道知辺
翌日。
佐久間は久しぶりに古巣を訪ねた。今日は京都府警で定例会議があるのだ。特筆すべき議題もないまま、会議は形だけの進行を終え、定刻通りに解散となった。
佐久間は帰り際、捜査一課をのぞいてみた。
外回りに出払っているのか、残っている捜査員の数は少ない。その上だいぶ面子も変わったようで、佐久間の知る人間はいなかった。
仕方なく佐久間は科捜研へと足を向けた。
彼はどうしても昨夜の出来事が気になり、マリコに会ってみようと思ったのだ。
「やあ、失礼するよ」
「これは…佐久間部長!お久しぶりです」
「日野所長、もう“部長”ではないよ」
苦笑しつつ、佐久間は「元気そうだね」と日野を労う。
「今日はどうして?」
「定例会議の帰りなんだ」
ああ、と日野は納得した様子だ。
「久しぶりに寄ってみたんだが…随分内装が変わったね」
佐久間は物珍しそうに周囲を見回した。
「ええ。そうなんです」
「ところで、榊くんはいるかね?」
「はい。自分の鑑定室に。こちらです」
日野は佐久間をマリコの鑑定室の前まで案内する。鑑定室はスモークガラスになっていて、こちらから中は見えない。
「マリコくん!」
日野がノックすると、「どうぞ!」と返事が聞こえた。
「マリコくん、入るよ」
「所長、どうしま……佐久間部長!」
日野に連れ立って現れた佐久間に、マリコは目を丸くする。
「榊くん、久しぶりだな。突然すまない」
「いいえ。どうなさったんですか?もしかして受難者の件で何か…」
「いや。別件で君に話があってね。少し時間を取れるかな?」
「はい。大丈夫です」
「ありがとう」
「それでは、私はこれで」
日野は二人を残し、マリコの鑑定室を出ていった。
「佐久間部長、どうぞ」
椅子を進めるマリコに、『おいおい、もう部長じゃないぞ』と本日2度目の訂正をしながら佐久間は腰を落ち着けた。
「ほう。随分と色々な機材が増えたものだ」
「科学の進歩はめざましいものがありますから」
「ああ。そうだな」
予想通りの答えに佐久間はまるで昔に戻ったような気がした。だから深く考えることなく、佐久間は口にしたのだ。
「え?佐久間…さん、今なんて?」
「だから、土門が警察学校へ異動になるんだろう?榊くんは聞いていないのかね?」
「…………知りません」
「……………」
佐久間は逡巡したものの、やはり言わずには終われない。
「それじゃぁ、土門と真田くんが所帯を持つ話も?」
「土門さんが…所帯を?」
「ああ。二人でそんな話をしていたな」
「佐久間さん、どういうことか…もう少し詳しく教えてもらえませんか?」
あまりに衝撃的な内容に、マリコは理解が追いつかない。
「いいだろう。以前に君たちと会った立ち飲み屋を覚えているかね?」
「はい。加賀野教授の事件のときですね」
「そうだ。あの店は私の行きつけでね。昨日の帰りもふらりと寄ったんだが、その時、店に土門と真田くんがいたんだ」
「佐久間さん、その真田さんというのは?」
「そうか。榊くんは面識がないな…。真田藍子警視、現在の所属は警務部だが、以前は捜査一課の優秀な刑事だった女性だ。土門とは、あいつが所轄勤務時代に合同捜査で何度も一緒になっている」
「真田…藍子警視…………」
マリコは、土門からこれまで一度もその名前を聞いたことは無かった。
「真田くんは土門の2つ上で、歳が近いこともあってか、はじめは土門も反発心があったようだ。しかしすぐに二人はお互いを認めあうようになった。だが、真田くんに…ちょっとしたアクシデントがあって、彼女は刑事課から警務部へと異動になった。その後二人は別々の道を進んでいたんだが…。昨日見た二人は真剣な表情で話し込んでいた。主に土門が話していたようだ。警察学校への異動を受け入れるか、それとも刑事を続けるか、悩んでいたようだったな。ただ警察学校へ移れば生活が安定する。そうなれば家庭を持つことができるかもしれない…そんな話だったと思う」
佐久間は一気に話し終えると、ふぅと息を吐いた。
「どうしてですか?」
「ん?」
「どうして私にその話を?」
佐久間は困ったような顔をする。
「俺は以前から、一緒になるなら君たち二人だろうと思っていた。君らの信頼関係は夫婦以上だろう」
「え?……そんなふうに考えたこと、なかったです」
マリコは本気で目を丸くしている。
「ははは。そのくらい自然にお互いを認めあっているんだろう」
「自然に…認め………あう?」
そうなのだろうか?
マリコにはよく分からない。
だけど。
土門さんが刑事でなくなる。
土門さんが誰かのものになる。
土門さんの隣に私の居場所は…ない?
――――― チクッ。
胸が痛い…。
「榊くん、大丈夫か?」
「え?」
「顔が真っ青だ」
「大丈夫…です」
どこをどう見ても大丈夫な人間の顔色ではなかった。
「すまない、榊くん。君に言おうか言うまいか悩んだんだが…やはり話すべきではなかったな」
「いいえ。佐久間さん。土門さんのことなら、どんなことでも聞いておきたいです。だから、ありがとうございます」
佐久間は、寂しすぎるその笑顔を当分忘れられそうにない。
儚すぎて。
マリコは今にも消えてしまいそうに澄んでいた。