてる。
マリコのもとにロジャーから連絡があったのは、定時を過ぎた頃だった。
「ルームサービスで夕食を予約したから一緒にどうか?」という内容だった。
迷った末、マリコは土門に相談した。
すると、土門からは意外にも「行って来い」という返事が届いた。
マリコは何か腑に落ちない気がしつつも、ロジャーへOKの返事を送った。
土門の謎めいた行動の理由はやがて明らかとなった。
仕事の片付けを終え、マリコが府警のエントランスへ下りると、土門が腕を組み壁にもたれかかっていた。
「今からあいつのところか?」
「ええ」
「俺も一緒に行く」
「え?」
「あいつに俺たちのことをはっきり伝える。もっと早くにそうすべきだった」
「土門さん」
「いいな?」
「うん」
マリコは土門のジャケットの裾をぎゅっと握りしめた。
「おや?僕が呼んだのはマリコだけだよ?」
ホテルで出迎えたロジャーは明らかに迷惑顔だ。
「不躾に済まない。だが、あんたに伝えておきたいことがある」
「なんだい?」
「榊はあんたのものにはならない」
「なぜ?」
「俺が手放す気はないからだ」
「それは…どういう意味かな?」
「言葉通りだ。榊は俺のものだ。そして俺は榊を手放す気も、ましてやあんたが俺から奪うことも許さない」
「随分と勝手な言い分だ」
「そうかな?これは榊も合意の上だ」
マリコは大きくうなずいた。
「ロジャー。私は、あなたとは一緒になれない」
「この男がいるからかい?」
「そうよ」
「僕より、彼を選ぶと?」
「ええ。ええ、そうよ」
どう言葉を濁しても、言い繕っても結果は同じだ。だからマリコはストレートに自分の気持ちを伝えた。
「そういうはっきりとした物言いは、昔から変わらないなぁ。なるほど、リョウが言ったのはこういうことか…」
「相馬くんがどうしたの?」
「日本に来る前、僕はリョウに『マリコへプロポーズしようと思う』と伝えたんだ。そうしたらリョウは『そんなことをするのは時間の無駄だ』と笑ったんだ。その意味が今ようやくわかったよ。リョウは君たち二人の絆を壊すのは無理だと言いたかったんだろう。そんなことに時間を費やすのは無駄だと」
マリコは胸が痛かった。
数十年ぶりに再会した同僚。土門と出会う前の時間をともに過ごし、刺激し合い、高めあった大切な仲間。
「ロジャー。あの、ごめ…」
「謝るなよ、マリコ。君は何も悪くない」
ロジャーは肩をすくめると、二人に伝えた。
「僕は明日、アメリカへ戻るよ」
「そんな、急に…」
「急じゃないよ。もともと明日、帰国の予定だったんだ。もし君からyesの返事が貰えれば、再来日をするつもりだった。でも、しばらくはアメリカ住まいになりそうだ」
そのとき、部屋のベルが鳴った。
「ルームサービスが来たようだ。マリコ、悪いけど出てくれるかい?」
「わかったわ」
マリコはドアに向う。
その後姿を見ながら、ロジャーは土門相手に口を開いた。
「リョウは、君がマリコにゾッコンだと思っていたようだ。だけど、あながちそうとも言い切れないな」
「どういう意味だ?」
ロジャーは意味ありげに土門を見る。
「久しぶりに再会したのに、マリコは口を開けば君の話ばかりだ。つい先日も、犯罪に手を染めた優秀な科学者と対決したそうじゃないか」
「ああ」
古久沢のことだろう。
「それも、君の協力があったから相手を追い詰めることが出来たと言っていた。君の支えが何より心強かったと」
「あいつが…」
「その後、マリコが酔いつぶれてしまってね。僕の部屋に運んでベッドに寝かせたんだ。あわよくば…という気持ちもあったしね。………まあ、最後まで話を聞いてくれよ」
ものすごい睨みを受けて、ロジャーは両手をあげた。
「マリコに近づいて、耳元で名前を呼んだんだ。そうしたらマリコは君の名前を呟きながら、僕に抱きついてきた。完全に僕を君だと思っていたみたいだ」
「……………」
「そこでようやく僕は君とマリコの関係に気づいたんだ。とんだ道化だよ。あんな声で別の男の名前を呼ばれたら、さすがに萎える。それがあの夜の真相だ」
「それじゃあ…」
