ミッションインポッシブル
その頃、病室には着替えを済ませた男二人が主役の登場を待っていた。
「お兄さん、よく似合ってますね。それに比べて、甚一はモーニングに着られているみたいだ」
「うるさい」
こんなふうにやり込められる藤倉の姿など、なかなか見られない。
土門は必死に笑いをこらえるあまり口が歪んでしまった。
ギロリと睨む藤倉の視線も、今日は威力半減といったところか。
「おまたせしました!」
早月の高らかな声とともに、マリコが姿を見せた。
藤倉も、トキヱも、そしてドレスを選んだ張本人までもが息を飲み、マリコの姿に見惚れ、その動きから目を離せずにいた。
「いやあ。マリコさん、綺麗…。あたしが結婚したいくらいだよ」
「お母さまったら…」
ふふふと微笑む花嫁は、それはそれは可憐で清楚で、美しい。
「どうですか?ぶちょ…甚一さん?」
「に、に、似合っている」
「ありがとうございます」
「さあ、写真を撮るわよ。二人とも並んで」
さすがにカメラマンの手配までは間に合わず、一眼レフを知人から借り、撮影は早月が担当することになったのだ。
「二人とももっと近づいて!そう、そう。撮るわよ!」
何度目かのシャッター音のあと、早月がとんでもない事を言い出した。
「藤倉部長、マリコさんの腰に手を回してください。マリコさんは、部長にもたれかかるようにして」
「なに?」
「え?」
「早く!」
二人は顔を見合わせるも、早月に押し切られる形できごちない接触を試みる。
「おお〜!イイ感じよ、お二人さん」
完全に楽しんでいる早月の背後で、ゴゴォォォーと怒りの火柱が立ち上る。
「風丘先生。そろそろ“二人だけ”ではなく、我々も一緒に撮ってもらえませんかね?💢」
ギクリ、と早月は肩をすくめる。
背筋を嫌な汗が流れていった。
「そ、そうですね。じゃ、じゃあ、お母さまとお兄さんもご一緒に」
早月はあえて土門と目を合わせないようにしながら、いそいそとセットを準備した。
「では椅子にはマリコさんとお母さまに腰かけてもらって、部長はお母さまの後に、土…お兄さんはマリコさんの背後に立ってください」
それぞれが言われた配置につく。
マリコは背後に立つ土門に腕をギュッと掴まれ、そっと上を向いた。
すると自分を見下ろすその顔は不機嫌そのもの、瞳には嫉妬の色が浮かんでいた。
マリコは頷くと、土門の手を優しく解いた。
ーーーーー 分かってるから。
ーーーーー 今だけだから。
ーーーーー 部長のお母さんのためよ。
マリコの気持ちが通じたのか、土門はそれ以上は何もしなかった。
何枚か家族写真を撮影すると、トキヱが改まった様子で声を発した。
「甚一、マリコさん。最後に、誓いのキスの写真を撮ってもらえないかい?」
「いや、おふくろ。それは無理だ」
「なんでだい?結婚するつもりなら、キスどころかもっと先まで進んでるんだろ?」
早月は思わず吹き出す。
「な、何てこと言うんだ。と、とにかくそんな恥ずかしいことはご免だ」
「…甚一」
「なんだ?」
「これは“あたし”の命令だ」
藤倉には重い重い一言だった。
いい大人が親の命令なんて…と思っても、藤倉にとってやはり母親は特別だ。
泣く子も黙る刑事部長もご多分にもれず、母親にはどうにも頭が上がらない。
「し、しかし…」
藤倉はマリコを見る。
マリコは藤倉と目が合うと、すぐに逸らして俯いてしまった。
「マリコさん。駄目かい?」
「……………」
さすがのマリコも、恋人の目の前で他の男性とキスすることなんてできない。
たとえお芝居でも。
マリコはそこまで器用な女じゃない。
「甚一。男のお前がリードしなくてどうする!マリコさんは恥ずかしがってるだけだ」
「ちょっと待ってくれ、おふくろ……うわっ!」
「行け、男だろ!」
とても老人とは思えない怪力で、藤倉はトキヱに突き飛ばされた。
藤倉は慌てて体勢を立て直すが、マリコの顔はすぐ目の前に迫っていた。
“このままではぶつかる!”
