道知辺
決意を胸に仕事帰りのマリコを呼び出した土門だったが、急ぎの鑑定があるからと断られてしまった。そう言われては仕方ないと、この日は諦めることにした。
ところが、それから毎日何かと理由をつけては、マリコは土門の誘いを断り続けている。さすがの土門も「避けられている」と勘づいた。
そこで、ついに実力行使に出ることにした。
土門はマリコの自転車の前で仁王立ち、マリコの帰りを待っていた。
そんなこととはつゆ知らず、駐輪場へやってきたマリコは目を丸くした。
「土門さん、どうして?」
「どうして?それはこっちの台詞だな。何で俺を避ける?俺がお前に何かしたか?」
「そういうわけじゃ…」
「だったら何で俺の誘いを断るんだ?」
「それは、その…忙しかったから」
「……………」
土門は胡散臭そうな表情で、マリコの言葉を全く信じていないようだ。
「昨日まではそうだとしても、今日はもう上がりだろう?今夜こそ付き合ってもらうぞ」
「で、でも、私自転車だし…」
「置いて帰ればいいだろう」
「それじゃあ、明日の朝が困るわ」
「俺が迎えに行ってやる」
「そ、そんなの悪いわ」
「今更遠慮する仲か?いつもは俺をパシリに使うくせに」
「ちょっと、言い方!」
マリコは周囲の目を気にする。
「とにかく、今夜は逃がさん。来い!榊」
土門はマリコの腕を掴むと、自分の車へ引っ張っていった。
助手席にマリコを押し込むと、すぐさま土門は車を発進させた。
マリコはむくれた表情でじっと前を睨んでいる。
「腹、減ってないか?」
「……………」
「何か食いに行くか?」
「……………」
「何が食いたい?」
「……………」
マリコは何も答えない。土門ははぁ、と盛大なため息をついた。
「…………怒ってるのか?」
「喜んでる顔に見える?」
ようやく口を開くも、マリコは喧嘩腰。
「強引だったことは謝る」
「……………」
「だが、どうしてもお前に聞いて欲しい話があったんだ」
「………いいんじゃない?」
「ん?」
「警察学校の方が危険も少ないし、自由な時間も増えるわよ」
「お前!どうしてそれを………」
「佐久間さんが教えてくれたの」
「佐久間さん?…佐久間部長か!」
『佐久間さん』と聞いてはじめは怪訝な様子の土門だったが、ようやく繋がったようだ。
「ええ。立ち飲み屋で土門さんを見かけたそうよ」
「あの店!そういえば以前にお前と佐久間さんと飲んだ店だったな。そうか、佐久間さんが…」
呟いていた土門はハッとした表情になる。
「他にも何か聞いたのか?」
「ええ、聞いたわよ」
「何を?」
「知りたいの?」
「佐久間さんから、何を聞いた」
「…………おめでとう」
「は?」
唐突な祝辞に、土門は混乱する。
「何なんだ、いきなり」
「だって。土門さん、結婚するんでしょう?」
「俺が?」
「ええ」
「誰と?」
「真田警視と」
「……………」
土門は全身の力が抜けた。
やはり、色々と誤解が生じている。
ひとまずウィンカーを点滅させると、土門は公園の駐車場に車を停めた。
「榊、少し歩かないか?きちんと説明させてくれ」
いつにない真剣な表情にマリコも断りきれず、二人は車を下りると並んで遊歩道を歩き始めた。
「佐久間さんは誤解している」
「誤解?」
「まず、異動の話は本当だ。藤倉部長から相談された」
「やっぱり…」
「だが、まだ答えは保留にしてもらっている」
「どうして?」
「その前に、訂正させてくれ。真田警視のことだ」
「……………」
「俺が彼女と会ったのは、かれこれ十数年ぶりだ」
「そう、なの?」
「ああ。ずっと連絡すら取っていなかった。だけど、俺はどうしても真田さんに異動の件で話を聞いて欲しかった。だからあの日、久しぶりに彼女に電話をかけたんだ。正直にいって会ってもらえるどころか、俺のことを覚えているかどうかも怪しいと思っていた。だが、彼女は快く俺の相談に乗ってくれたんだ」
「……………」
マリコは黙って話を聞いている。
どうやら少しは信じてくれているようだ。土門はそのまま話を続ける。
「真田さんは刑事を諦めて、内勤に移った経験がある。だから俺の異動のことも、彼女ならどう考えるか…聞いてみた」
「それで?いいアドバイスは聞けたの?」
「いや。まったく」
「ええ?」
マリコは拍子抜けした。
「真田さんに言われたよ。人が誰かに相談するのは、本当はどうしたいのか決まっているのに、その決断を誰かに肯定してもらいたいからだ、ってな」
「それじゃあ、土門さんも刑事を続けるか、警察学校へ異動するか、気持ちは決まってるの?」
「それがな、少し違うんだ」
「どういう意味?」
「俺がどちらの道を選ぶか…それには自分の気持と、あと一つ大きな条件がある」
「それは何なの?」
「お前だよ、榊」
「……………」
「お前がどちらの俺を選ぶか。それを聞いて、俺はこの先の人生を決める」
「何を…言ってるの?」
「ん?だから、お前が刑事の俺か、警察学校の………」
「そうじゃなくて!」
マリコは立ち止まる。
「私の意見なんか聞いてどうするの?土門さんの人生なのよ!」
「ああ。そうだ。俺の人生だ。だから、俺は決めた。お前がどちらの俺を選ぶのか。どちらの俺でいて欲しいのか、それを確かめてから内示を受けるかどうかを決める」
「どうして?どうして、私なんか…」
「大切だからだ」
「な、に?」
「誰よりも、何よりも大切だからだ。これから先の人生、全てを賭けてもいいほどに大切なんだ。お前が。榊…」
そういうと、土門はマリコの体を引き寄せた。
けれどマリコは棒立ちのまま、されるがままだ。
「た、い、せ、つ?」
ーーーーー 大切ってなんだろう?
