土門薫編
「ん?」
廊下を歩いていた土門は、数メートル先に見慣れた白衣の背中を見つけ、声を上げた。
「榊」
聞こえなかったのだろうか。マリコは振り返ることなく、会議室へ入ってしまった。
「打ち合わせか…」
数時間後、今度はエレベーターから降りてきたマリコを見つけ、再び土門は呼びかけた。
「おい、さか…」
ところが、マリコは慌てた様子でトイレへ駆け込んでしまった。
「あいつ、そんなに切羽詰まってたのか…」
さらに数時間後の屋上で、ようやく土門はマリコを捕まえた。
すでに空は茜色に染まりつつある。
「な、なに?土門さん」
土門が何も言う前から、マリコの視線が泳ぐ。
――――― 怪しい…。
刑事の勘が発動した。
「何で俺を避ける?」
「え?別に避けてなんて」
「いーや、避けてる!」
「き、き、き、気のせいよ」
「………どもりまくりだぞ?」
「……………」
「俺には何でも話せ」
「……………」
マリコは答えず、じっと土門の手の辺りを見ていた。
「これか?」
土門の手には瀟洒な紙袋があった。
「人気の和菓子らしい」
「もらったの?」
「ああ。さっき総務課の女性職員たちから、祝いにな」
和菓子は彼女達からのプレゼントだった。
今日は土門の誕生日なのだ。
「そう。良かったじゃない」
口元以外、ピクリとも動かない表情筋に氷点下の声色。
『私には関係ない』なんて顔をしているつもりのようだが、不機嫌丸出しだ。
マリコのヤキモチには一見の価値がある。
ニヤけそうな顔を隠すために、土門は眉を潜めて見せた。
「お前が俺を避けるのは、もしかしてこのプレゼント。いや、俺の誕生日と何か関係があるのか?」
マリコは今年の誕生日に『絶対に気に入るものをプレゼントするから』と土門に約束していた。
「プレゼントのことなら気にするな。別に今日じゃなくても…いつだって構わないさ」
「い、いつだって…?」
「ああ。来週だって問題ない」
「ら、来週は、私がちょっと…」
「体調が…」などとマリコは口ごもる。
「ん?」
「でも、そんなに遅れたら悪いわ」
「そういうなら、明日にするか?待ってるぞ」
「あ、明日?ま、ま、ま、待ってるの!?」
マリコは目を白黒させている。
「いつ準備できるかは私の気持ち次第よね。待たせちゃいけないけど、そんなにすぐには覚悟が決まらないわ…」
心の葛藤は、しっかり、はっきり声に出ていた。
「榊?何の話をしてるんだ?」
「もちろん、プレゼントよ」
「何をくれようとしてるんだ?」
「何って…」
「俺には聞く権利があると思うが?」
土門はずいっと
逃げ切れないと観念した相手は自供を始めた。
「この前、土門さんの気に入ったものをプレゼントするって約束したでしょう?」
「そうだったな」
「だからね。それが何なのか、聞いてみたのよ」
「誰に?」
「ChatG〇T」
「は?」
言うに事欠いて、まさかのAI…。
「そうしたらね。……“榊マリコ”って」
ボボボとマリコは瞬間湯沸かし器状態だ。
「なっ!それはあくまでChatG〇Tの答えだろう!」
『やるなAI👍』とほくそ笑んだことは秘密だ。
「え?じゃぁ、違うものでもいいの?」
「いや。…………………………………やっぱりそれがいい」
長い長い沈黙の後、土門は正直に答えた。
「そのプレゼントは明日まで待ちきれない」
「あの、でも」
「今すぐにでも欲しい」
「………………」
答えられないマリコ。
「ダメか?」
「でも今夜はこんな格好だし」
洒落っ気のまるでないシンプルなカットソーにパンツ姿。
色気もへったくれもない。
「お前でもそんなことを気にするんだな」
「だって…」
ふいに土門は自分のネクタイを解くと、マリコの華奢な襟元にリボンのように結んだ。
「これで立派なプレゼントだ」
「…………………なんか、えっち」
土門は人差し指で、くるりとネクタイリボンをもてあそぶ。
「解くのが楽しみだな」
耳元で囁かれ、とうとうマリコは陥落する。
臙脂のネクタイに、真っ赤な頬。
お持ち帰り3点セットの最後の1つは、チェリーレッドの唇。
ちなみに。
もしChatG〇Tに「榊マリコが誕生日プレゼントだったら土門薫の本音は?」と尋ねたら…。
「ぜったいにそれじゃなきゃダメ」という回答が生成されるに違いない。
fin.