ミッションインポッシブル
「ええー!マリコさんと土門さんが兄妹!?」
「しー!先生、声が大きいです」
マリコは慌てて早月の口を塞ぐ。
「もご、もご、もご…(ごめん、ごめん)」
ここは洛北医大。
トキヱの入院先というのが、なんと洛北医大だったのだ。
そうなると話は変わってくる。ここには早月を始め、マリコと土門のことを知る人が多い。
そこで急遽、マリコは早月に事情を説明し、協力を求めたのだ。
「藤倉さんて珍しい名前だと思っていたけど、まさか本当に藤倉刑事部長のお母さまだなんて、びっくりね。それにしても、いつもは強面の部長さんも母親には敵わないのねぇ…。刑事の中の刑事が嘘をつくなんて!」
泥棒の始まりよ、と他人事の早月は心底楽しそうだ。その証拠に目が三日月になっている。
「と、とにかくフォローをお願いしますね」
「はい、はい。任せといて!」
「……………」
不安ばかりが募るマリコであった。
ひと通り検査の終わった時間を見計らい、藤倉とマリコはトキヱの病室へ向かう。その後ろには土門が続いた。
まず藤倉が扉をノックすると、中から「どうぞ」と声が聞こえた。
引き戸を開けると、ベッドに背を持たれた小さな老女がこちらを見ていた。
「甚一………。しばらく会わないうちに老けたんじゃないかい?」
「それが久しぶりに会った息子にかける言葉か、おふくろ」
ふんっ、と藤倉はそっぽを向くが、その口元は笑っている。
「具合はどうなんだ?」
「見ての通り、ピンピンしてるよ」
「そうはいっても持病の具合が良くないから検査が必要なんだろう。大人しくしていろよ」
「……………」
都合の悪いことは聞こえない耳のようだ。
藤倉は今度こそ苦笑した。
「そんなことより!連れて来たんだろうね?」
「?」
「とぼけるんじゃないよ。おまえの嫁だ」
「まだ嫁じゃない」
「大して変わらないだろ。早く会わせておくれ」
「わかったよ。入ってくれ、榊…じゃなかった、マリコ」
病室の外で待機していたマリコは、名前を呼ばれ鼓動が早まる。藤倉に名前で呼ばれるなんて想像もしていなかったから、「はい」と答えた返事も上ずってしまった。
土門に至っては、眉をこれでもかと跳ね上げ、苦々しい表情だ。
「行ってくるわ」
土門は頷いて、マリコを送り出した。
検査入院は明後日まで。
となれば、自動的にマリコの婚約期間も明後日までだ。
「あと2日」、「あと2日」と念仏のように呟きながら、土門は恨めしそうに病室の扉を睨みつけるのだった。
「おふくろ。こちらが榊マリコさんだ」
「はじめまして。榊マリコです」
マリコは丁寧にお辞儀をした。
「……………」
しかしトキヱは無言だ。
「おふくろ?」
「甚一。ちょっと…」
トキヱは息子を手招きすると、小声で確認する。
「すごい別嬪さんだけど、まさか目が見えない…なんてことはないだろうね?」
「どういう意味だ?」
「いや。まともに見えているなら、あんな美人がお前みたいなのを選ぶなんて考えられない…と思ったのさ」
「おふくろ!💢」
藤倉はわなわなと拳を震わせる。
そうだった。この母親は昔から遠慮の「え」の字もない女なのだ。特に息子に対しては。
「ははは。ごめん、ごめん」
口先だけで謝ると、母親はマリコに顔を向けた。
「はじめまして。甚一の母です。マリコさん、今日は突然に呼び出してごめんなさい」
きちんと頭を下げる老女に、あわててマリコもならった。
「私の方こそ、部長…甚一、さんにはいつも大変お世話になっています」
何の世話だか、と藤倉は笑いをこらえる。
「不細工なうえに愛想もない、何の面白みもない男ですが、どうぞよろしくお願いしますね」
「は、はい」
「ところで、甚一。届けはいつ出すつもりなんだい?」
「届け?」
「もちろん、婚姻届けさ。こういうことはタイミングが大切だろう?どうせなら、あたしがここにいるうちに出しちまったらどうだい?」
「お、おふくろ。そんな急には無理だ。さか…マリコにだって都合があるだろ」
藤倉はおろおろしつつ、何とか回避しようと必死だ。
「そうなのかい?残念だね…」
あからさまに落ち込んだかと思えば、すぐに何かよいアイデアが浮かんだのか、ぱっとトキヱは顔を輝かせる。
「それなら写真は?ウェディングドレスを着たマリコさんと家族写真を撮りたいね」
「「……………」」
藤倉とマリコは顔を見合わせる。
これも拒否すれば、次は何を言い出すかわからない。婚姻届を出すよりも、写真撮影のほうがよっぽど楽だろう。ここらが折れ時だと、マリコも同意して頷いた。
「わかったよ。明日はさすがに無理だから、明後日。おふくろが帰る前に撮影できるよう準備を進めておく」
「頼むよ。ああ、あたしの準備のことは気にしなくて大丈夫だから。こんなこともあろうかと、黒の紋付を持って来たんだよ」
準備のいいことで。
藤倉は振り回されっぱなしの一日に、疲労を深く吐き出すのであった。