ーーーーー 大切ってどんな気持ち?
ーーーーー 大切って…。
「どういう………意味?」
心の声が思わず零れ出る。
「お前、そんなこともわからないのか?」
土門はマリコを抱きしめたまま、ふっと笑った。
「大切っていうのは、好きってことだろ?」
「す…き…?」
「俺はお前と捜査していると捗る。そりゃ、時々は突っ走りすぎて心配になるし、天然すぎて呆れるときもあるがな」
「ちょっと…褒めてるの?」
「ははは。お前と捜査していると、一日があっという間だ。毎日が充実してる。榊以外ではそんな風に思わない。お前はどうだ?」
「うん…………」
マリコは改めて、日々を思い返してみる。
土門と事件について話し合うと、いつだって新しい発見があるし、逆に煮詰まったときは二人で屋上にいるだけで気分が落ち着く。それはマリコにとってかけがえのない時間だ。科捜研の誰と一緒にいても得られないものだ。
『そんな簡単なこと、どうしてわからなかったのかしら…。』
マリコは下したままだった腕を、おずおずと土門の背中に回した。がっしりとした体躯に男らしさを認め、さらにジャケットからする土門自身の香りに、マリコは今更ながらドギマギしてしまう。
「榊?」
「私も、同じ。土門さんが…その……大切…よ」
消え入りそうな声だったけれど、自分と同じ気持ちだったことが嬉しくて。
土門はマリコを抱く腕に力をこめた。
「俺の残りの仕事人生、お前と決めたいんだ。榊、お前は危険な刑事の俺と、穏やかな警察学校の教官の俺、どっちを選ぶ?」
「どっちも。私はどっちの土門さんも大切よ。刑事でも。そうでなくても」
「榊?」
「どんな仕事をしているかなんて関係ないわ。本当よ。でも、もし。もし、叶うなら…私は一日でも長く土門さんと一緒に仕事がしたい」
「そうか…」
藍子の言ったとおりだ。
皆がみな、同じ考えだとは限らない。
「ごめんなさい。ワガママを言って」
「いや。聞いてみて良かった。こんなに単純なことだったんだな」
「え?」
「こんなことなら、はじめからお前に相談すればよかった」
「土門さん?」
「榊。俺は刑事を続ける」
「あの、でも…」
「心配するな。ちゃんと自分で出した答えだ。自分の心に正直になれば、答えはすぐに出たのにな」
「やっぱり、土門さんは刑事の仕事が好きなのね」
「そうとも言えるが、それだけじゃないんだ」
「?」
「俺も、“お前と一緒に”刑事の仕事をしたいんだ。退官のその日まで」
「土門さん…」
泣くまい。
マリコは上を向いた。
その視界に、ライトアップされた鮮やかな赤い花が飛び込んできた。
「可愛らしくていい香り…。なんていう梅かしら」
「さてな」
薄紅色からやがて紫紅色に変わりゆくその梅の名は『
名前の由来は「芳香が強く、夜間でもその開花が分かるほどで『道しるべ』の役割をも果たす」という意味からきているそうだ。
だが今、土門の目の前にはもっと確かな道しるべがいる。
一見、梅の花のように小さくて可憐だけれど、実はしっかりと強い信念を持ち、どんな場面、どんな場所でもしなやかに根付いて、土門を支え、共に歩み、導いてくれる。
彼女と一緒なら、変化の春も、うだる夏も、侘しい秋も、厳しい冬でさえ、土門は幸せでいられるだろう。
そんな、唯一無二の道しるべ。
「なあ、榊」
「なあに?」
「一緒にならないか?」
春はもうすぐそこ。
fin.
6/6ページ