「君が心配しているようなことはなかった。でも癪だったから、少々意地悪はさせてもらったよ。そのくらいは大目に見てもらいたいな…あんな素敵なレディを独り占めしているんだから」
ロジャーは最後にこう言った。
「マリコは理屈ではなく君を求めている。それはいわゆる本能ってやつだ。プロファイリングのプロが言うんだ、間違いないさ。君たちは理性や感情を超えた深層の部分で惹かれあい、求めあっている。一生の間でそんな相手に巡り会えるなんて、羨ましいよ」
マリコが戻ってくるのと入れ違いに、ロジャーはドアを開けた。
「フラれた僕は今から二人分のディナーを平らげなくちゃならない。悪いけど帰ってもらえるかな?」
「ロジャー…」
「マリコ。今日のディナーはその強面な刑事にごちそうになってくれ。うんと高いものをねだってかまわないからね」
「おい!」
アハハとロジャーは屈託なく笑う。
「マリコ。ここでお別れだ。機会があればまた会おう。科学を志す同士として」
「ええ。その時を楽しみにしてるわ。相馬くんにもよろしく伝えて」
「わかった。君らにあてられて散々だったと伝えておくよ」
「もう!ロジャー!」
「seeyou, マリコ。元気で」
二人の前で扉は静かにしまった。
「それで?」
ホテルを出て車に乗り込んだところで、土門はマリコに声をかけた。
「え?」
「飯のリクエストはあるのか?」
「うーん。美味しいものも食べたいけど、それよりちゃんと土門さんと話がしたいの」
「そうか。それならどこかで弁当でも買って…俺のうちでいいか?」
「ええ」
土門は車をスタートさせる。
途中、弁当とつまみ、缶ビールを買い込んで二人は土門のマンションへ向かった。
「榊」
夕飯の缶ビールに手を付ける前に、土門はロジャーと二人で話した内容をマリコに教えた。
「え?それじゃぁ、やっぱり何もなかったの?」
「ああ」
「よか………」
安堵の気持ちが溢れ、マリコは両手で口元を覆う。
土門はマリコが落ち着くのを待った。
「どうしよう、って思ってた。土門さんを信じていたけど、でももし逆の立場だったら、私は土門さんを許せるのか…すごく悩んで、悩んで」
「それで、お前ならどうする?」
「私も土門さんを嫌いになんてならない。でも何となくモヤモヤとした気持ちを持て余してしまうんじゃないかと思ったの」
「…………」
無言は同意だろう。
「そんな気持ちを昇華させるには、真実の言葉が必要かもしれないと気づいたの。だから私、ちゃんと気持ちを伝えるわ。聞いて、土門さん」
「ああ」
「私は土門さんが好き。一緒にいたい。だけどそれだけじゃないの。私は土門さんのものになりたい」
「お前はモノじゃないだろ」
「物質的な意味じゃないわ。心とか気持ちとか、目には見えないこの感情を土門さんに捕まえていてほしい。離さないでほしいの」
「俺は独占欲が強い。お前がそう言うなら、俺はもう絶対に離さないし、少しの揺れも許さない。それでもいいのか?」
「私は、そういう土門さんのものになりたいの」
マリコは土門の胸に飛び込んだ。
他の誰からも得られない安心感と、充足感。
そして、女としての歓び。
わずかに立ちのぼる欲の香りを、土門は逃さなかった。
「上書きの必要はなくなったが、どうにも我慢ができん」
土門はマリコの項に手を潜らせた。
「今から抱いてもいいか?」
背中をゾクリと走った快感に逆らうことなく、マリコは土門に身を任せる。
「あなたのものだと、確かめさせて……土門さん」
土門はふいにロジャーの言葉を思い出した。
『あんな声で…、名前を呼ばれたら…』
土門は性急にマリコの口を塞いだ。
「ども…」
もう一度、キスで塞ぐ。
「そんな声、他の誰にも聞かせるなよ。俺だけ。俺だけのものだ…」
テーブルに置かれたままのビールは結露していく。
ゆっくりとぬるくなっていくその時間だけ、二人は愛し合い、繋がり合うのだ。
理性も感情も超えたその先で。
お前が欲しい。あなたのものになりたい。
あなたが欲しい。お前のものになりたい。
ただ、求めている。
fin.
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