マリコは突然のことに何もできず、ただ目をつむる。
と同時に、腕と腰をすごい力で引っぱられた。
衝突を回避した藤倉は、受け身の要領で床を一回転して起き上がる。
そしてマリコは、土門の腕の中にいた。
「大丈夫か?」
「え、ええ。ありがとう、土門さん。藤倉部長、大丈夫ですか?」
「問題ない。おい、おふくろ!怪我したらどうするつもりだ!!」
「……………やっぱりな」
「なんだ?」
「やっぱり、お前とマリコさんが恋人だというのは嘘だね?」
「な、何言ってるんだ。突然」
「土門さん、とは誰だい?」
「そ、それは…」
ハッとマリコは口を押さえる。
迂闊だった。
「はじめからおかしいと思ったんだ。お前とマリコさんの間には何というか…男女の空気が感じられなかったからね」
「それはおふくろの思い違いだ」
「バカいえ。これでも、おまえの父さんとは大恋愛の末に結ばれたんだ。お前なんぞより、ずっと男と女のことには勘が働くんだよ、あたしは」
藤倉は、母親の思いもかけぬカミングアウトに呆気に取られる。
「あの、騙すようなまねをしてしまって、申し訳ありません。私は彼女の兄ではなく、藤倉部長の部下で土門と言います」
「ちょっと、土門さん」
そうそうに白旗を上げた土門に、マリコは焦る。
「もうバレているんだ。これ以上嘘を続けるのはもっと失礼じゃないか?」
土門の言う通りだ。
マリコはドレスの裾を持つと、トキヱの前まで移動する。
そして深く頭を下げた。
「ごめんなさい。お母さまの仰る通りです。私も藤倉部長の部下で、恋人ではありません」
「残念だけど、そう言われたほうが納得できる。甚一に頼まれたんだね?」
「…………はい」
「マリコさん。甚一のため、あたしのためにありがとうね。だけど、もうこういうことはしちゃ駄目だ。ウェディングドレスは本当に好きな人のために着なくちゃ。ねぇ、土門さん?」
「は、はぁ…」
「さっきから、甚一のことを親の敵でも見るような目で睨んでいるようだけど?」
トキヱは苦笑する。
「土門さんが本当のマリコさんの恋人なんだね?」
「いや、その、それは、ですね………はい」
しどろもどろな土門の様子が可笑しくて、和んだ空気にみなが笑う。
「お前まで笑うな、榊!」
「だって…ぷぷっ」
「さてと、あたしはそろそろ帰り支度をしないと。甚一、あんたには残って準備を手伝ってもらうよ」
「わ、わかった」
「ついでに小言の置き土産もあるからね、覚悟しときな」
「……………」
鋭い視線に藤倉はゴクリと喉を鳴らした。
トキヱはみんなの顔を順々に眺めていく。
「マリコさん、土門さん。多分、先生も仲間だね?バカ息子がお世話かけました」
「いいえ、そんな。お母さま、悪いのは私たちの方です」
「マリコさん。あんたが本当に甚一の嫁だったらどれだけよかったか…。あたしのそんな気持ちを察して、甚一はこんなバカげた計画を立てたんだと思う。本当に申し訳ない。でもね、バカでもアホでもその気持ちはやっぱり嬉しい。あたしも親バカだね」
トキヱはマリコの手を握る。
「マリコさん。幸せになるんだよ」
「お母さま…」
「マリコさん、土門さん、行きましょう。そろそろタイムリミットよ」
早月が壁の時計を確認する。
「はい…」
土門とマリコは改めてトキヱに頭を下げると、早月に促され病室を出て行った。