ミッションインポッシブル



「それで、部長。我々二人を呼び出した要件とは?」

土門はデスクの横に立ち、窓の外を見ている藤倉に問いかける。
その隣には“我々二人”の片割れ、マリコがいる。

「緊急かつ極秘ミッションだ」

「何か大きな事件ですか?」

マリコは身を乗り出す。

「お前たちを呼んだのは他でもない。……榊、頼む」

突然、藤倉は体を2つに折り曲げ、頭を下げる。

「ぶ、部長?」

「俺の婚約者になってくれ」

「…え!?」

「はあ?」

言われた本人よりも、かぶせ気味に声を上げたのは土門だ。
左右の眉毛に、これでもかというくらい高低差ができている。

「どういうことですかっ!」

猟犬は鼻が利く。
マリコを庇うように、土門は一歩前に踏み出した。

「落ち着け、土門。もちろん、フリだ、フリ」

「部長。詳しく説明していただけますか?」

本当に結婚する訳ではないと聞き、マリコは少し落ち着いた。
未だ鼻息の荒い土門の背中にそっと手を這わせ、話を聞くように促した。

「もちろんだ。実は…」

藤倉の話によれば、彼の母親、トキヱは近頃の田舎暮らしブームに乗り、数年前から地方で一人暮らしを始めた。ところが離れて暮らすようになると、いつまでも独り身の息子のことを気に病むようになった。
2年前、その母親が見合い話を持ってきたとき、結婚する気などサラサラなかった藤倉は、ずっと交際している女性がいると母親に伝えた。そしてゆくゆくは結婚するつもりなのだと嘘をついたのだ。
その場は納得した母親から、昨夜久しぶりに電話があった。その内容というのが…。


『持病が悪化しているそうだ。念のため、週末にそっちの病院へ検査入院することになった。この機会におまえの嫁さんになる人に会いたい』

「急なことで休みが取れない」とか何とか誤魔化そうとした藤倉だったが。

『…甚一。親の頼みを断るつもりかい?』

有無を言わさぬその一言に、さすがの京都府警刑事部長も言い返すことができなかった。

『会えるのが楽しみだ』

本当に具合が悪いのかと勘ぐるほどにウキウキとした声で、母親からの通話は切れた。


「…というわけなんだ。無茶なことを頼んでいるのは承知している。だが、おふくろが田舎に帰るまで、それまで俺の婚約者のフリをしてくれないか?頼む、榊」

「お言葉ですが、榊でなくとも、他の女性署員に頼めばいいのでは?」

土門は納得いかない、
元はといえば藤倉自身が撒いた種だ。気の毒だとは思うが、そこにマリコを巻き込むのは筋が違う。

「それはそうだが…その……………言いにくいが。俺と釣り合いのとれた年齢で独身の女性署員などほかに…」

「確かに、私くらいね。行き遅れは」

マリコは自嘲する。バツイチなのだから行き遅れとは少し違うが、マリコはあえてそう口にした。
そこには多少、土門への抗議も含まれている…かもしれない。

「わかりました。協力します」

「おい!」

「なに?私は独身なんだし、婚約者のフリをするくらいなら問題ないと思うけど?それで部長のお母様が安心して検査を受けてくれるなら、安いものじゃない」

チラッと上目使いに見られ、土門は言葉に詰まった。 
実は土門とマリコの関係は数年前に同僚から恋人関係へと一段ステップアップしていた。ところが次のステップへなかなか踏み切れずにいることが、ここ最近二人の仲をギクシャクとさせていたのだ。

ーーーーー もっと、もっと一緒にいたい。子どもだって欲しい。

それは二人共通の想い。

だけど、仕事は続けたい…と悩むマリコ。
そして、もし自分に何かあったら…と迷う土門。

“相手を思いやる。”
その重さと大切さを知ったからこそ、二人は若い頃のように、勢いそのまま飛び込む勇気を持てない。
臆病になってしまったのだ。恋に。愛に。


「本気か?…って、聞くまでもないな」

誰よりもマリコのことはよく分かっている。
土門は諦めのため息を吐いた。

「ええ」

「感謝する。榊」

マリコは笑って頷いた。これまでぶつかる事もあった上司だが、最後は部下を信じ、後押しをしてくれたことにマリコもまた感謝していた。
これで、少しは恩返しができるだろうか。

「ところで、自分はなぜ呼ばれたのでしょうか?」

話がまとまったところで、土門は藤倉にたずねた。マリコもそれは不思議に思っていたところだ。

「うむ。土門、お前には榊の兄になってもらいたい」

「兄…ですか?」

「相手の親族にも挨拶しておきたいと言ってきかなくてなぁ…。顔には出さないが、どうやら自分はもう長くないと思っているようだ」

「そう、なんですか?」

「いや。医者からは何も言われていない。だが、高齢であることは確かだからな。いつ何があってもいいように、俺も覚悟はしている。とはいえ、さすがに榊監察官まで巻き込むことはできん。そこで、お前に頼みたい」

「なるほど」

俺にできるだろうか、と土門はマリコを見た。その瞳に宿るのは血縁に対する穏やかな愛情などではなく、もっと激しい情熱だ。

「私のことは美貴ちゃんだと思えば大丈夫よ。ね、お兄ちゃん」

「……………」

土門は思わず目を逸らした。
マリコに“お兄ちゃん”などと呼ばれると、背徳感に苛まれてしまう。

「わ、わかりました。とにかくやってみます」

こうして、演者3名の即席芝居が幕を開けた。


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